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紙の本
バッハは偉大な作曲家だから「音楽の父」なのか、それとも…
2004/09/02 11:10
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投稿者:越知 - この投稿者のレビュー一覧を見る
中学高校時代、音楽教室に掲げられていた作曲家の肖像画を覚えている人は多いだろう。「音楽の父」バッハを筆頭に、神童だの楽聖だの歌曲の王だの、様々な作曲家が並んでいた。私たちは教科書によってよりは、むしろあの肖像画を通してクラシック音楽の歴史を頭に刻み込んだのではなかろうか。
しかし、なぜバッハは「音楽の父」なのか?と改めて問われたらどうしたらよいだろう。そんなことは決まっている、偉大な作曲家だからだよ、で答になるだろうか。
1834年、『ヨーロッパ・西洋または私たちの今日の音楽の歴史』という書物がウィーンの宮廷官吏によって出版された。1834年といえば、ベートーヴェンとシューベルトが亡くなって数年後であり、メンデルスゾーンやシューマンが二十代半ばの頃だ。この書物は音楽史の各時代を大作曲家の名前によって代表させ、いわば英雄史観的に音楽通史を描いたことで知られているが、そこでは1725年から1760年までの代表的な作曲家としては、レオとドゥランテが挙げられているという。いずれも、現在ではよほどのクラシック通でなければ知らない名前だろう。今なら1750年代に世を去ったバッハとヘンデルの時代と見るのが常識であろうに、1830年代の認識はまるで異なっていたわけだ。
気鋭の音楽学者・大崎滋生氏の手になる『音楽史の形成とメディア』は、私たちが漠然と「常識」視している音楽史が、実は偶然や後世の恣意的な編纂によって生まれたのかも知れないという驚くべき認識を開示してくれる。
そのポイントになるのは「メディア」である。この言葉は本書では主として印刷された楽譜を指しているのだが、偉大な作曲家の手になる作品だから印刷された、という単純な見方では片づかない複雑な事情が印刷楽譜には付きまとっており、またそれが後世に残るかどうかも様々な偶発的な要因に左右されると著者は主張している。どんでん返しというと推理小説の結末のようだけれど、この本は言うならばどんでん返しの連続によって成り立っており、クラシック音楽に多少とも興味のある人には読み始めたらやめられないほどスリリングな読書体験を提供してくれるだろう。
もう一つ、あとがきで著者が書いていることが私には気になった。本書は東京大学で非常勤講師として行った講義をもとにして執筆したもので、本務校の音大ではこういう講義はできないというのである。これは日本の音大が専門的な技術や知識を詰め込む場であり、音楽史と接する様々な問題に目を開く機会を提供していない事実を、はからずも示しているように思われる。教養がない、という言い方が今どきどの程度の人を恥じ入らせる威力を持つのかは分からないが、単なる技術屋に終わらない音楽家を養成するためには、こうした本を読んで、自ら音楽と時代との関わりを考えてみる努力も欠かせないのではなかろうか。
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