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「べてるの家」をルポしたノンフィクション。「幸せは私の真下にある」ただひたすら向上することに疲れた人は必読ですよ。
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立ち読みして気に入ったので購入し、三分の一くらい読んだところで、つい人にプレゼントしてしまった本。しかしやっぱり気になるので、再び購入しました。語り、そして受け入れることの大切さ。「治す」のでなく、「妥協する」のでもない受け入れ方。そういうものを、感じ取ることができる気がします。まあ、そもそもこの本に登場する人たちのことが「他人ごと」と思えない気がする、という自分のパーソナリティの問題も、あるわけですが。自分は「イタい人間」だ、という自己規定をしているワタシのような方、もしいらっしゃいましたらオススメです。(20061110)
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精神障害者のための地域活動拠点であるべてるの家の記録。
人間はずっと上に登っていかねばならない、進歩・成長していかねばならないという前向き発想ではなく、良い意味で力を抜いた「降りていく生き方」を模索する人々の話。ものの価値観を見直す良書。
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べてるの家を取材した記者によるルポ。
客観的な視点から書かれていて、内部の人による
べてるの家に関する本では語られていない内容が
描かれている。
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北海道の「浦賀べてるの家」は統合失調症など精神障害を持った人々が、その人なりの生き方を見つけていくための場所。集まっている人の人生は、それはもう壮絶なものです。
オランダの学校では校則は「人間らしく行動すること」なんだそうです。今の日本では、いかに要領よく稼ぎ、人生を充実させるかということに価値が求められ、精神障害者や子供たちの「当事者性」は無視。日本の教育制度は、国家のために役立つ人を育てるカリキュラムと言って過言ではない、という主張はまさに今の日本のエリートおじさんたちの様子を言い表していて、脱力( -.-) =з
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スゴイ本です!
説明が難しいですが、とっても楽しくて自分を振り返ることも出来る、皆さんに読んでほしい本です♡
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この本の考えを元にした映画を昨日見たので。
伝えたいことはよく分かったけれど、
映画としての出来はストーリーも映像も音響も学芸会レベルだったのが残念だった。
啓蒙活動は難しい。
でも、そこで描かれていた人たちの生き方は素敵だと思った。
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べてるの家のメンバーの体験や取り組みが具体的に語られています。自分の家に放火した人、警察沙汰になるほど大暴れした人、宇宙に飛び立とうとする人、それぞれのメンバーの病気の体験談は壮絶ですが、その事を語れる場所があり、付き合ってくれる仲間がいる事がどれだけすごい事なのか。病気を抱えると生育歴や家庭環境が原因と言われるけれど「ダメな親でもいい社会ができる事を目指す。受け皿があればダメな親でもいい」と言う向谷地さんの言葉が印象的。すべての人が、人間らしく生きると言う事を考えるきっかけになる本。オススメですよ。
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この本の初版は2003年。
出版当時は華々しい紹介をされても、その後は尻つぼみになって消えていくパターンは結構多い。
例えば北星余市高校のヤンキー先生ブームからの廃校問題。
べてるの家も、今現在どうなっているか、わからない。
そう思ってネット検索してみたら、べてるの家、未だに同じように、いやそれ以上に活動していました。
これでこの本を安心して紹介できます。
北海道の浦河町、襟裳岬よりちょっと北にある小さな町の活動なんです。
引きこもり、家庭内暴力、統合失調症などで社会に関わることが難しく、自分に関わることですら自分が当事者になることができず、拘束されたり薬づけにされたりして自分を解放することを禁じられた人たちが、浦河という町で、自分を否定されることのない環境で、ゆっくりと、行きつ戻りつしながら自分を取り戻していく話。
否定しないこと。
これは私も気をつけている。
自分と違う他人を否定しないこと。
理解できないことを否定しないこと。
けれどそれを受け入れるというのは、とてもとても難しい。
違うことを否定しない。
理解できないなら、何度でも話し合えばいい。
そのうちお互いに受け入れることができるだろう。
効率だけを考えていてはできないこういうことを、浦河赤十字病院の精神科医・川村敏明さん、ソーシャルワーカー・向谷地生良さんが、患者さんやその家族たちを巻き込んで、正常者対精神病患者という対立構造ではなく、共に生きていくご近所さんとして横に並んで生きていける社会を作り上げた記録は、想像以上に苛烈なものだった。
精神病であろうとなかろうと、暴力でことを解決しようとする人は、要するに自分の心を言語化する能力が足りていないのだと、言葉で気持ちを伝えられるように辛抱強く付き合うのは、我が子であっても忍耐力を要することなのだ。
でもやっぱり、言葉にできない気持ちを察してくれというのは、親子でも、ましてや他人であるクラスメイトや会社の同僚には無理なのだから、時間がかかっても、何度失敗しても、言語化の努力は続けなければならない。
病気が治ることがゴールなのではない。
病気を認め、受け入れ、共存することができたら。
「しあわせは私の真下にある」と気づくことができるのだという。
壮絶の先にある穏やかな日々。
遠い遠いその道を共に歩いている浦河の皆さんに、頭が下がる。
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「べてるの家」を取材した筆者によるルポ
発言録をもとに構成されていて、若干の読みにくさはあるけど、内容は興味深い。
「当事者性」に関する作者の考えは共感する部分も多いが、ルールやシステムを維持するために個が犠牲になることは悪なのか?
議論してみたいテーマ。
・べてるの家は、精神病のために自分で考え、決めて、行動するということができないとされてきた(当事者性を奪われた)人たちが、自分の役割を再発見する場所
・本当の回復とは、右肩上がりの高いところにあるのではなく、自分の真下にある
・医療技術の発達により、人間の思考を含めすべてを生物学的に説明しようとする、つまり精神病を脳の機能障害と捉え薬物療法で治癒しようと研究を進めるアメリカ
・対して、ヨーロッパでは幻聴(ヒアリング・ボイス=聴声)をひとつの人間の個性として捉えようとする動きも
・降りていく生き方=悩みや苦労を回避したり、放り出すのではなく、人間らしく生きるためにはそれを担う姿勢が大切(向谷地さん)
・精神病は医者にのって全能に振舞えない領域。病気が起きないように、静かに迷惑をかけずに暮らすという医者の『正解』を押し付けるのではなく、治せない医者であるという自分と向き合う(川村さん)
・オランダの学校の校則は「人間らしく行動すること」。人間らしさとは生徒が自分で考え自分で決める。
・日本社会は当事者性を奪う。学校で大事なのは偏差値。教える教師側も指導要綱に法的拘束性があるため当事者性が尊重されることはない。
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「べてるの家」のこと
しかも 取材して書いている方が
横川和夫さん
もうそれだけでも
これは 読むに値する
自分らしく、人間らしく生きるには、
どうしたらよいか。
さまざまな実践を取材し、
たどりついたのが
「べてるの家」である。
ーまえがき より
横川和夫さんの著作を
読み続けてきたものとしては
なぁるほど
ここに辿り着かれたのですね
と深く同意してしまう
日本の教育行政、学校教育の在り方に
疑問を抱いている方、
いや むしろ
なんの疑問も抱いていない方にこそ
必携の書である