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烏兎の庭 第二部 書評 7.23.05
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto02/bunsho/mamiko.html
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レヴィナスの噛み砕き本。
内田樹を読みなれている人ならスッと読める。
たまに思い出して読んでハっとしたい本
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[ 内容 ]
真の人生は、どんな人生なのか。
人間は、生まれて、生んで、死んでゆく。
この事実をどう受け止めるか。
レヴィナスと共に、人生の意味と人生の目的について根底から考え直す。
[ 目次 ]
はじめに 生きていてよいのか
第1章 自分のために生きる(こんなもののために生まれてきたんじゃない;No Music,No Life ほか)
第2章 他者のために生きる(倫理の始まり;他者の顔 ほか)
第3章 来るべき他者のために(とはいえ、私は死ぬ;存在と無、生成と消滅、生と死 ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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『ヨーロッパ思想入門』で震えた「他者」の概念にも触れられているが、本書の肝は「繁殖」の概念。適所で例示を示し、レヴィナス思想の核心に迫る試み。
気になった記述。
・働きながら生きている。ということは、なにものかを享受して生きていることになる。
・人生は無条件に幸福であり、「人生は人生への愛である」。
・「享受において、私は絶対的に私のために存在する。私はエゴイストであるが、他者に対してエゴイストであるということではない。私は独りであるが、孤独であるというとではない。私は無垢な独りのエゴイストである。」
・自殺に定位して死を考えたところで、生まれて老いて死んでゆく肉体の次元には決して届かないからである。
・虐げられた貧しき人びととに告発されることが倫理の始まりであり、虐げられた貧しき人びととの連帯と共同性を目指すことが倫理であるという思いは変わっていない。
・倫理の根拠や基礎付けをほしがる心性には、どこか怪しげなところがある。繰り返しレヴィナスは倫理こそ第一哲学であると語った。
・「他者の本質的な悲惨に答えうること、私を資源として発見すること」によって、私はエゴイズムを脱することになる。
・<死んだら終わり><死ぬまで頑張る>は未来の他者に向けての遺言ではないか?
・従来の哲学と論理学は、人間が人間を生むということ、二人の人間が一人の人間を生むということについて、重く深く考えることをしてこなかった。
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度肝を抜かれた。前半部が最高にいい。今年ベスト。「なんでいきるのか」「幸福になるために生きている」……これは非常に凡庸な問い(と答え)だ。
そこからの、小泉=レヴィナスのよる、問題構造の立て直し方がすごい。
目的を問わなくても、人は生きていける。息を吸って、食物を食べて、風景を眺めること…、我々はそれらをすでに享受してしまっている! 享受し続けている時点で、生きているという時点で、我々はもうすでに幸せなのだ。
……それでも、享受しているはずなのに、元気じゃないときがあるよね、特に理由もなく。
→→それは、「実存そのもの」に疲れてしまっているのだ。生きて、存在することへの倦怠。
そしてそこから抜け出す方法は、ただ自分が「幸福に生きる」という堂々巡りするだけの回答から導き出すことは出来ない! という。
もう、こんな入口を建てられた時点ですごい。ものすごい。
それにくらべて後半部は引き込みが若干弱いと思う。それが、ただ単に私の理解不足なのか、おぼろげに理解していても小泉=レヴィナスに共感できないからなのかは、わからない。
でも、いずれにせよ、こんな「問いの入り口」があるのだ、と知れただけでも大きな収穫である。入り口に入ったあとの道は、自分で探してみるのもよいと思う。…とにかく、読んでよかった。
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レヴィナス入門てかんじ。読みやすいかな。何のために生きるのか、が冒頭では淡々とわかりやすくかかれてる。
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レヴィナスの入門として。生きる意味とは、レヴィナス的にいけば「人間の繁殖のため」「来るべき後世のため」ということになる。
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何のために生きるのかという問いは、他者のために生きると、また、他者のために生きることを通して人類のために生きると答えられた。そして、何のために生きるのかという問いを駆り立てる欲望は、そんな欲望に駆り立てられる子どもを生むことによって充たされる。ここにきて、何のために生きるのかという問いは、人間の繁殖のために生きて死ぬと答えられることになる。