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本編読みにくかった。一語一語拾っていくのが大変。理解できたとは言えません。
インタビューには感心させられてばかりでした。
数え切れない人が犠牲になったのにもかかわらず、天皇は告発されなかった。驚き。
今まで日本がしてきたことに対して疑問はあったものの、進んで調べようとは思わなかった。でも今はチョムスキーさんが言っていたように、知らなければならないと思える。知ることが日本人である責任なのかもしれない。
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【メディア・コントロール】
特別階級以外のとまどえる群れについては、つねに彼らの注意をそらしておくことが必要である。彼らの関心をまったく別のところに向けさせろ。面倒を起こさせるな。何があっても行動を傍観しているだけにさせるのだ。例外は真の権力者の誰かに対する支持を表明させるときだけだ。
このようにして、一部の階級の人間によって民主主義は作り出されていく。メディアもその仕組みを支えるものの一つにすぎない。
【火星からきたジャーナリスト】
テロを「他人が私たちに対して行うテロ」と定義すればよい。
久しぶりに考えさせられた言葉だ。
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mediaの効果や情報操作の本に興味があったので読んでみた。
内容は、著者がジャーナリストで非戦論を行ってる人みたいで、アメリカの戦争の話ばかりで、事実と報道にギャップがあり国民を操作しているという話。
・恐怖で人は支配できる(君主論と同じ)
・チャーチルが炭素菌をまこうとしていた
・ラッセルは言論の自由で投獄されていた
・アメリカの戦争理由を他に国に当てはめると、アメリカは敵になる。
と新しい情報も入ってきたが、個人的にジャーナリストや評論家は「実行力」がないから好かないです。
そのため評価は低めで。
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目新しい事実、思考は見当たらない。
メディアコントロールの阻止のために、まよえる群衆が知を持つべきという主張。
この、まよえる群衆問題はスチュアートホールのデコーディング理論と正反対。情報(code)を受動的に捉えるものとしているが、実際には、ホールのいうように意味を読解decodeする存在を想定するのが妥当なのではないかと思われる。
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2011/5/26読了。
まずは民主主義が孕む全体主義的な傾向に陥る危険性、参加者それぞれの考えを集約して政策を決定するのではなく、一部の権力者(本文中では財界が名指しされている)が望む方向性に合わせて世論を操作する、つまり社会的な合意がねつ造されている現実と、そのプロセスでメディアが果たす役割を指摘している。
その上で、テロというものが常に「誰かから私たちへの攻撃・脅し」であって、「私たちから誰かへの攻撃・脅し」がその範疇にないことを、アメリカが起こしてきた戦争や軍事・政治的介入を例に見ていくという内容。客観的・常識的に見れば、という仮定を”理性のある火星人が見たら”という思考実験に置き換えているのが面白いが、それ以上に、その視点で見たときのアメリカが起こしてきた惨事とその理不尽な行為の正当化の歴史が大変理解しやすいものになっている。そして、そこには少なからず、むしろ多分に、日本も関わっている事を知らなければならない。
僅かでも客観的に見る事が出来れば、明らかに理由付けのおかしい行動を支持してしまっている事実に、いかに”考える”ということをしていないか、思考停止に陥ってメディアの流す一方的な情報を受け入れているかということを痛感した。
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国家という名の猛獣。
これに果敢に立ち向かう一般大衆の力を鍛練、啓発、解放するべく書かれた一冊です。アメリカのみならず、先進諸国の悪逆無道の蛮行の数々を洗いざらい明るみにし、健全な民主主義社会の構築を訴える著者。殊に戦争に対する世論操作や情報隠蔽、タイトル通りメディアコントロールに勇んで抗する?スタンスに吃驚します。
さて、態度を示すには何らかの判断情報が不可欠です。
例えば、チョコレートを好んで食べる人は『自分はチョコレートが好きだ』という情報がインプットされているからであり、初めてチョコレートを見る人からすれば、『これは食べ物か?』すら分からない。
判断情報が無いからこれ以上の推論は進まないのです。
その判断情報が誤りであるなら、当然困ります。白か黒か、悉無、つまり二者択一ならば問題ありませんが、二択以上になると話は込み合います。
以前、故中川大臣が核保有の議論をすべきだとの発言をしましたが、それについて賛否両論の意見が飛び交いました。しかし真意は日本は核武装せよと言っているのではなく、今までは平和憲法を遵守してきた。それが故に核そのものについて深く考えてこなかった経緯がある。国外を眺めると、日本をとりまく環境は非常に危険で、平和憲法を提唱した頃とは様相が随分変わっている。ここらで核兵器の諾否を抜きにして、核保有の議論をした方が良いのではないか?という真意のもとでの発言です。大臣なら外交問題として至当の事を述べただけですが、一部を切り出すメディアによって、その真意が見えにくくなっています。
知りたい情報、知る権利を支援するメディアの陥穽は、
①情報の非公開(都合の悪い報道はしない)→民主主義不能
②虚偽情報の発信
があります。他にも問題はあると思いますが、ここでは上記二点について私見を述べます。
一般大衆にとって、戦争等のスケールの大きなニュースは重要ですが、一般生活に直接関わらないものになっていて、「戦争しない日本にとっては対岸の火事」と高みの見物気分を持つ人が大勢を占めていると思います。他人の事より自分の生活に密着したニュースの方が大事です。そして、余程時間を持て余している人でない限り、そのニュースの真贋を確かめる事はしません。労力が大きすぎる。だから、人々はメディアを「(盲目的に)信じて」いる。徹底的な懐疑を持てば、メディアの情報なんて一蹴できます。
そこにつけこんで自分たち(国を動かす政治家等)の都合の良い部分だけを公開し、知られてはマズい情報には完全に蓋をする(最近では核持ち込みの密約文書の公開がありましたね)。
薄汚いマスコミに踊らされたくない、そう思っている人は多いと思いますが、現実を見ればマスコミからしか情報を得られない状況になっています。
さて、著者であるチョムスキー氏は言うまでもなく知識人であり、彼曰く『知識人が積極的に情報を開示し、大衆を啓発しなければならない。これが使命である』。確かに利害関係に無い(当事者でない)国家とは違い、フットワークは軽いでしょう。けれどもその方途��とても険しいものがあります。それらをバックアップするのは大衆でしょう。
世の中の大きな流れとしては、大衆の知識蓄積化が望まれます。真贋を見極めるのは貴方です。一部を切り取った写真に満足することなく、映り切れなかった雄大な景色をどこまで見ることができるか。明るい未来展望に期待したいです。
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国際政治の話題である。メディアが表立って報道しなかった、アメリカの軍事的振る舞いを、これでもかと抉り出して見せる。世界における政治の振る舞いとは、いかに偽善的で、エゴイスティックで、グロテスクなものか。知ってしまうことは怖いが、知らないことはもっと怖い。どこまでいっても人間と人間同士、エゴを失くすのは無理かもしれない。だが、せめて自己認識し、市民一人一人が思考をやめないこと、そこにしか希望はない。
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民主主義は2つの意味からとらえることができ、現代の国家に当てはまるのは、一般の人々を決して彼らの問題に関わらせてはならず、情報は限られた人にだけ制限すべきものであるという解釈である。
国家(知識層)は一般の人の目を本当に重要な問題から、逸らし続けておかなければならず、しばしばメディアはその方法として用いられてきた。例えば、アメリカと敵対する国の現状は多いに報道されるのに対して、友好国やアメリカ自身が関わっている残虐行為の報道は全くなされていない。
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このおじいさん、ピュア過ぎる…と、今だから思うのですが。「知識人」が正しく反応することを期待した上で「知識人」を信頼しているのは、バーネイズの裏返しのようにも見える。あくまでも選良主義なんじゃないの?と。いろいろまだ足りてない。(レビューは後でちゃんと書く予定)
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東浩紀「一般意志2.0」⇒エドワード・バーネイズ「プロパガンダ」⇒ノーム・チョムスキー「メディアコントロール」
キーワードは専門家あるいは知識人と大衆。
チョムスキーさんは知識人がふがいないと嘆く時点で、知識人によって世界を動かすバーネイズのプロパガンダと表裏なんじゃないのかなーと。
チョムスキーさん読んでると、知識人や専門家が物事をよく知って見渡せた上で大衆騙すためにウソをメディアに書く、という捉え方なのかなと思うのだけど、知識人や専門家って知っているふりをしているだけでそんなにすべてを見渡せてはないのだと思う。それこそ、アメリカ合州国の民主主義という正義しか目に入らないワケで。
間違いも、あとから、ああ、あれは間違ってたね、となったり認めもしなかったりなのだけど、発言や報道時点ではまったく間違いでなく真実だという確信や信念を持っているワケで、それを攻め立てたところで、大衆を騙したというよりは単に多くを見ることができない愚か者だったというだけなんじゃないかと。
私自身がよく知った例でいうなら、日本で演劇の専門家ぶった人が日本列島の演劇を見れているワケではないという。
一方で、東さんの「一般意志2.0」は専門家とそうでない人たちが入れ替え可能ということで、専門家あるいは知識人と大衆が、騙し騙される一方通行な関係ではない。
一人の人間が処理できる情報や知識というのにも限界があるのだから、適材適所というか、できる人ができることをというか、それぞれに知っていることを言い合って共有するというか、それでいいんじゃないかと思う。
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世界一有名な言語学者ノーム・チョムスキーがアメリカの戦争犯罪を糾弾し、それを援護したメディアコントロールを思い切り批判しているかなり面白い本.これは面白いよ.
華氏911を見て賛同した人は間違いなくこの本を素晴らしいというと思う(ちなみに私はボーリングフォーコロンバインの方が3倍いいと思っている).
マスメディアというものは既に腐っていてアメリカの政治がダメってことは、よっぽどの馬鹿出ない限り誰でも知っていることなのでここには書かない。
チョムスキーかマイケル・ムーアの本を読んだらいい。
ってことで,ここにはチョムスキーが指摘しなかった大事なひとつのことについてかきたい。
それは、チョムスキーやマイケル・ムーアが何を言おうが、実際なんの効果もないってことだ。
ニヒリストとしての発言ではないよ。
ようするに彼等の批判すらコントロールあるいは想定の範囲内ってことだ。
これはホントにすごいことだと思う.
これはすごいシステムなんだよ!と世界の中心で叫びたいくらいだ.
なにせ,マイケルムーアたちがなんと言おうが,ブッシュが「彼らがこうやって自由に発言できることが民主主義なんだよ」って言ったらそれでマイケルはシステムの中からもう逃れられなくなる仕組みなのだ.
リーマンがライブドアがどう転んでも確実に儲かる仕組みを完成させたように、アメリカのシステムは完成されている.
システムって,ホントに重要なんだよ.
水10という番組が「子どもに見せたくない番組」ナンバーワンを堅持し続けているのにいまなおいい時間帯で放送されているのは視聴率を稼ぐシステムが成功しているから.
水10がどれだけがんばっても一部の人間だけにしか受けないのは,それもシステム自体の限界だから.
明石家さんまが世の大半に支持されているのはさんま師匠の作った笑いのシステム(笑いの方程式=話を振る→話を聞く→話の要旨をまとめて反復する→へー,と相づちを打ちながら,話し手の意図と逆のことで,かつ客が喜びそうなことを言う→笑いが起きる)が世の笑いのシステムのメインストリームになっているからだ.
※20歳以下の人は笑いに関してこのシステム以外を知らない.
要するに,アメリカのシステムは世界の90%位を支配できるシステムってこと.
チョムスキー,このことを指摘すべきだと思うんだけど.
他の本で指摘しているんだろうか?もうちょっと読んでみよーっと.
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9年ぶりに再読。
チョムスキーによれば、「民主主義社会」という語には対立する二つの概念が含まれているという。一つは民衆が自分たちの問題を自分たちで決定する手段をもっている社会という辞書的概念、もう一つは、民衆を彼ら自身の問題に関与させず一部の人間だけが情報を管理する社会という概念。後者は民主主義に反するもののように思われるが、チョムスキーいわく、こちらの概念のほうが現実の社会では優勢であると。
後者の概念を発展させてきた現代アメリカの政治の風土を支えてきたのは他ならぬ知識人であるとして、チョムスキーは、ウィルソン大統領、哲学者のデューイ、ジャーナリストのリップマン、神学者で外交評論家のラインホールド・ニーバーなどを告発する。彼らの思考に共通していたのは、一般大衆と支配階級を切り離し、大衆に“誤った判断”をさせないために、彼らをただの“観客”にしておくべきということだった。
その手段として、物理的な暴力や圧政ではなく、“広報=組織的宣伝”が用いられた。支配層の権力者たちは、政権に逆らう者に負のイメージを植え付け、大衆をコントロールしようとした。メディアもこれに追随し、支配層の目論見は成功した。
注意すべきことは、それが「自由な環境のもとで達成されている」(p41)ということだ。本書第3部のインタビューでチョムスキーが言っているように、アメリカに言論統制は存在しない。メディアは圧力をかけられてもいないのに自ら支配層の意に沿った報道を垂れ流し、大衆をコントロールするのに一役買っているのである。大衆もメディアの報道を鵜呑みにし、無意識とはいえ、自ら支配層の決定になびくことを選択しているのである。
本書のタイトルでもある「メディア・コントロール」とは、政権による報道圧力を意味しない。むしろそれは、メディア側の盲目的な自主規制、あるいは大衆の無意識かつ無責任な自己抑圧のことを指摘しているのである。チョムスキーが本書で伝えようとしていることは、支配層が行ってきた偽善の告発というよりも、それを知らぬふりをして過ごそうとしている我々=一般大衆に対する警鐘なのである。
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新書なのでさらっと読めた。
単純な善悪の二項対立では語れない政治的意図による大衆へのメディアコントロール。
他人の罪をみつけること、責めることはたやすい。
しかし重要なのは自分を見つめること。
統制からの解放軍がやがて新たな統制へと変貌し続ける可能性を見越して自分の目で現実を見極める努力をやめないことが重要かなとおもった。
少なくとも今世紀はそうした懐疑の視点を持つことを許されるほどには国民は多様化しているし、多様な組織化も許されている。
最適環境は自分の成長度によってたえず変わるし、そうやって変わっていくことを楽しめれば現代に生まれたことがきっと幸運であるとおもえる。
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この本は他に優れたレヴューがたくさんありますので、簡潔に
スゴイなこの本は、今の日本にまともな知識人がどれだけいるか?
こころもとない所です。
今月(2012年10月9日)に出る『アメリカを占拠せよっ!』も是非読んでみたい。
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同時代的なことを話題にしている著書は,書かれた後の世の中の動きがそのまま「著者の予想があっていたかどうか」の検証となります。
「歴史の見方考え方」を養うときには,そんな本の読み方も必要でしょう。
福島原発事故後の「後出しジャンケン」のような本の出版を見るにつけ,社会を見る眼の大切さを感じました。
チョムスキーは,まれに見る「知識人」ですね。日本にはこんな人いるのかなあ。本多勝一くらいか…。
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米国の哲学者、言語哲学者、言語学者、社会哲学者。 マサチューセッツ工科大学教授であるノーム・チョムスキー氏の著書。
そして米国の軍事行動を批判し続けてきた。
正直、前半は面白くなくて、読み飛ばしましたが、終盤の逸見氏との対談の部分から面白くなり、イラク戦争に関して述べている事柄について、”本当?”と思えることを述べている。
そんな米国の外交について理解する事ができます。日本に対してもこれに法っているのかもしれないと思い、もっと調べてみたい気持ちとなりました。