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表紙の絵の雰囲気のように、不思議な印象のお話でした。小さい頃だからこそ感じられた不思議や好奇心、そしてちょっとした冒険・・・、もうそんなことは忘れてしまってるけど、きっとあったんだよなぁ、思い出したいなぁなんて気持ちになるお話でした。
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「たそがれ屋敷」と呼ばれるお屋敷にすむ姉妹のお嬢様たちのところへ、
ある日ルチアさんというお手伝いさんがやってきます。
物語はこのあたりから始まります。
姉妹のおとうさんは船にのって世界中をまわっていますから
なかなか姉妹のところには帰れません。
姉妹にとってたまに帰るお父さんから聞く外国の話は
何物にもかえられない宝物でした。
そしてこのお手伝いのルチアさんが、
姉妹の宝物に共通する何かを持っていることに気がつくのです。
キーワードは水色。
姉妹の宝物の水色の宝石のような石と
ルチアさんの秘密の食べ物。
やはりどこかでつながっているのでしょう。
幼少の頃に夢中になっていたものや
幼いころの思い出に通じるもの、
そこから未来への夢を感じた大事なもの
そんなかけがえのないものを
慈しむ純粋な気持ちを思い出させる本でした。
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つんつく先生シリーズのたかどのさん、最近また見直されてきたらしい。
はじめて絵本ではない本作を手にとってみた。
話題になったから、というより、つんつく先生シリーズがあまりに個性的でいったいどんな頭だったらこんな絵本が作れるのだろう、と作者に興味があったため。
ルチアさん、はかなり幻想的な話で、読みつつどうやって話が収束するのかしら、とヒヤヒヤしたけど、突然終了してビックリ。
なんだか消化不良の感。
ルゥの成長後の姿も描いて欲しいし、ボビーはルチアさんの実子であってもいいのに、と思ってしまった。
実子がいても、お母さん感のないひともいるよ。
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表紙の絵柄が完全に私好みで、しかも高楼方子さんなので、迷わず図書館で借りたのですが、これがまた、意外な発見と喜びに満ちた宝箱で、私の中で確かに響くものがあり、購入しようと思いました。
正直、13章までは、ちょっと不思議な謎解きのような物語だと思っていたのですが、最後の2章で、突然、物語の主題が現れた時に、「ああ、これは見たまんまの形を問いかけてるのではないんだな」ということに気づきました。
大人になってから、何かのきっかけで、子供の頃の純粋で真っ直ぐでひたむきな─それが他人には全く興味の無いことだとしても─想像や喜びを、ふと思い出すことができたら、どう感じるのでしょう?
物語中のとある人物は、大人になってからのどうしようもない忙しさで、豊かな暮らしを得ることはできたが、時折、悲しくもなく楽しくもない、ひどく味気ない心でいることに気づきました。
そんな時に思い出したら、どう感じるのでしょう?
また、私の中で未だに消化しきれず、考え続けている、「ここ」と「どこか」の概念について、この物語では、とても興味深い捉え方をしています。
「ここ」にいながら、同時に「どこか」にもいる。
そんなことって、ありうるのだろうか?
おそらく、「ここ」というのが、わたしのいるところ、あるいは、現在のわたし自身だとすると、「どこか」というのは、ここではないどこか、あるいは、過去の純粋できらきらしていた、まっすぐにひたむきなわたし、なのかもしれない。
別に、大人になっても純粋な部分はあるはずなのに、なぜか、あの頃は純粋だったなと思うのはなぜでしょう。それとも私だけ?
きっと、形とか言葉ではっきり説明することはできないのだけれど、それでも確かにあったのですよ。分からないのに実感できる、見えないけど、かけがえのない大切なものを思い出させてくれた。
そして、もう一度、それを「どこか」として、私の体の中に取り込みながら、毎日を生きていけば・・・何としあわせな思いになることでしょう。
「どこか」というのが、遠い思い出でも、未だに探し続けていることでも、それは何でもよくて、それが現在の自分と過去の自分を引き合わせることになるかもしれないし、単に夢中になることがあることを、客観的な視点で見られる心の有り様を自覚することでもいいのです。
それは、自分が幸せだということを、自分自身で再確認することなのかもしれない。
そんなことを気づかせてくれただけで、私にはこの本が大切な宝物になりました。
それから、巻末に書かれた、「exlibris」は、「蔵書票」の意味があり、そこに名前を書いておくことで、永遠に私の本となり、それはスゥとルゥルゥの心が満たされた、水色の宝石と同じような、きらきらしたものに変わるように思われて、私の心もまた満たされるような嬉しさを覚えるのです。
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読んでから2週間経つが感想を書くのが難しい。テーマは子供向けにしては難解で哲学的な要素が大きいと思った。
”たそがれ屋敷”に住むスゥとルゥルゥ姉妹には、新しく雇われたお手伝いさんのルチアさんが、水色に光って見える。それは、船乗りのお父様が異国から持ち帰った水色の玉にそっくりだった。光って見えるのは二人にだけで他の人には見えない。謎を突き止めたくて二人はルチアさんの家まで彼女を尾行することにした。そこでボビーというルチアさんの娘に出会ったが、ボビーにもルチアさんは光って見えないと言う。ある日、ボビーとスゥ、ルゥルゥの3人は、夜中にルチアさんが水色に光る不思議な実を漬け込んだ飲み物を飲むを見たのだった。
物語は何年も何年も過ぎた秋の日に跳ぶ。白いものが混じった髪を一つに束ねたボビーが”たそがれ屋敷”を訪ねて来る。たそがれ屋敷には教頭先生になったスゥが住んでいて、妹のルゥルゥは旅に出たままだった。ボビーは分厚い手紙を残して帰っていった。
手紙にはルチアさんが最近亡くなったと書かれてあり、彼女の人となりが詳しく書かれてあった。『母の性格や人柄はたぶんに生まれついてのものだったろうと思います。珍しい人だったに違いない。母がため息をついたり、愚痴をこぼしたり、人を批判するのを一度も聞いたことがないのですから。そのかわり何かに執着したり、なにかを特別に愛することもなく、どんなことも受け入れ淡々としているふうでした。どんな時にも満たされているように見えた』それは、あの水色の実を漬け込んだ飲み物のせいにちがいないと思えてきて、ボビーはルチアに訊ねる。「あれを飲むと、ここじゃないどこか遠くの味がするの。ごくごく飲むとまるでどこかのきらきらとしたところがそのままお腹の中に入ってくるようなの」と答えが返ってきた。琥珀色の梅酒でなく青色の梅を浸した果実酒が想像されて、高楼さんらしいと感じた。”どこか遠くのきらきらしたところ”が、ルチアさんの心を満たしていったのだ。体の中に、その場所が溶け込んでいたからこそ、ルチアさんは常に静かな喜びと共にいられたのだ。”ここ”に根を下ろし、毎日淡々と働きながら、行ったことも見たこともない”どこか”を内に抱えていられた。”ここ”にいながら同時に”どこか”にも居れたから、”どこか”に恋焦がれる必要などあるはずがなかったのだ。
読んでいて”諦観”という言葉も過ったが、一概にそれだけではないようにも感じられた。
”どこか遠くのきらきらしたところ”への想いを胸に抱きながら生きた人は、物語の中では人生を旅に捧げてしまった父親やルゥルゥやピピン叔父。”どこか遠くのきらきらしたところ”を夢見ない人もいるが、ルチアさんは確かに憧れていた。でも、”ここ”に居ながら”どこか”へ行く術を持っていた。単に心の持ちようとか想像の翼を拡げていただけではないだろう・・・。おそらく、そんな方法は誰かに教えられたものではなく、天分のようなものなのだろう。
ああ、ルチアさんが限りなく羨ましくなった。
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気の毒な身の上の人だという触れ込みで“たそがれ屋敷”の召使いの仕事にやってきたルチアさんは、その前評判とは裏腹に、いつも輝くように朗らかな、まあるいふくよかな体がトレードマークのおばさんだった。話を聞くと、確かに色々と災難に遭い貧しく暮らしているようなのだが、当人は至って明るく健やかで、屋敷の人々が当初ひそかに期待したような“気の毒オーラ”は一切感じられないのだった。それどころか、人はルチアさんと一緒にいるとつい心に秘めた打ち明け話をしたくなり、そして話した後はなぜかすっきり明るい気持ちになってしまうのだ。
そんなルチアさんの秘密は物語の終盤で明かされる。ルチアさんはとある方法で、《「ここ」にいながら、同時に「どこか」にもいる》、そんな生き方ができている人だったのだ。「ここ」と「どこか」、それは目の前の現実世界と、想像力や空想でたどり着くような物語世界、無理やり言葉にすればそのようなものだと私はとらえた。そんなルチアさんのような生き方が、ある種の理想、人間の究極のしあわせであるようにひとまずは描かれている。
しかし、そんな素敵なルチアさんのようになりたいね、で終わらないところがこの本の私のいちばん好きなところだ。作中には、「ここ」で夢中に/必死になりすぎるあまり「どこか」を忘れてしまった人もいる。「どこか」を求めすぎて「ここ」からふわふわと離れていってしまった人もいる。「どこか」ってなんなのか、わかりたくてもついぞわからずいつも物憂げだった人もいれば、「どこか」の魅力と同時にその危うさ、奇妙さに気づきその違和感を見逃さず、敢えて距離を保ちつつ、しあわせとはなにかという答えの出ない問いを考え続けた人もいる。
さあそれで、ルチアさん以外はみんなみんなしあわせではなかったなんて言えるだろうか?決してそんなことはない。つねに満たされていることだけがしあわせなのではない、みんな人それぞれの「欠け」を抱きながら、自分なりの喜びも手にしていく、そのありのままの全てが愛おしいんだと、そう言ってくれているのではないかなと、私は思った。
美しいものを描写する言葉の豊かさ、ちょっとした謎で読者を飽きさせずに引っ張っていく推進力、ちょっと奇妙で不気味さすらあるイラスト(出久根育さん)、適度な短さ、巻末の「exlibris」(蔵書票という意味で、持ち主の名前を書く欄なのだそうです。ブク友のたださんがレビューで教えて下さっています。)、どこをとっても素敵すぎる本でした。
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スゥとルゥルゥ、ふたりの少女の目にだけ光を発しているように見えるふしぎなお手伝いさんのルチアさん。まるでふたりの宝物の水色の宝石みたいに。どこか遠くのきらきらしたところを求める人、ここで生きていく人。求めるどこかはここなのかもしれない。