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これ、大丈夫なんだろうか?
汐見先生の本という事で期待したのだけど。
戦術レベルの話でなく、戦略を考えようとする本。
それは良いのだけど、これは通用するのだろうか?
例えば、犬のフンを引っかき回していた幼児が、
ウンチにも湿ったのやカラカラのがあることに気付き、
後の話で「獣医になる勉強をしている」と聞いたエピソード。
たしかにその子に「汚いから止めなさい」といったら、
獣医に興味を持つ可能性を摘んでいたかも知れない。
しかしほとんどの子は獣医にならない。
昨年の出生数は全国で107万人。
全国の獣医系大学の定員は930人。わずか0.09%。
99.91%の確率で、ウンチを引っかき回す子供は獣医にならない。
ごくわずかな例外を持ち出しても、全体は影響を受けない。
もちろんウンチを引っかき回すことの将来は獣医だけじゃない。
生物学者もペットショップも、人間の医者もTOTOの社員も考えられる。
とはいえ、いずれにしても全体のわずかな数であることに違いはない。
全体に影響を与えるような大きな数字になり得ない。
ほとんどのケースで、子供の遊びやイタズラは将来に何の影響も与えない。
テレビのイヤホン端子にうどんを突っ込んだ経験が、
今の自分に何か役立っていると考えるのは無理がある。
「将来の役に立つから、子供の遊び・イタズラを止めてはいけない」のでなく、
何の役にも立たない、刹那的な楽しみがほとんどであることを前提に、
向き合い方を考えるのが筋じゃないのか。
ウンチを引っかき回す子供のエピソードは、保母さんのお話。
「他人様の子供を預かって、可能性の芽を摘んだらどうしよう」と畏れるのは、
真摯な保育者の態度なのだろう。
しかしウンチを引っかき回すことを止めていれば、
人間のお医者さんになっていたかも知れない。
ウンチから目をあげて木を見て、植物学者になったかも知れない。
仮にウンチを引っかき回す子供を止めて可能性の芽を摘んだとして、
別の芽が伸びることは考えられないか?
大きな実を付けるために、摘むべき小さな実もあるんじゃないか?
審判は野球をプレーできない。
全編通して、そんなことを感じた。