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好きな人の本棚ちゅーのは気になるもんです。で、中島らも氏の書評…というか本に関するエッセイ。読んでる本のラインナップだけで頭の良さ&脳みその複雑さが垣間見れます。少しでもソレを吸収したくておんなじ本読んだりしてるけど、きちんと反映されてるかどうかは不明(笑)
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一つ一つの話が短くてとても読みやすい。彼の好きな本について多く書かれてて、どれも読みたい!と思ってしまう。いくつかはメモしました(笑)取り敢えず「毒薬」を探そーと思います。
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2003/12/09何だかどっかで読んだような話ばかりで、挙句には文庫のあとがきなんかでページを埋め合わせするようでは、最早、焼きが回ったとしか言えない。チャーハンをおかずにライスを注文する話なんか10回くらい他の本で読んだような気がする。冗談ではなく、ドラッグとアルコールで脳味噌がトコロテン状態なのだろう。
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中島らも氏の本を読むのはこれがはじめてでした。
他にも有名な本はあるのに、なぜこの本を選んだか、それは偶然ですが、あえて理由をあげるなら、タイトルが気に入ったから。
中身については、似たような内容も反復もあったけれど、おもしろかったです。
いかにはちゃめちゃな生活をしていたかということがわかります。
また、どんなことを考えて、どんな風に感じていたのか、その断片が埋まっていました。
次はどのらも氏の本を読んでみようかな、と思いました。
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タイトルがいい。表紙もいいかんじ。
中島らもは、あんまし読まないけど、好きになりました。
突拍子もないとこと、あきれるくらいくだらないところ。両方からセンスを感じずにはいれない。
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気負いせず読書を!!
短編になっててとても読みやすい。様々な作家さんがでてきて視野が広がりました。
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中島らもってどうだろうと思って読んでみました。ぶっとんでますね。この人の小説を1つくらい読んでみたいと思いました。
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85
ひょんなことで偶然に出会った人が、結果的には自分の人生を左右することになる場合もある。が、お決まりのコースを順風満帆な進んでいては、こういうめぐりわせに会うケースは少ない。多少どこかに寄り道していなければ、出会いもまた貧弱なものになると思う。
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タイトルがとても好き。
らもさんが亡くなって、もう随分過ぎたなぁ・・・
今でも私の人生の師匠です。
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おもしろかった!
3ページくらいの解説とかエッセイををまとめた本
中島らもの人間性ってすごくすき
あほっぽいけど賢い
自分の感性に触れる単語や文章があって やってくれるわい
色んなほんのなまえがでててどれもこれも読みたい!
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中島らもが読んだ本や作家のコトを書いたり、書評やあとがきを集めた本。
まさに本読みエッセイです。
この本を読まなかったら山田風太郎も夢枕獏も東海林さだおも、なだいなだも読まなかったと思います。
色んな本との出会いを作ってくれた一冊。何度再読したかわかりません・・・
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【諸星大二郎にはまる】p81
おれの私見だが、長編というのは料理でいうなら"煮込み"である。途中で失敗しかかっているのに気づいて味の修正ができる。だから失敗する率が少ない。その点短編は"炒めもの"である。瞬時にざっと炒め上げなくてはならない。素材と火の力(筆力)の勝負である。だから短編の方がむずかしい。炒めもののうまい人が煮込み料理もへっちゃらなのは理にかなっている。
【デペイズマンと笑い】p212
「デペイズマン」とはシュールレアリスムの概念で:あるべきでないところにあるべきでないものが出現することによるインパクト。
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セリーヌがよみたくなった。本の話が多い一冊。「本当人との出逢いは、運命だ。偶然、手にしたように見えで、しかるべき人に、しかるべき本が巡りあうようにできている。」今の自分が、らもさんに出会えてよかった。
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震災の置き土産
ずらりと並んだ美装本の背表紙を眺めてにたりと笑う趣味は俺にはない
オレは本という[物]がほしいんじゃなくて、中身が読みたいんだ
らもさん以外にも似たようなことを
仰る方がいらっしゃたしそれを聞いてきた。
ただ自分の中であんまりよくはないこと」
だというのがわかっていながら
抗いながら認めないように
体全体で拒否しようとしていた
本をたくさん読まなきゃ、読んだほうがいい
そういって本棚を飾っていったのは事実である
ただこれから質の読書に変えていきます」とすれば
量が必要になったときに、自分で閉めた帯のせいで
過度に締め付けすぎてしまうようになりかねない
量を経験すること、質も経験すること
体験すること、質と量を生きること
量をたくさんつんで得たものは非常に大きい
挙げればきりが無いし、銘銘によって相異が激しいはずであるが、一番感じているのは、
己の視野の狭さを教えられてそれが死ぬまで続くということを認めるのが大切だって気づいた。
学問という分類で見ても、NDCという分類で見ても、
歴史(時間)的分類、地理的分類で見ても
おそらく可能なのは概略と幾らかの深みにはいることができるだけあり、
全知などというのは夢でしかない。
にもかかわらず、全てを知った気でいては
ソクラテスや真矢先生に怒られてしまいそうだ。
謙虚という言葉にすれば、少しニュアンスが違いそう
なんという言葉を与えればいいか今は考えがつかない。
読書という行為は一般(大衆)的にはいいことという空気がある。自分もその思いで読書を始めた。現代の読書への入り口はおそらくそのようなものだと思う。
きっかけというものがないと、
やっぱり人はそう感嘆には始めない、
始めようという動機が生まれてこない。
入っていく世界が本当に奥まで入っていいかなんて
行った人しか生きれない、虎刈りですな。
ただ、
門をくぐって敷地内に入って一番最初に目に付いたものを見に行く分はいいが、自分がどの枠内のどの位置にいるのかを見落とした言動は慎むよう心がけないと天狗にとどまってしまう。
そうはいっても天狗になることは避けられないのかもしれない。深みに入っていかなければ中途半端に留まるだけ、超えてみることのできる世界は閉ざされたままで終わってしまう。天狗になることを目標にやっていく上で
伸びに伸びた鼻を何度も折っていく。そうやって鼻はだんだん伸びにくくなってくれるかもしれないし、また自分がそのような状態に陥っているという状態の変化に無意識に目がつくように慣(成)れるかもしれない
本を主として物理的媒介物として見続けていると
たくさんの本があるというだけで満足してしまう私
家の中から本を追い出しても、この心情のままでは
図書館に行っても二の足を踏むであろう。
目的をなくして今の状態では
また手段がそれに取って代わり、���人に
再び陥ってしまう。
主題のある読書をしよう。
質も量も必要でしょう。
調査からはじめるか、inspirationを待つか
ただ、本という世界はなかば現実と切り離された世界であるがために、現実の把握をおろそかにしないよう
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著者の人生を彩ってきた書物との出会いを、愛をこめてつづっているエッセイ集。
下記が印象に残りました。
・CFというのは、起承転結でいえば「転」だけを見せるものだ。残りの「起承結」は、受け手の想像力にゆだねるのである。そうすれば何十回見ても飽きのこないコマーシャルがつくれる(P92)。
・いまの自分の「中年具合い」というのはけっこう気に入っている。年々、ものがよく見え、よくわかるようになっていく気がする。自分が刃物だとすると、年々切れ味の鋭さは鈍っていくけれど、自分の使い方の技術は少しずつわかってきたような(P204)。
・自分自身の笑いを一時期「デペイズマン」という一言で片づけていた。デペイズマンとはシュールレアリスムに使われたひとつの概念で、「あるべきでないところにあるべきでないものが出現することによるインパクト」(P212)。