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『出アメリカ記』(正木高志著、雲母書房、2003年発行)にこの星の現状をうまく表現している文があった。
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かつてどこまでも草原の広がるヤギたちの大地があった。ヤギはやわらかい草を腹いっぱい食べてまるまると太り、子どもを産んだ。子孫が増えるにつれて、ヤギの群れは大きくなり、草をもとめて移動するようになった。草を食べながら北へ北へ行くと、ヤギたちはある日青い海を見た。また南へ進んでいくと、そこにも海があった。東にも西にも海があった。そうやってヤギたちは無限に広いと思っていた草原が、ほんとうは有限の島だったことを知る。しかもヤギの頭数はどんどん増え続けた。
ヤギたちのあいだに危機感が深まり、科学者が研究してみると、増え続けるヤギがこれまでのスピードで草を食べていけば、草は根まで破壊されて再生不能になり、ヤギ社会は存続していけなくなることが明らかになった。レポートは最後に「もしわれわれがこれまでのようにやたらと草を食べ根まで食い尽くしてしまうようなライフスタイルを改めて、草の繁殖につとめ質素に暮らし残された資源をみなで分かち合うならば持続可能な道が開けるだろう」という見解を述べた。
(聡哲補:ここでいうレポートは『成長の限界』(実業家、政治家、科学者などからなるローマ・クラブが1972年に科学的未来予測として発表されたもの。『成長の限界』(D・H・メドウズ他著、大来佐武郎監訳、ダイヤモンド社)、『西暦2000年の世界』(1980年発行)など)
(中略)
増えすぎたヤギたちは、島の草が少なくなったからといって、自分が食べるのを遠慮したりはしない。食べるのを控えて体力が弱まれば、競争に敗れ、テリトリーを追われるかもしれない。だから危機が迫れば迫るほど、ヤギたちは角を立て生き残りをかけて残された草を奪い合うようになる。
しかしそれでもあるヤギたちはこれからもずっとこの島に生きなければならないのだからと考えて、人生の「価値観と目標を変更し」ようと努力した。彼らは「必要なのは愛だけだ」と考えて『イマジン』をうたったが、他のヤギたちは見向きもしないでせっせと草を食べ続けていた。
また別のヤギのグループは食べる草の量をみんなで15〜20%ほど削減し、産児制限をもうけよう、という実際的提案をした。彼らは何度も会議を開いてグループ間の利害を調整しようと努力したが、大多数のヤギたちは知らん顔をして、以前より痩せてしまった草をつましく食(は)んでいた。
また肥えて色艶のよいグループがあって、彼らはこんなふうに考えた。「なるほどたしかに草には限りがある。しかしわれわれ白ヤギは神に選ばれたエリートであって、無価値な黒や褐色や黄色のヤギとは違う。われわれはこれまでの豊かなライフスタイルを変更するつもりはない。われわれは成長を続けなければならない。なぜなら成長をとめれば、他のヤギたちとの経済競争に敗れてしまうだろう。そんなことになればわれわれにどんな運命が及ぶか分からない。どんなことがあってもそんなはめに陥ることだけは避けなければならない。危機に乗じて島を支配すればわれわれだけはこれまでどおり豊かな生活を持続することができるはずだ・・・・・
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もうお分かりだと思うけれども上の“肥えて色艶のよいグループの価値感”を国策として推し進めている中心がアメリカである。正木高志氏はそのような“自分だけ勝ち残る思想・思考”からの脱却という意味で書名となっている「出アメリカ記」という言葉を使っている。アメリカという土地から出てどっかへ行く紀行記かなと私は読む前は思っていたんだがアメリカ的価値観からの脱却という意味だったんだ。
この“アメリカ的価値観”にどっぷり漬かっているのがこれまでの日本なんだけどその揺り戻しの芽が昨今のこの国で燎原の炎のように広がりつつある“精神世界への探求の旅”なんだと思う。“物から心・魂への興味の移行”はそのまま“物欲から精神的成長への欲求”にシフトしていくことに繋がる。図らずもわたしたちは正木高志氏の勧める「出アメリカ記」への道を着々と歩んでいるのではないだろうか。
きのうの須藤元気さんゲストの「オーラの泉」の中でも美輪明宏氏が「世の中が物欲から精神的な愛、慈悲への欲求に変わっていっている」と語り、江原啓之氏が「この『オーラの泉』のような番組が成り立つようになったのもこの番組がその流れ(物欲→精神・魂的欲求への変化・進化の流れ)のこま(ゲームの)の一つを演じているから」と述べられていた。まさにそのとおりでしょう。
きのうの「オーラの泉」は実は大きな転換点だった気がする。もちろん毎回登場するゲストの方にも個人的な転換点として番組が作用していると思うのだけれども視聴者であるわたしたち皆についても大きな転換点だったのではないか?
それはこれまでは主にゲストの個人的カルマ救済の色合いが強い(そこからわたしたちも多くのことを毎回学んでいるのだけれども)のだが特に今回は「物→心」「見えるもの→見えないもの」への価値観転換を促す、という意味で大きかったと捉えている。
須藤元気氏を初めて見たのは前に深夜番組で彼がトークしていた時なのだが「プロレスラーが精神世界を語っている!」とびっくりした記憶があり(詳細は銀鷲の要塞に。面白い)、それ以降気になっていて今回のオーラの泉のゲストを楽しみにしていた。
予想通りというより予想をはるかに超えて精神的に深い人だったのだけれども、彼が前にその番組で「人間の身体という物質はE=mc2という魂というエネルギーでできているのですからフィジカルトレーニングだけでは強くなれない。だから自分はいつも魂を強くすることを心がけている」と語っていた。そして今回も「口に出すことでものごとを現実化していく、ありがとうを始終言っていると最初は心でそう思っていなくてもだんだんこころからそう思うようになる」などエネルギーや“気”の大切さを語っていた。
番組全体としては精神性が深い話が多くて(会話数も格段に多いかも)画面下のテロップがなければ何を言っているかわからないくらい高度な内容だったと思うんだけど(これは「オーラの泉」の内容を記述してくださっている星が生���れて消えるまでのkanonさんが思いやられます・・・)、今回の放映も物質から精神への転換という点で大きな意味があり、多くの方々の潜在意識に刷り込まれていくことだろう。
アメリカ的価値観で勝ち組、負け組と騒いでいる風潮もあるけれどもその下でしっかり次世代的価値観である“精神性・霊性・魂性優位の価値観”が江原氏が言うようにこれら「オーラの泉」のような番組がジグソーパズルの1ピースのような役割を担うことで育っていると思う。そして自分なりの視点でこのようなブログを書くことでぼくはぼくの役割を担っていると思いたい。