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読書日記。
読んだつもりで実はまだ読んでなかった本のひとつでした。
ふしぎな散歩がいろいろ。
たゆたうように読むのに向いている。
主人公(作者?)は眼となる。
その眼はずりずりと徘徊しながら、ものごとの表面を眺め、どこか奥の方にもぐりこんでいく。
そのずりずりした愉しみ。
★目まいのする散歩
何が描かれているかというよりも、雰囲気を味わうのがいい。
いい言葉もたくさんあるのだが。
ぼんやりとして、ものうい感覚。
人生の終末を予感させる寂寥感。
そして、どこかあきらめたような軽み。
「すべてのことは、たいがい無事にすむものだ」と、いつも通りの結論に達した。そして、散歩というものが、自分にとって、容易ならざる意味をもっているな、と悟った。(p.11)
あたり一面に、調和のとれているくせに何か神経を焦らだたせるざわめきが、みちひろがっていた。その焦らだつ神経は、私が生まれたときから維持されていて、地球上のざわめきと連絡のある、貴重な手がかりらしかった。(p.18)
★笑い男の散歩
老学者と私は顔見知りなので、あいさつを交わすが、そのあいさつもお互いにどことなく頼りない。(p.30)
★貯金のある散歩
★あぶない散歩
★いりみだれた散歩
★鬼姫の散歩
★船の散歩
★安全な散歩?
(2009年12月10日読了)
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富士日記のあとがきで紹介されていた本
泰淳の視点での百合子さんが描かれているため、富士日記を合わせて同時に読み進めている
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泰淳氏の文章のリズムは、百合子さんのそれとよく似ているなあ…と思った。
この作品も、口述筆記で、百合子さんが原稿用紙に書き写した物らしい。
長年、泰淳氏の作品を口述筆記して、そのリズムが百合子さんに染み込んでいったのだろうな…と思う。
百合子氏が『犬が星見た』に書いたロシア旅行の様子も書かれている。
泰淳氏にとっては、海外旅行も"散歩"なのだ。
最近は"散歩"の専門雑誌も出ているくらいで、近所を歩く程度の物を散歩というのはおこがましくなった。
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個人的な趣味だけど。人が散歩している映画。あるいはそのシーンが好き。ひとことで言ってしまうと人間の哀愁なんだけれど。武田泰淳の散歩は一見するとおいしいものやなつかしいものを眺めながらの気ままな散歩にみえるけど。彼はこの散歩に命を懸けている。哀愁って気持ちの強さから零れ落ちてくるものなんだろナ。
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自分も散歩が好きなので、なんとなく話に共感が持てた。
様々な散歩が紹介されていたが、自分も、年を重ねても、穏やかに散歩をしていたいものだと感じた。
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作者晩年の随筆、回想。
本人が狙っているわけではないユーモアが面白い。
口述筆記だが、積年の重みがあって一篇ずつドシンと来る。
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散歩の視点が変わってゆく。
泰淳からみた百合子さんの視点。
奥さんの視点で奥さんの日記の記憶から書いている記録がなんだかよい。
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笑えるポイントはほとんど百合子さんの話だったな
幼い花さんのうんこに纏わる話も笑った
ロシアに行った時の話を、泰淳の言葉を通して見る百合子さんの姿として書かれてあってなんか面白かった
百合子さんが筆記してるから、文を読んでると、泰淳と百合子さんの2人の声が聞こえるみたいでいいなと思った(病気だったからよかないだろうけど)
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小説というよりはエッセイである。8つの散歩であるが、一続きのものである。自分の住所の変遷、ロシアへの旅行など、住まいを変えたところのアパートや寺などを書いているので、都心に住んでいる人にとっては面白みがあるであろう。
高橋源一郎の小説家になるために、という本で推薦されている1冊である。