投稿元:
レビューを見る
海外にこれから行くという家族に1冊プレゼントしたい本です。バイリンガルにしたいと安易に英語に触れさせる人が増えているようですが、その危険性を帰国子女を通して訴える1冊。私の言いたかったことをすべて言葉にしてくれたといえるような本。
投稿元:
レビューを見る
早期英語教育が流行っていますが、
かくいう私も教材ほしい病にかかったひとり。
でもこの本を読んで、何が大切かを
再認識させられました。
すべての英語育児ママに。
投稿元:
レビューを見る
タイトルに興味を持ち読んでみました。内容は英語育児を完全否定しているものではありません。終章には英語育児をしている親に向けての前向きなアドバイスもあります。母国語の大切さ、改めて考えさせられました。加熱する英語育児を違う角度から見て書かれているので、考えさせられる事が多々ありました。
投稿元:
レビューを見る
早期英語教育がはやっているけれど、ホンモノのバイリンガルを育てるのはそんなに簡単なことじゃないんだというのがよくわかりました。私個人も、昔から英語に親しむように教育され、結果がたいしたことないのでわかってはいましたが・・・。自分の英語に悩む人、子育てしてる人が読むといい本です。
投稿元:
レビューを見る
英語は小さいときから学んだ方がいいと思っていた私はガツーんときました。
誤解しないで欲しい。英語がだめだと言う本じゃありません。英語を教える前に読んで欲しい1冊です。その中に本の読み聞かせはいいと書いてあります。関心のある方は是非読んでください。
投稿元:
レビューを見る
海外に住むだけで、国際感覚は身につくわけではないということがよくわかった。これは、自分が子供を育てるときにまた読んでみたい本。特に、最後のわが子の英語力育成計画というものは参考になりそう。ちなみに今の時期、18〜22歳頃はいちばん英語学習にお金をかけるべき時期らしく、個人レッスンや留学体験をしてみるのがいいようだ。また、英語で発信する中身として、専門知識を身につけるのも大事らしい。
投稿元:
レビューを見る
自分がリードをとって☆英語でもこそだて☆として進めていくには、ある意味危険な部分も常に忘れずにいたい。手元において読んでます。
投稿元:
レビューを見る
母国語の日本語自体が怪しくなっている昨今、子供の時代に母国語を徹底的に叩き込むほうが先。語学産業が喜ぶだけで、子供には何の役にも立たないどころか、弊害だけが残る。本書の通りです。
バイリンガルにするならともかく、ツールとしての英語なら中学以降で充分だと私も思います。
投稿元:
レビューを見る
グローバル社会の到来によって、子を持つ親は自分の子どもをバイリンガルに育てたいと考えるようになった。しかし、現実にはバイリンガルではなくセミリンガルのレベルの言語しか身につけていない子どもに育つという悲しい現実が待っていた。どうすればバイリンガルの子どもが育つのか?バイリンガルに育った子ども自身の苦労と親の固い決意を綴った本。
大切なのは中身である!改めて私に英語を勉強する気を無くさせた。日本語だったらいくらでも語ってやる☆☆
投稿元:
レビューを見る
この本を読んで,これまでいろいろ誤解していたなあ,と反省しています。
これまでも安易に子どもに英語を教えるより,日本語をきちんとして,と訴えてきました。とにかく自分の国語を大切にすることだと。英語を話せると確かにかっこいいし,外国人と話をして得をすることもあるでしょう。しかし,それよりも中身が大切だよ,と。
でも,この本では,それだけではない面を見ました。たぶん多くの人はぼくと同じように誤解をしているのではないでしょうか。
● わが子に英語を習わせたいと考える親のほとんどが、自分が英語嫌いになったり、英語力を身につけられなかったりした原因は、自分の受けた学校英語教育にあったと考え、さらに、乳幼児期から英語を教わらなかったために、自然に英語力を獲得する機会を逸したと悔やんでいるのではないだろうか。
( はい,ぼくはそのように悔やんでいるところがありましたね。ただ,子どもができなかったから,それで子どもに英語を,とはいかなかったけど,いたらたぶん考えたでしょう )
● しかし、ここに「甘い幻想」が生まれる素地があることに気づかなければならない。たとえ母語とともに外国語を学習する能力が子どもに潜在的に備わっているとしても、「動機づけ」「適切な環境」「適切な方法」のすべてがそろっていなければ、バイリンガルとして育たないという認識が抜け落ちている。
( はい,抜け落ちていましたね。もっと簡単なものだと思っていました)
● 私は、アメリカで育った日本人駐在員の子どもたちとの関わりを通じて、英語環境の中にどっぷりつかることで、ネイティヴ並みの発音で日常会話はできるようになっても、なかなか十分な読み書き能力は身につかない、母語である日本語の力を育てるのが難しい、母語喪失のりスクを負ってまで獲得した英会話の力も日本に帰国して使う機会がなければみるみるうちに失われていく、といった事例に数多く接してきた。この経験から、いくら早い年齢から子どもに英語を教えたとしても、並大抵のことでは、母語・外国語ともに、「話しことば」だけでなく、「書きことば」でも優れた能力を発揮できる、バランスのとれたバイリンガルにはなれないことを痛感した。
( バイリンガルって大変なことなんだなあ,とつくづく思います。 英語だけでなく母語の日本語も難しい )
● 日常会話レベルを超えて英語を使いこなすようになるためには、ある時期にー定期間英語漬けになって相当の訓練をしなければならない。と同時に、言語の違いに関係なく、論理的に物事をとらえる力、相手にわかるようにきちんと説明する能力、そして説明に値する内容のすべてを備えていなければ、高度な語学力は身につかない。英語を使って読み、書き、聞き、話せるようになるためには、単に子どもの時から始めれば済むわけではなく、英語自体の訓練以上に、思考力を高めることと伝えたい内容を持つことが大切であることを、私はアメリカで英語を身につけた日本駐在員の子どもたちに教えられた。
( 「思考力を高めることと伝えたい内容を持つことが大切である��と」については,そう思っていました。しかし,こんなにきびしいとは思わなかった )
● 「僕のことを帰国生だとわかると、僕の人格なんてまったく消えちゃうんですよ。帰国生だから英語がしゃべれるんだね。帰国生だとアメリカ人の友だちもいっぱいいるでしょう。帰国生は入試で優遇されるからラッキーだよね。自分の意見をはっきり言うなんてさすが帰国生だよね。すべてがこんな感じです。帰国生という環境に偶然生まれたことで、僕の人生が決まったとみんな思いたいんでしょうね」
( ぼくもそのような傾向がありますね。帰国生に知り合いはいないけど,外国に住んでいた人は数人知っています。英語使えるのは当然でしょう,という感じのことを言ったかもしれない。反省。反省 )
● 私は、多くの帰国生と出会ってきて、幸一君のようにサバイバルできた例は、一部に過ぎないことをまざまざと見せつけられてきた。幸一君とまったく同じような状況で育った子が、結局、英語もうまく使えるようにはならず、日本語も中途半端なまま日本に帰国し、それを恥じた親が、アメリカに駐在したことをひた隠しにしたというケースも多い。私の心の底には、うまく救い上げることができなかった子どもたちへの思いが沈んでいていつまでも消えることはない。
( 英語圏に数年住んだら,みんな話せるって思っていました。一部にすぎないんだ )
● 帰国生に対して、日本での教育体験しか持たない人たちは、自分にもあの環境さえ与えられていたら、英語もマスターでき、いい学歴を獲得するにも、就職するにも有利だったろう という感情をどうしても抱いてしまう。帰国生が外国で苦労したといっても、自分たちだって日本で苦労したという気持ちがある。海外駐在員の家族は、現地で優雅な生活を送り、1いい思いをたくさんしたのだから、同情する気にはなれないと理解を示そうとはしない。
( はい,まさにそういう気持ちを持っていました。いいなあ,というあこがれがありましたね )
● 道代さんのように、相手の期待する「帰国生らしさ」に見合うだけの英語力を持ち合わせていないと感じた時に、日本に戻ってから、わざわざ努力して、そのイメージに近づこうとする帰国生は多い。帰国生自身とそして彼らを取り巻く人々との共同作業によって、「帰国生らしさ」という幻影はますます強固になっていく。
( 人の期待にこたえたいという気持ちが起こるのは,とても理解できます。ただ,それができてうまくなった人はいいでしょうが,それに押しつぶされてしまう人もいるのでしょう。かわいそう。 )
● オーストラリアの言語学者ギボンズは、「遊び場言語」と「教室言語」との二種類の言語があることを示した。
「遊び場言語」とは、子どもが友だち同士で会話をしたり、一緒に遊んだりする時に使う「日常会話のための言語」である。目に見える具体的な場面で使用されることばなので、言語以外の、表情や動作、声色などの手がかりを利用できる。したがって、省略されたり、不正確な表現があっても、理解可能なのだ。
それに対して、「教室言語」は、先生が教科内容を説明する際に用いる「教���理解のための言語」である。教科書に使われている「書きことば」はまさに「教室言語」だが、「話しことば」も、論理的な説明や議論、問題解決の筋道を説明する際に使われる。このことばは、抽象的な思考のために使われるので、言語以外の手がかりを利用することはできず、正しい語彙を用い、文法的にも正確に表現しない限り、相手には通じない。
( これは感じていました。そして現在行われている会話中心の英語教育は「遊び場言語」しかできないようにしてしまう。文法をきちんと教えましょう,というのは,そういう意味だと思います。 )
●「日常会話言語」を習得したしベルに甘んじてしまい、「教科理解言語」をないがしろにしたままだと、子どもは、日本語も英語も「教科理解言語」の面で不完全な状態、いわゆるセミリンガルになってしまう。子ども本人もそして親も「英語がぺらぺらになった」と思った時が、実は正念場なのであ る。
( セミリンガルって初めて聞きました。でも,一見するとセミリンガルをバイリンガルって見てしまうのでしょうね。でもどちらも不完全では,それからの人生,大変です。)
● 「せっかくアメリカに来たのだから、子どもに英語を身につけさせないで帰るのはもったいない」と安易に発言する親が多かった。しかし、それは、大人の自分勝手な発想に過ぎない。英語を身につけながら、日本語を維持することは並大抵のことではない。比較的低年齢からアメリカに来ているのに英語力の伸びが芳しくない場合や、日本でもあまり読書習慣がなく、豊かな日本語体験があったとはいえない場合、英語も日本語も両方ともセミリンガル状態になる可能性が高いので、まずは母語である日本語の力を養う指導に重点を置くべきであろう。
(同感です。この本を読んでさらに強く思うようになっています)
投稿元:
レビューを見る
英語を「安易に」子どもに教えるな、という主張。
早期英語教育に対する幻想を打ち壊す一冊。
語学習得のむずかしさを改めて感じた。
現代の早期英語教育に警鐘を鳴らすとともに、
理想的な教育法を提示してくれる☆
批判するだけじゃなく、細かく提案をしているところがイイ。
投稿元:
レビューを見る
ラボとは全く関係のない方の声。
でもラボ的な考えが合ってると、
また思考を整理できました。
勝手にラボママ必読にします
投稿元:
レビューを見る
[ 内容 ]
英語も日本語も身に付かない「帰国生」を数多く指導した経験をふまえ、著者は早期教育の現場をルポし、警鐘を鳴らす。
国際社会を生き抜くために必要な力を問い、それを養う方策を提案。
[ 目次 ]
第1章 在米日本人子女と過ごした一三年
第2章 セミリンガル化する子どもたち―母語喪失の危機
第3章 バイリンガル幻想を検証する
第4章 日本で進む早期英語教育の実態
第5章 外国人との「対決」が育む国際感覚
終章 親が留意すべき10のポイント
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
投稿元:
レビューを見る
英語の早期学習が盛んになる昨今に警告!
大切な子供が将来苦労しないために
英語を学習させる?
どんな人間に育ってほしいのか、そのために
必要なことに時間をかけているのか?
情報化社会で流されてしまい、気づかないこと
に気づかされる一冊。
子供への読み聞かせの大切さ、日本語で論理的に話すことの大切さ
を知ることができる。
投稿元:
レビューを見る
アメリカで日本人向け塾をしていた人の本(確か)
海外行けばバイリンガルになれるとか、インターナショナルスクール行けば・・・
と思っている事に対して、実例込みでそんなに簡単になれるもんじゃ無いと言う事と、して失敗例、成功例を挙げている。
子どもの教育について考えさせてくれる良い本だったと思う。
英語聞かせるのは程ほどにして、先に母語での抽象思考を身に着けていただこう。