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ゲド戦記シリーズの別巻。
日本では2004年5月に出版ですが、米国での刊行は第5巻の「アースシーの風」より、こちらが先だったそうです。
ここには、既に一度出版されたものを含めて、アースシーを巡る5つの短編が集められています。
それらは、ロークに魔法学院が出来るまでの物語であったり、自分の力をどう使ったらいいのかが判らない青年と少女の恋物語であったり、或いはゲドをめぐる何人かの魔法使い(あの懐かしいオジオンも登場します)の物語で有ったりします。
これは「帰還」と「アースシーの風」の隙間を埋める物語たちなのです。
「ゲド戦記 影との戦い」を初めて読んだのはニ十代の半ば、ちょうど結婚した頃だったでしょうか。以後三十年ちかく、私はこの物語の行方をずっと追いかけてきました。長い長いインターバルを置きながら、4巻の「帰還」で 「そして二人は幸せに暮らしました」 と終わったかに見えた物語は、「アースシーの風」で また違った表情を見せました。
「ハイタカ」と言う名の魔力を持った青年の自分探しの旅に始まった物語は、徐々に姿を変えていき、子供のためのファンタジーは大人の女のための物語にもなったようです。
第一巻では巻末に「小学6年、中学生以上」とされていた記載が、この5巻にはないことが意味深く思えます。
今、この巻を読み終えて私の心に深く残っているのは、作者による前書きです。
この前書きの中で作者は、今ファンタジーがどうしてこんなに愛されているのか、人がファンタジーに求めるものは何なのか、を、慈しみ深い、けれど鋭い言葉で語っています。
そして描かれた物語世界は静かな信頼と悲しみに満ちているようです。
この作品で、この物語は終わるのでしょうか。それとも・・・・
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始まりにはやっぱり女の人もいるんだね。
と言うことも分かる外伝。
オジオンが若い頃やその師匠の話も好きだけど、個人的にはトンボかな。
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「わたしに教えてくださるべきでした。そうしたらお別れが言えましたものを」
師匠の若い時代、ゲドの諸国悠々時代、魔法使いが女性を愛せるのかというテーマ、ゲド戦記の外伝的物語が贅沢に詰まっている!
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読むのに多くの時間が掛かるぐらいのボリュームある本ですが、その分読んだ後理解が深まり達成感もありました。
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今までのゲド戦記の中で語られていなかったことが補充?みたいな感じで書いてるような本です。
あ、なるほど、と納得したり、ここが、本偏のここにつながるのかぁと思ったり、また本偏が読みたくなるような1冊です
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なんで出版社はアースシーの風の前に外伝を翻訳しなかったんだろう。ル=グウィンは外伝を先に出したんでしょ。最後のトンボは先に読みたかったなぁ。絶対そのほうがアースシーの風が楽しめる。出版社の考えがわからないよ。
中身は結構おもしろかったです。オジオンの師匠の話とかもあって。
2008/2/25
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「地の骨」に涙、涙。人知れずに行われた高尚な行為―ヘレスにはそのような意識は微塵もなかったであろうが。そんなヘレスの性格、思想が、短い章のなかに、くっきりと浮かび上がる。そして、若き日のオジオン。オジオンのあの最期を知ってしまったあとだけに、懐かしくて胸がつまる。
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ゲドシリーズ初期3作の勢いは姿をひそめ、4巻以降は人間を見つめる内容になっている。
もともと戦記と言っても、それは暴力的なものではなく、自己と他者の許容や葛藤、生と死などについて描かれているが、
「帰還」からはよりその傾向が強い。またこの外伝によって、物語の世界の裏打ちがされ、ゲドやその周囲の人々、アースシーの世界に生きる人々を浮き上がらせてくれる。
時間をおいてまた読みたい。
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知りたかったと言われれば知りたかったけど、
憶測でよかったともいえる話も含まれてたりで・・・
まぁ、でもココまできたら読むでしょう。
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外伝を先に読むとよいという情報を得て,読んでみました。
「カワウソ」と「地の骨」が好きだ・・・。
「カワウソ」は前半はすごくハラハラ冒険活劇です。
アニエブの村に戻るところは泣ける・・・。
でも,女だけの島だったはずのロークが,どうして男だけの
魔法使いの学院になったのか,その謎はとかれていないですな。
「地の骨」
沈黙のオジオンのお話。
これも,最後が泣ける。
すごく好きなお話です。
「トンボ」
竜と人のお話。つまり,TEHANUとの関わり・・・?
それから,まえがきの最後の行が好きです。
「竜がなにもであるかなど,誰にも説明できない」
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本編を読んでいる人には馴染みの名前もちらほら出てきます。
本編の後半よりもむしろ、個人的には面白かったかな。
オジオンやゲドが出てきたのか、個人的には嬉しかったです。
魔法使いと魔女ってそんなに違うの? と思う。
世代とか環境の問題なんだろうけど。
そういうのは差別だ!と思う世代なので。
振り返ると、シリーズ1巻が一番面白かった。
2巻もまぁ面白かったけど。
3巻も面白かったか。
やはり年数があきすぎていて、作者のいろんなものが変化しているというのが
大きいのかも知れない。
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図書館から借りました
ファンタジー。魔法物。ゲドより前の話や、ゲドが大賢人であったころの話。短編集。
一方的に「男の世界」に傾いていた天秤が。(一巻~三巻まではそう)
バランスをとるためにか、「女の偉大さ」に振り子のように傾いた感じですか。(帰還からは生活に根ざして、女性賛美的になった)
ロークができるまで。
ロークが女を排斥した理由。
暗黒時代。
オジオンと師匠の話。
そんなのが載っている。
オジオンの師匠が地震を食い止めた話はよくよく聞くので、ああこれが、と思う。
こんな風に犠牲になっていようとは。
トンボという名の少女の話。
原作にはまんま「ドラゴンフライ」らしい。彼女と、魔女のバラとの友情とかはほんわかとしている。彼女は誰とでも友達になれる感じがする。そしてロークに行って、死の国から帰ってきてしまったトリオンに引導を渡して、竜になる。
ああ、ラストだなあと思いながら読んだ。
アースシーの風より先に、こっちを読んだ方がよかったのだなー。
トンボ→アイリアンは、アースシーにも登場するから。
大変美味しい物語群でした。読み終わってしまったなー。あーあ。。
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ついにこれで最後のようです。やっぱりVより先に読むべきだったかなぁ。様式って原文は何になっているのだろう。
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小説は人生よりも少しだけ説明が付帯されるけれども
それでも同じで見えたところだけで全てを判断し
自分なりの想像でつなぎあわせ物語に仕立てるものだ
そんな好奇心を掻き立てる隙間を埋めているのが
この五つの短編と用語集的な解説からなる外伝である
本来の出版順ならば四巻の後にコレが挟まって
五巻を読むのが筋なのだろうが
何故かニホンでは最後に外伝を読めということらしい
このいかにも西洋風なメルヘン小説は
童話と言う世界を借りて
自然とそれを所有支配しようとする「男社会」の現実と
その矛盾を解き明かそうとしているようだ
パラドックスによって生み出されているこの世をとらえ
どうあれば皆の対等性と自在性を保つイジメのない
五分五分の冒険を愉しめる環境を取り戻せるかと
試行錯誤している物語だと読むこともできるだろう
翻訳とは思えないほどに日本語だったしその解釈も深く
愉しんで読むことができたのだけれども
主語化された述語が重なることが多く
そのテニヲハが文の流れを壊していたような気がする
名言:例えば
掟は破られるためにある
不正が掟をつくり
勇気が掟を破る
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物語の中の時間で言うと、第4部と第5部の間に読むのが良いのかも知れない。
しかし日本での刊行順は第5部が先。
まえがきは作者が「ゲド戦記外伝」を書くにあたってのエッセイのようなもの。年月をかけて作者も物語ない世界も変化するんですよ、ということが語られる。なお、この喩えとして「ドン・キホーテは馬に乗ってアルゼンチンまで出かけ、ボルヘスに会った」と語られていた。ボルヘス!なんか全然関係ない本でボルヘスの名前がふっと出てくることは何度かあり、本当に文学界に影響を与えた人だなあと思う。
『カワウソ』
ゲドたちの時代は、魔法使いはローク島の学校で学ぶことになっている。このロークの魔法学校ができる前、できた時の話。
カワウソはある魔法使いから掛けられた呪いを外そうとするが、愛する女性を失ってしまう。
その後は身を隠し続け、魔法学校設立にも係ることになった、という話。
物語世界の中での魔法使いのルールや、一般人の暮らし方、そして魔法使いや呪い師の受けた過酷な扱いが語られる。
『ダークローズとダイヤモンド』
高い魔法の素質があるダイヤモンドは、しかし魔法学校で力を磨くことよりも、愛する女性のダークローズとの暮らしを取るのだった。
尊敬されるが人間としての生活や人付き合いを断念する魔法使いになるか、平凡で貧しくとも手に届く範囲の心の安寧を取るか…、ロマンス物語でもある。
『血の骨』
ゲドやテルーの師であったオジオンの若き日の物語。
魔法使いダルスに弟子入りしたオジオンは、師匠とともに大きな地震を防ごうとする。
『湿原で』
村に現れたガリーは家畜を治す呪いを行い、村に留まる。
ある夜宿屋にタカと名乗る男が訪ねてきて、宿のおかみさんに、40年に渡るある対決の話を聞かせる。
それは、ロークの魔法学校で、イリオスという才能はあるが攻撃的な魔法使いが、ゲドを始めとする賢人たちに挑戦を仕掛けて暴れて負けそうになったら逃げ出したという話だった。
「あの人を起こしてきましょうか?」
しかしゲドの目的はイリオスを倒すことではなかった。
そしてイリオスも小さな村で人々の役に立つ呪い師であることが自分の存在だと分かったのだ。
==この短編の語り方が好きなんです。ボルヘスでいうと「敷居の男」のような、他人事のように話をすることで、それは今起きている事実だということを相手に知らせる、というような。
強い素質の魔法使いは、自分の知らない魔法や強い魔法使いに攻撃的にならざるを得ない、というところが因果だなあと思いました。
『トンボ』
女でローク島の魔法学校の門の中に入ったアイリアン。
先に読んだ第5部で出てくる女性のお話。
実は彼女は竜と人間両方である。自分が何者か知ろうとして、新しいことをしようとして、本当の自分を知る話。
後書き『アースシー解説』
ゲド戦記における「アースシー」の世界がどのようなものかの解説。
宗教観、歴史、文字や言語と何故そうなったかの民族的哲学観のようなもの、昔の英雄譚など。