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ブラフマンとはサンスクリット語で「梵」のこと。小川洋子作品では『沈黙博物館』とこれがお気に入り。栗鼠でいいのかなー一番近い生き物は栗鼠であるとおもう。でも栗鼠は泳げないよね。それにしても切ない。愛しい。
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小川洋子の代表作の一つ。何作か触れたことのある、彼女らしい作品だなぁと思う。ただ、結局ブラフマンって何なんだ。手足が短くて、尻尾が長くて、肉球があって、水かきがあるって、それってどんな動物だ。私はダックスフンドしかイメージできなかったぞ。
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●なんだかよくわからん。てのが、小川洋子の正しい感想な気がします。あまり繊細な魂を持ち合わせていない私としては、こう言う、淡々と失う痛みを書いた小品を、芯から味わうことはできんのよ。なんとなく、美しさは感じるんですが。 ●で、ブラフマンてムササビなの? 森の妖精・・・←いやそれはモモンガ? そして動物のお医者さんのアレを思い出す自分・・・・・・。
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出会いがあれば別れがある。必然としてそれは不意にやってきて心を揺さぶり掻き乱し引裂く。タイトルで結末が見えるので幸せな日々が悲劇へ歩みよっているようだった。存在は空気ではなく偶然なのだ
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動物が苦手なわたしに、「ああ、何て愛しい存在なんだろう」って思わせてくれた作品。人間も、犬もね。ほのぼのとした日常が大切に思えた。…でも正直、ラストはちょっと気に入らない…。
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一気に読みました。
ふわふわしてて、この人のお話は本当に優しい。
僕の一人称も好きだし、ブラフマンの可愛さはどうしようもなかったです。
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結末はなんとなく予想できたものの胸が痛む。
ほかの方のレビューでも言ってらっしゃるようにラストにもやもやしてしまう。
でもそれまでの雰囲気なんかは好きです。
ブラフマンがとてもいとおしく感じました。
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小川洋子らしい、ファンタジックな雰囲気と温もりに溢れた作品。
主人公である「僕」とブラフマンへの愛着が、そしてブラフマンの愛らしさが、幾多の表現を用いて存分に描かれる。
「僕」がそれを聞きたいと思いながらも全く鳴き声を発することのないブラフマンだが、「僕」が表情や仕草から読み取ったブラフマンの台詞が何度となく登場する。
その台詞の言葉つきが、何とも絶妙なのである。
自分も実家で犬を飼っているから、動物が、言葉を交わすことはできなくても、表情や仕草でもって、言葉を発する以上のものを伝えてくることをよく知っている。
だから、ブラフマンの台詞に表れている「ぼく」への従順さや、時に自信ありげ、誇らしげなところなどは、小さきものらしい可愛らしさがある。
ブラフマンが、結局何の動物なのか知りたいけれど、最後まで明かされることはない。
しかし、それがかえって物語のファンタジックな雰囲気を倍増させているようにも思う。
一方で、これも小川洋子らしいのだけれど、「娘」やレース編み職人など、登場人物に時折、いかにも人間らしい小さな棘というか毒というか、負の部分が見え隠れする。
ドラマチックな展開があるというわけではないけれど、タイトルがいつか来るクライマックスを予感させるから、残りページが少なくなるにつれて少しずつ緊張してくる。
特にペットを飼っている人、動物の好きな人にとっては、楽しめる作品なのではないだろうか。
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第32回(2004年)泉鏡花文学賞受賞作品。
2008年5月29日(木)読了。
2008−53。
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読み終えた瞬間「わけわかんね〜」と思わず叫んでしまった。
え?なに?何が書きたかったんだ、これは。
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やわらかに一つずつを絞め殺しているようなアイボリーの空気。今の自分の中では毎日を生きていることでただただ失っていることというのがテーマなのだけどまさしくそのつらいことを後ろに隠したぼやんとした毎日がつづられているとおもう。日々のエピソードは幾つも首に絡み付いてあたたかに身を包み、なんとなく締めている、といつも感じているけれど、そのことの狂った気持ちは時間や空気や土地や気持ちのものすごく下層部にあっている。レース編み職人のいじわる、僕の下心、人々の欲望はたんたんときちんとアイボリー色の日々がつづられているのに完全に隠されているけどどろどろと渦巻いている。最後にそういうものが激情と違った形で浮かび上がっているのがすごいと思う。日々に殺されている、生きていることでこんなにも失っている。
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ある朝、ブラフマンは僕の元にやってきた――
ブラフマンと名付けられた、種族の明かされない小動物と主人公、その周りの人々。
乾燥した悲しさがここまで胸を締め付けるとは思っていなかった。そんな物語。
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謎の小動物(結局なんだったのかな…)ブラフマンと、彼を拾ったペンション管理人のほんの短い間の物語。しっとり染み入る系のお話で、さらっと短時間で読めました。小川さんの御本、初めて読みましたが全部こんなに読みやすいのかなぁ…
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何冊か読んだ小川洋子の作品の中で、この本は少し趣が異なる作品だ。小川洋子と言えば「記憶」ということに強いこだわりを見せる作家であると認識していたのだが、この「ブラフマンの埋葬」の回りで巡っている自分の思考の中にそのキーワードに該当するものは無いように思う。
もうしばらく前にこの本は読み終えているのだが、なかなか感想が書き出せないでいる。どうも読み終えた後に良くも悪くも普通ならコップに水を満たすように溜まってくる筈の感情や思考の端くれみたいなものが、一向に満ちてこない。何か見落としているのだろうか、あるいは何かとてつもない勘違いをしているのだろうか、と少し不安ですらある。
確かに、小川洋子は自分にとって読み易い作家ではない。作品が、そして、作者が、余りにピュアであるように感じるので、少し本に熱中してしまっている自分を発見すると気恥ずかしくなるのだ。ぶるぶると身震いをし、こっそり当たりを見回して誰にも見られていないのを確認したくなるような気にさせられることが多い作家なのだ。それでも、これまで読んだ本はどれも何か心の器に静かに溜まってくるものがあったし、特に「博士の愛した数式」はとてもよかった。その純粋さゆえ、登場人物が全て能面をつけているかのような印象になりがちな作品が多いように思う小川洋子だが、この本ではどの登場人物の表情も柔らかく、熱があり、寂しさが滲んでいた。ところが、この「ブラフマンの埋葬」は、どの人物にも表情が、ない。
隔絶された小さな村。かりそめに住まう人々。誰一人として、存在感を持つことのない登場人物たち。最もこれは、小川洋子の好んで描く設定でもあるので、それ自体が格別悪いわけではない。しかし、そこに沸き起こっている筈の感情の波が感じられない。その村にいる唯一の本当の住民。外の世界との接点である雑貨屋。その主人と娘。更にその外側の世界との接点である鉄道の駅。二重三重に守られたその村と同じように、本に登場する人物の感情はあくまでも伏せられている。もちろん、多少の浮き沈みは描かれるのだが、弾力性に富んだゴムの塊をつぶした時のように、それは直に元の形に戻ってしまい、全体を通してあたかも沈黙が保たれているかのような印象が残るのだ。住人たちは互いに慎重に相手との距離を測り、相手の感情を揺さぶらないように気を付けている。まるで、うっかり踏み込んでしまうと、切れ味の鋭いナイフですっと自分の体を傷つけてしまうのではないかと怖れているように。
そんな中で、唯一他人の感情に気を取られることもなく、自らの感情を思いのままに表出させているのが、ブラフマン、という不思議な生物である。それは犬のようでもあり、あるいはまた、地球上の生物ではない未知の生き物のようでもある。しかし不思議なことに主人公である青年はブラフマンの気持ちの波を敏感に感じ取れる。そしてその感情の波に軽く翻弄されていることすら喜んで受け入れている。ブラフマンもまた青年の行為に対して素直な反応を返してくる。青年とブラフマンは密かに心を通いあわせているようだが、実は、それは確かなことではない。単なる幻想に過ぎない可能性もある。
ああ、そういう���となのかも知れない。小川洋子が描いているのは、他人との関係ということなのかも知れない、と今気づいた。
相手と解り合えているかどうかなんて、しょせん自分自身の中での堂々巡りの考えの果てに行き着く2つ選択肢の1つに過ぎないし、それを確かめる手立ては存在しない。そのことを極端に描いてみせたのが「ブラフマンの埋葬」であるのかも知れない。本の中に登場する青年と人とは相手のことを考え過ぎるが故に返って解り合える距離まで接近することなく、相手に感情というものがあるのかどうかすらはっきりしない生き物であるブラフマンとは、何も気にすることなく束の間の「解り合えている」という幻想を楽しむことができる。そして、訪れるブラフマンの死。皮肉なことに、その死は、青年が密かな恋心を抱く雑貨屋の娘と最も接近した時に起きてしまう。
しかし、何か消化しきれない感情の澱が残る。もちろん、そういう澱が残ってもいいのだけれど、何かしら居心地の悪さから逃れられない。いつまでも体をぶるぶると振るわせないではいられない気分がまとわりつく。きっと自分は何かを見逃しているのだろうと、また、思う。
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小川洋子らしい,静かな小説。
やはり必ずしも他の小説では主人公にならない,芸術家達のための別荘というかアパートというか,そういうものの管理人の話。
ブラフマンという謎の生き物の生態が,たまにボールドではさまれているという形式が新しい。
なんてことない話。あまり記憶に残らない・・・