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珍しいよね、こういう語り手。自殺した殺人犯たちの友人が著者。自分の知っていた世界が一変してしまい、戸惑いながらそれを取り戻そうとしているかのよう。人を殺したという行為で、友人だった人間を完全否定するのではなく、耐え難くとも自分にとって彼らは確かに友人だったんだと肯定しようとする語り口に、著者の苦しみがあふれている。
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コロンバイン高校での銃乱射事件…もう忘れてしまった人も多いのではないだろうか。
この本は犯人2人の友人であったBrooks Brownらによって書かれたものである。
何故あの事件が起こったのか、に此処まで鋭い分析が為された本はないと思う。
特に学生の方…必読です。
追加…この本を読んだ方には是非ガス・ヴァン・サント監督の「エレファント」を観て欲しいです。あの事件がホントに日常生活の延長線上に在ったものということが感じられると思います。
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生き残ったクラスメイトの証言という形で、憎悪の果てにでハジケてしまった友人である二人の犯人の事件に向かう背景、その後の彼を取り巻く環境を描いている。帯に書かれた“見えない自由は、どこにある?”の言葉が頭の中をぐるぐるまわる。
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アメリカ、コロンバイン高校で起きた、生徒による銃乱射事件。その二人の犯人の幼なじみが綴る、事件が起きた一日と、そこに至るまでの記録。生々しい証言にはメディアの報道だけでは伝わってこないリアリティを感じる。学校生活そのものがサバイバルになってしまっている事に、胸を塞がれるような思いがした。
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コロンバイン高校での銃乱射事件について、加害者2人とかなり仲が良かった(片方とは幼馴染だった)青年が書いた作品。内容は、コロンバインについて詳しく知らなくても読みやすいものだったが、やはり翻訳は読みづらいと実感。しかも書いた人の年代を考慮してか、若者口調の口語体だから尚更。
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ずっと興味を覚えるのだ、アメリカという国に住む人たちに。映画「エレファント」とセットでおすすめします。
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「エリックとディランは、この悲劇を作り出したことに責任がある。でも、コロンバインにはエリックとディランを作り出した責任がある。」
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なぜ犯人は、自分を殺さず、とっさに逃がしたのか?
「負け犬側の人間」にも気持ちをよりそわせていた少年からみたコロンバイン乱射事件。文章がうまいので、少年はその後作家にでもなったかな・・。高校時代がこんなにも残酷な世界である必要があるのかな。
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銃で学校を「襲撃」した2人の学生の背景(どのような学校生活だったのかなど)、事件後の警察やマスコミの対応など、考えさせられることばかりでした。
この本は先日新聞のコラムの中で紹介されていたので、手にとって見ました。品切れ中とあったので、図書館で借りました。
学校というこどもにとって一日の大半を過ごす場所がどのようであるのか、当事者たちは分かっていても保護者やその他の人たちには全く見えない。
それは当然といえば当然なのだけれども、見過ごされることもたくさんあるし、どのようにしたら良いのかということはずっと考えていくべきことなのだと思う。
また、事件に対して、真実を知る権利は被害者家族はもちろん、すべての人にあって、それが何らかの力によって歪められることはあってはならないのだけれど、それが現実はすごく難しいのだと今更ながら思い知らされる。
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1999年4/20日に起こった、コロンバイン高校での
銃乱射事件について、犯人となった2人の生徒の友人が記したもの。
彼自身警察から容疑をかけられ、根拠のない中傷と戦ってきたが、それらは警察が彼ら自身の無能さを隠すために仕立てた策略だった。
昨日いっしょにランチを食べた友人が
憎しみに満ちて学校へ爆弾を置いた。
同じく昨日まで共に学んだ別の友人は
そいつらの銃で命を落とした。
そんな絶望とも言える状況で、この本の著者ブルックスのとった行動は本当に勇気のある、賞賛されるべきものだと思う。
亡くなった命を惜しんで泣くのは簡単だ。
でもこの事件はそんなに単純なものじゃない。
犠牲者のひとり、レイチェルの両親は、
「私たちはふたりの犯人の親を赦すし、
犯人たちそのものも赦すだろう。」と言っている。
事件のあった頃(そしておそらく現在でも)
アメリカのハイスクールにはびこっているいじめの問題が、この惨事には深く関わっている。
犯人の思想について、日本でもずいぶん沢山の情報が流れた。
ヒトラー崇拝者だとか、卍を身に着けていたとか。
それらは全部事実とは違っていた。
アメリカの中でも情報は錯綜していた。
警察は市民に全ての情報を開示した、と嘘をいった。
ほんとうはそうじゃなかったのに。
ブルックスは本の最後でこんなふうに言っている。
「僕らはこの傷と一生共に生きていく。
僕らはコロンバインから学ばなくてはいけない。」
実はこの事件を題材にした曲を演奏したことがあります。
ギリングハム(アメリカ) And Can It Be?
ウインドシンフォニーのための曲です。
直訳すると「どうしてこんな事が起こるの?」といった感じの題名でしょうか。
個人的に思い入れのある曲なのですが
作曲者の視点もまた、ごく限られた視野からのものでしかないことに、この本を読んで気づかされました。
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プルックス・ブラウンは加害者とも被害者とも最も近かった少年で事件の発端も偶然、目の当たりにしていた。
なぜ2人の高校生が校内の先生や生徒を次々と襲ったのか?一時は共犯の疑いもかけられながら、悩み苦しみながらもその答えを探そうとする著者の心の軌跡が重く迫ってくる。
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「エリックとディランは、この悲劇を作り出したことに責任がある。でも、コロンバインにはエリックとディランを作り出した責任がある。」
実際の大事件なだけに、突き刺さる内容が多い。
けれど、誤字の多さは勘弁してほしいと思った;
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犯人の幼なじみの視点によるコロンバイン乱射事件の全容。幼なじみであるブルックスは非常に微妙な立場に立たされる。
学校の同級生の死そしてそれをもたらした友人2人の死。2人と親しかった、そして最後に言葉をかけられたと言うだけで犯人扱いまでされるようになる。
強烈な事件で印象に残ってはいるが、結局のところ精神をこじらせた若者は何処にでもいる。ただ、銃がそこにあったから起こったことである。
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あれだけの悲劇に見舞われてこの本を書く勇気に感銘を受けた。
コロンバイン銃乱射事件、その時、その後、何が起きていたのか。この本は犯人の友人の目からそれを浮き彫りにしていく。
驚くべきはコロンバインが、米国が重要な真実には触れていない、という点である。
例えば主犯の少年二名は悪い音楽や悪いゲームに感化された、と主張してイジメを受けていた事実には触れていない、など……。
犯人たちが見た風景、他の者が見た風景。
それらが重なり、誰かが声をあげない限り、悲劇の連鎖は止まらないと思う。
本書の持つ「声」は重たい。だが現代を生きる者として必読の一冊だと思う。