紙の本
スコットランドを舞台にした、愛の奇跡の物語
2004/07/13 19:48
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:風(kaze) - この投稿者のレビュー一覧を見る
猫のキャラがとても印象的なギャリコの物語では、『ジェニィ』に優るとも劣らない傑作。初めて読んだのは、もう随分前になりますが、矢川澄子訳の『まぼろしのトマシーナ』(大和書房)ででした。気高さを感じたトマシーナの肖像画、装幀に描かれた絵とともに忘れられない作品です。
久しぶりに再読して、今まで抱いていた作品の印象が変わりました。これまでは、トマシーナという猫が魅力的に描かれた物語と、そのイメージが強くありました。そういう側面もあるのですが、本書の核となるテーマはもっと別のところにあるんじゃないか、これは心に傷を負った男と、彼がこの世で何よりも愛する娘が、愛の奇跡によって救われる物語なんじゃないか、そう思ったんですね。
マクデューイ氏という動物嫌いの獣医が、娘の愛を失って苦悩する姿、彼がひとりの女性と出会うことで人間としての温かさを取り戻していく姿、そんな彼の姿が切迫した調子で描き出されていたところ、そこに本書の一番の読みごたえを感じたのです。
愛するトマシーナが父親の手によって殺された時、「トマシーナァァァァァ!」と絶叫するメアリ・ルー。それ以後、父親を心の中で抹殺したメアリ・ルー。彼女が深く傷つき、この世の中の出来事から心を閉ざすようになっていく姿は、見ていてどうにも痛ましく、やり切れない気持ちにさせられました。
親友のアンドリュー・マクデューイを救おうと、彼の心にそれとなく働きかけていくアンガス・ペディ牧師。《赤毛の魔女》《変人ローリ》と呼ばれる女性とともに、彼の存在が大きかったこと、その人となりが魅力的だったのも心に残ります。
山田蘭さんの訳文、なかなか見事だと思いました。特に、トマシーナが語る章での生き生きとした調子の文章と人称代名詞の用い方に、訳者のセンスの良さ、細やかな気遣いを感じました。
解説は、河合隼雄氏。氏の『猫だましい』(新潮文庫)という本の中でも、この作品を取り上げているのですね。本書を、「ものがたる」ことの名人、ポール・ギャリコの傑作のなかの傑作ではないかと讃えた文章は、読んでいて気持ちの良いものでした。
原題は、Thomasina 1957年の作品。
猫の名前がついた物語では、同じ著者の『ジェニィ』(新潮文庫 ※私が読んだのは、矢川澄子訳の『さすらいのジェニー』大和書房)とともに、深く心に残る、忘れがたい名作です。
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猫が主人公の物語。1950年代に書かれた話らしいのですが、今なお古臭さを感じさせない心あたたまる話。最後にはみごと、絵に書いたようなハッピーエンドです。主人公の猫トマシーナが死んだところからは一気に読めました。ファンタジーが好きな人にはおススメ。
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医者って、病気と向き合ってばかりいて、患者やその家族をないがしろにしていることって
あるよね。マクデューイは、まさにそう。すぐ安楽死っていう最後の手段をとりたがる。飼い主の気持ちなんて、ちっとも考えていない。
きっと、こういう獣医さん(人間の医者も含めて)て多いんだろうな。もっと命を大事にしてほしいって思う。
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スコットランドの片田舎で獣医を開業するマクデューイ氏。獣医でありながら動物に愛情も関心も抱かない彼は、幼い一人娘メアリ・ルーが可愛がっていた猫トマシーナを病気から救おうとせず、安楽死させる。それを機に心を閉ざすメアリ・ルー。町はずれに動物たちと暮らし、《魔女》と呼ばれるローリとの出会いが、トマシーナに新たな魂を与え、二人を変えていく。『ジェニィ』と並ぶ猫ファンタジイの名作を新訳で。
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猫文学の最高峰……といえばギャリコじゃないのか。「トマシーナ」より「ジェニイ」のほうがスタンダードみたいですが、お話の後味のよさは「トマシーナ」のほうが上だったので、こちらを。あとこちらのほうがロマン主義っぽいからかな。猫とエジプトの女神なんてモチーフが唐突に出て面食らう感じもしますが、海外文学の明るい大団円というのがすごくよくて好きです。大団円というとちょっとご都合的なところもでてくるんですが、この話はそういうのがなくて、読み終えた後ににっこり笑える、という話です。
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最愛の友トマシーナを、こともあろうに父に殺されたメアリ・ルーがローリや友人たちに助けられ自分を取り戻していく。父との関係は?
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生と死、愛、偏見、社会風刺など一見子供向きながらその内容の深さには感嘆するばかり。
魔女のくだりが気に入ってます。
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獣医でありながら、生き物全般に無関心で頑なだったマクデューイ。一人娘が可愛がっていた猫トマシーナの死をめぐって、娘との間に救いがたい断絶を招き、愛娘を失いそうな絶望の淵に陥ることになるのですが…。魔女のように言われていた純心なローリと出会ったことで、はては猫神バステトまで登場し、物語は奇想天外な展開をみせます。「ジェニィ」と共にギャリコの作品は、猫文学?の金字塔ですね。
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ジェニィの続編?な香りが致します。
マッケンジ-さんとロ-リのやりとりにきゅう-てなります。
心の移り変わりや心理,安楽死なんかも読める作品。
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ギャリコの猫は上品で強くてプライドが高くて素敵。主人公のおじさんが頑固で非道な人間なのがちょっと。でも最後には神様を受け入れるようになるからいいね。
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本書の存在を知ったのは、今から約半年前。
『猫だましい』を読んだ時だった。
結果としては、『ジェニィ』を読了してから
本書を読み始めてよかったと思っている。
トマシーナからみると、ジェニィは大叔母にあたる。
ジェニィといい、トマシーナといい、ウィッティントンといい、
自分の冒険やご先祖の冒険を語る猫は、
自分の血筋をしっかりと知っていて、それを誇りに思っているようだ。
『ジェニィ』は、猫になったピーターの目線で語られていたが、
この『トマシーナ』は、若干引いた三人称語りの部分と、
猫のトマシーナが語るところとがある。
しかも、語り手であるはずのトマシーナが途中で死んでしまい、
その後、自分をエジプトで神とあがめられたバスト・ラーの生まれ変わりと語る
タリタという猫が語り手にもなったりする。
トマシーナの親しみ深さとていねいさを併せ持ったような語り口とタリタの気位の高い語り口、
そして、どちらの一人称語りでもなく、カメラを引いて抑えた形で、
登場人物たちのそれぞれの語りを聞かせていく三人称。
この視点の交代がちっとも不自然ではなく流れるように展開していくのが本書なのだ。
この自然な転換は、扉の物語の要約にも現れている。
あたしはトマシーナ。
毛色こそちがえ、大叔母のジェニィに生きうつしと言われる猫。
あたしもまたジェニィのように、めったにない冒険を経験したの。
自分が殺されたことから始まる、不可思議な出来事を……。
スコットランドの片田舎で獣医を開業するマクデューイ氏。
動物に愛情も感心も抱かない彼は、ひとり娘メアリ・ルーが可愛がっていた
トマシーナの病気に手を打とうともせず、安楽死を選ぶ。
それを機に心を閉ざすメアリ・ルー。
町はずれに動物たちと暮らし、《魔女》と呼ばれるローリとの出会いが、
頑なな父と孤独な娘を変えていく。
ふたりに愛が戻る日はいつ?
『ジェニィ』は、猫になったことを通して成長していくピーターと
それを見守るジェニィの物語に集約することができるが、
『トマシーナ』は、登場人物、登場猫が増える分、様々な読み方ができる。
トマシーナの目線で見たマクデューイとメアリ・ルーの生活。
猫目線で見る女の子の描写の的確なこと。
女の子と猫が似ているというのも、わかる。
タリタが語る、エジプト時代の猫の話。
『猫だましい』にもあったような猫と人間のかかわりの歴史が垣間見られる。
スコットランドという土地の文化も色濃く反映されている。
トマシーナを子ども達が弔うシーンが出てくるが、
それはスコットランド風の見送り方なのだ。
マクデューイとローリの関係は、恋愛的側面もあるが、
現代西洋医学や科学と科学だけでは割り切れないものの対比としても見られる。
牧師のアンガス・ペディは���お互いを若い頃から知る親友同士であるが、
神について語る職業を選んだペディに対し、
マクデューイは過去の出来事の影響もあり、
神を信じる気持ちは失ってしまっている。
彼らは神に対する主義は異なり、語れば議論にもなるが、
基本的には親友同士で、
その議論は非常にユーモアに溢れたやりとりで展開されていく。
神学から死にいたるまでさまざまなことに造詣が深いペディが、
愛について語るところは特に印象に残っている。
「ひとりの女性を愛するということは、
その姿をいっそう神秘的に演出する夜の闇や輝く星、
その髪を温めかぐわしい香りを漂わせる陽光やそよ風をも
同時に愛することになるのだ」
からはじまり、実に1ページに渡り、
~を愛するなら~を愛さずにはいられないはずだと語っていく。
そんなペディとの友情だけは続いているマクデューイだが、
彼は深く深く葛藤している存在である。
本当は人間の医者になりたかった夢を父親の動物病院を継がなければ
医学を学ばせないという圧力によりつぶされた経験がある。
父親との関係は修復できず、
夢を失ったことで神を信じる気持をも失った。
さらに、動物の病気がうつってしまったことが原因で
自分の妻を亡くしてしまい、なおさら、自分の仕事が愛せないし、
神などいないという気持ちが強くなる。
妻を失い、同時に、娘の母親も失ってしまったのだ。
彼は、自分の仕事は愛せなかったが、娘は愛していたから、
トマシーナを安楽死させる前は、母親不在ながらも
なんとか良い関係ではいたのだ。
トマシーナの安楽死にまつわるエピソードは、
マクデューイの医者としての尊厳をゆるがす出来事と同時に起こる。
その日交通事故で瀕死の怪我を負った盲導犬が担ぎ込まれていた。
その手術のときに、具合が悪くなったトマシーナを連れて
メアリ・ルーは診察室にやってきていたのだ。
妻が動物の病気がうつって亡くなっていたため、
マクデューイはメアリ・ルーが診察室に来ることを禁じていた。
また、人間のために働く盲導犬の手術の最中だったこともあり、
すぐにトマシーナの安楽死を助手のウィリーに命じたのだった。
盲導犬は手術のかいがあり救うことができた。
ところが、その報告を盲導犬の持ち主にしにいったところ、
ご老体だった持ち主は、事故に巻き込まれたショックに
耐え切れずに亡くなっていたのだった。
このことは大きな影を落とす。
犬は生かしたのに、人は死んでしまった。
犬を見ていたときに、自分は猫をちゃんと見なかったのではないか。
いや、自分は、娘が自分よりも心を開いていると思える猫に嫉妬をしていたから、
猫を簡単に安楽死させる道を選んだのかと彼は苦悩する。
トマシーナの安楽死のあと、メアリ・ルーは、父親に心を閉ざし、
自分の中で父親を抹殺することで、自分の心も体も壊していく。
まさに現代の心の病である。
マクデューイは、頑固な自分に生き写しの性格を持つ娘と自分の関係の中に、
かつての自分と父親を見たことだろう。
マクデューイはローリが自らの伴侶となり、
メアリ・ルーの失った母親にもなってくれること、
彼女の病を癒すことを期待するのだが・・・。
本書は、1957年に描かれながらも、
50年後の今にも通用するような様々な現代的なテーマを
ファンタジー的な要素で包み込んだ作品であるといえよう。
本書で救いをもたらしたものがなんであったのか。
それは現代的なテーマに対する答えも示唆しているようでならない。
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猫は人に懐くのではなく
人のために精神的なノブレス・オブリージュで
人に寄り添い甘えているのかも、と思わされる物語。
ジェニィの親戚というだけでノックアウト。
結局「神」や「神仏への帰依」から生まれる「奇跡」が全てか?
といっているように見えなくもないが
神や信仰の万能を単純に説いているのではなく
少しずつつながって、少しずつ重なりあう
人間の不完全さがこの世界に善や、救いという
「大団円」を生み出す力なのだと行っているような気がする。
赤ひげでドクター・キリコな獣医の
傲慢で不遜な態度と、あまりにも自己正当化が過ぎる考え方
に誰しも反感を覚える一方で
世間から自らに注がれる視線や評価に
我知らず目を背ける弱さに同情を禁じえない。
一神教のキリスト教の世界と多神教の古代エジプトの思考を挟み
ある意味滑稽に映る、神である猫の万能感と獣ならではの反応を
正当化をする心の揺らぎを描き
種明かしまであっさりしてしまうあたりに
神の世界に生きていても、人類だけではなく生きとし生けるもの
に対する作者の「愛」を感じた。
口調で雰囲気や印象がガラリとかわるので、物語内容ではなく
原語ではどういう違いがあるのだろうと
英語で読みたくなる一冊
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この間ねこだましいを読んでこの作品が紹介されていたので読んでみました。面白かったです。
最初主人公はメリールウかトマシーナだと思ってたんですけれども実は主役はお父さんでしたね。まあそりゃあその人物が一番作者に近い人物だと思うし書き易いかな。
子供と大人の感覚の差、と言うか受けるショックの度合いは違うんだって言うことをまざまざと見せつけられるお話でもあります。でも…まあ仕方ないですね。
オチはこう来るかな、と言う風にわかりやすいですがそれはそれ。面白かったです。今度ジェニイも読んでみよう。
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ポール・ギャリコの作品を紹介するのは、2回目です。
実は、この2作品を読む前に、ジェニィという作品を読みました。
ジェニィは、少年ピーターが、交通事故にあったことが切欠で、何故か白い猫になってしまうことから始まります。その後は、白い猫になってしまったピーターを主人公に話が展開するのです。とは言っても、決して子供向けのファンタジー小説ではなく、そのスピーディーな展開は、読む人の気持ちを掴んで離さず、先に先にと読み進みたくなってしまうほどの内容です。特に猫好きの皆さんの中では評価の高い作品ですが、このBlogで紹介するのは躊躇していました。
このトマシ―ナも、猫であるトマシ―ナが主人公の内容だと思って読みはじめましたが、実は、妻を亡くし、スコットランドの片田舎に移り住んだ獣医師マクデューイ氏が主人公です。獣医師であるにも関わらず、動物に愛情も関心も抱かない彼は、ひとり娘メアリ・ルーが可愛がっていたトマシ―ナの病気に手を打とうともせず、安楽死を選びます。それを機に心を閉ざすメアリ・ルー・・・
しかし、町はずれに動物たちと暮らし、魔女と呼ばれるローリとの出会いが、頑なな父を変えていきます。父と娘に愛が戻るのはいつ?
トマシーナは、流山おおたかの森の紀伊国屋に売っていなかったので、
東京の丸善にまで買いに行きました(アマゾンで買えって言わないで!
紀伊国屋さん暖簾に恥じない品揃えをお願いします)。
ジェニィに比べるとスピード感というか、スリリングさでは劣りますが、
人の心の問題に深く入り込んだ重厚な内容に心を打たれます。
この物語ほど複雑ではないかもしれませんが、私たちの人生にも
複雑な問題が絡まっており、私たちは問題の原因が相手にあると
思いがちです。しかし実は多くの場合、問題の原因は自分自身にあり、
無意識の拘りを解いてくれる人とさえ出会うことができれば、簡単に
解消することも少なくありません。あなたの魂を救うために・・・
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ニュースでやっていた、遺産を贈られたネコの名前が似ていて(「トマシーノ」)、思い出しました。同じ作者の「ジェニイ」と並んで、猫好きな人なら楽しめること間違いなしの一冊。僕はさほど猫好きじゃないけど、語り部ポール・ギャリコのすごさに舌を巻き、楽しく読みました。