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タイトルの通り、アリストテレスの『ニコマコス倫理学』のエッセンスをやさしく丁寧に解説しています。ただ、「やさしい」とは言っても、私のような初心者にとってはもちろん難解でしたし、原点からの引用が非常に多いので、原書(の訳本)を横に並べながら、読み進めるのがよいでしょう。ちなみに、訳者の雨宮健氏といえば、"ノーベル経済学賞に最も近づいた日本人"として有名な計量経済学者です。
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アリストテレス『ニコマコス倫理学』の副読本。
タイトルに「入門」とあるが、アリストテレス自身の著述を手に取る前に読む本ではない。
アリストテレスの倫理学の全体像をこの本で大雑把に掴もうという目的には適さないと思う。
むしろ、はじめて自分で『ニコマコス倫理学』を読む人が、同時に読むことを想定しているように思われる。
実際、「〜についてのアリストテレスの記述は、理解に困るところは少ない」という理由で、解説を省略している箇所がいくつかある。
その一方で、徳や友愛と翻訳された言葉が、古代ギリシアでの意味とどうずれているかを説明するなど、解説は比較的初歩的な内容が多い。
帯に短したすきに長しという印象。
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『二コマコス倫理学』はそれほど難解でも大部の書物でもないので、特別な哲学の素養のない読者でも解説書は必ずしも必要ない。余程忙しい人にとっては原著の三分の一ほどの時間で読めるという利点はあるが、原著を読むつもりなら二度手間なので読む必要はない。もっともそう言ってしまえば身も蓋もない。諸書の参考文献にもあげられる定評ある入門書なので若干その特徴をあげてみよう。
まずアリストテレスの中庸はしばしば誤解されるように、極端を避け常に安全な中間を目指せという行動指針ないし処世術ではない。それは行動に対する中庸的気質のことであって性格に関わるものである。極端な行動であってもそれが適切な場合には優れた性格の人は躊躇なく行う。些細なことでは激しく怒らず、非道に対して激怒するというように。個々の状況で何が適切かを判断するのは思慮分別であり、それに則って過不足なく快不快を感じる気質が中庸である。これは微妙な違いだが、見過ごせない重要な違いである。アリストテレスにとって正しい人とは単に正しい行いをなす人ではなく喜んで正しい行いをなす人なのである。
また最終章で観照的生活が人生の理想であると唐突に結論が述べられるが、実践知を重んじ、プラトンの善のイデアを否定したアリストテレスも、最高の幸福とは洞窟の外にある真実の世界を観照することにある、というプラトンの思想の影響を受けていたという。観照的生活とは神の生活に最も似るものである。神は直観的知性(ヌース)そのものとも言えるが、人間は不完全ながら肉体とは独立した直観的知性を持っているがゆえにそれが可能であるとアリストテレスは考える。アリストテレスと新プラトン主義の連続性を説いた興味深い指摘である。
ただし、これは同時にアリストテレス解釈の躓きの石でもある。『二コマコス倫理学』の主題からは逸れるが、アリストテレスが果たして霊魂を不滅と考えていたのかどうかは、キリスト教教義とアリストテレス哲学の融合を企てた中世スコラ哲学者を悩ました難問である。『デ・アニマ』( アリストテレス 心とは何か (講談社学術文庫) )を読む限り霊魂は肉体と不可分と考えられている。では「直観的知性(ヌース)が肉体から独立」しているとはどういうことか。肉体と不可分であり肉体とともに活動するが、肉体に左右されない「能動性」を持つのがヌースである。取り敢えずこう解釈しておくのが無難だと思うが厳密な議論は評者の手に余る。