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明治から昭和の結婚に対する国、世間の意識を少し知ることができた。善良な子孫を残そうととなえられた優生学、産めよ増やせよの戦争時代、そして少子高齢化による年金問題のために子供を求められる現在。
著者は、国や世間がどうであれ、そういったことに流される必要はないと伝えたかったのだろうと感じた。
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「恋愛」結婚の歴史を紐解きつつ、そこに現れる優生学的思想について、戦前の話をまとめた本。
望ましい結婚とは、幸せな家庭とは、そこに国家や科学や、当時の常識、思想がいかに反映されてきたか。平塚雷鳥と与謝野晶子の話なんかは、平塚雷鳥の知らなかった一面を見た。
今日の僕たちの暮らし、考え方の根本と思っていたものがほんの数十年前の明治近代にその萌芽があったに過ぎない事実を思い起こさせるとともに、となると、自分の価値観とかの危うさ、脆さみたいなものを改めて感じる。
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優生学の歴史を勉強するには良いと思いますが、タイトルの恋愛結婚についてはあんまり触れられていません。僕はその恋愛結婚の歴史を知りたかったのに、そこが載ってなくて残念でした。
しかし、明治以来の優生学の政府方針は恐ろしいものですね。全体主義の合理性は分かりますが、だからと言って奇形児や障害者を排除しようとするのは反対だし、それを推し進めるのも問題だと思います。確かに、生まれてくる子には障害なく元気に育ってほしいと願うのが親ですが、先ず子供を作るか作らないかを選択するのを政府に決められたくはないですし、また仮に障害を持って生まれたとしても、そこは政府がサポートして国家全体の取り組みとして支援していくべきだと思います。命のバトンを繋いでいくことは尊い事ですし、それを損得で考えるのは命の軽く見ていると感じます。
明治から続く優生学の論争ですが、現在の医療科学の進展が早すぎて、法律が追い付いていません。遺伝子操作によって優秀な人材を作ることができるのは時間の問題だし、精子バンクや凍結卵子も実用化されていますから、そろそろ日本のスタンスを決めなくてはなりません。
『俺は優秀な遺伝子から生まれたんだ、お前たちのような凡人ではないんだぞ』、『僕は平凡な遺伝子から生まれたから不遇な人生なんだ、僕の人生が惨めなのは遺伝子のせいだ』のような、副次的な根本問題も浮上してきそうです。まぁ全ては遺伝子によって決まるわけではありませんが、今まで以上に『生まれた時点でスタートラインが違う』事から来る不平等問題も看過できません。こういった議論は、政府は真摯に取り組んでいるのでしょうか……。
優生学はこれくらいにして。
恋愛結婚の行方というタイトル、前時代の『家柄の結婚』『お見合い結婚』は、殆ど相手の事が分からない状態からの結婚生活なので離婚率が高いのは仕方ないことでしょう。ただ、男尊女卑の風習がどれくらいあったのかによって、離婚率が変わってきたのではないかと思います。江戸以降の地域別で離婚率の統計があれば面白そうです。
現代に話を戻して、 今の恋愛は、『好きになる→交際する→結婚する』という流れですが、昔は『結婚する→(出来れば)好きになる』という流れで、いわば逆方向によって結婚が成り立っています。現代は、『えっ、結婚したの!?おめでとう!』という会話には、当人同士の『好き合っている』が暗黙の了解になっていて、昔のように、『結婚してから好きになっていく(なっていこうとする)』事が出来ないのかも知れません。言わば感情のコントロールが不器用になっているんじゃないかと。
僕の評価はA-にします。
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本書は明治期に西欧諸国から輸入したLove=恋愛の概念がどのように国家体制と関係したかに触れ、優生学と恋愛結婚がどのような流れで結びついていったかを紐解いた論説書である。
時代ごとの論客・活動家の言説(あるいはそれを研究した専門書)を参照しながらその変遷に触れ、丁寧に論説している様には唸る他なかった。その慎重で丁寧な研究・論述には頭が下がる。
すでに述べたように、この書の中では引用している多くの研究が紹介されている。ジェンダーに関係する結婚の問題についての入り口には適した一冊だろう。
語り口の柔らかさも、学術書の硬い文体を敬遠してしまう層には大変助かるものである。新書として適している文体だ。
ふとした拍子に借りた本だったが、非常に面白い本だった。良い読書をさせていただいた。
星五つで評価したい。この方の著作はもう少し色々読んでみたい。
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明治期以降の「恋愛結婚」をめぐる言説をたどり、とくにそれが優生学と結びついて人びとの意識のなかに入り込んでいったことを明らかにするとともに、そうした思想がいまなおわれわれの恋愛と結婚についての考えのなかにも受け継がれてしまっているのではないかという問題を提起している本です。
性や愛に関する言説の歴史をていねいにたどっており、興味深く読むことができました。その一方で、本書の議論がこんにちのわれわれに対して投げかけている問題に対して、いったいどのように向きあっていけばよいのかということについて、もう少し踏み込んだ議論が欲しかったようにも思います。たとえば独自の「生命学」を提唱している森岡正博は『生命学に何ができるか―脳死・フェミニズム・優生思想』(勁草書房)や『感じない男』(ちくま新書)などで、性や愛をめぐるフェミニズムからの問題提起を、みずからの感受性を問いなおすことを迫る、鋭い痛みを伴う問いかけとして受け止めたうえで、そこから手探りで問題を掘り下げようと試みています。ただ、森岡の方法はいささか無手勝流のきらいがあるので、著者のように近代以降の日本社会について幅広い知識をもっている論者が、ここで提起されているような問題をあらためて一人ひとりがみずからの問いとして引き受けていくためには何が必要なのかということを、積極的に語ってほしいように思いました。