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チェチェンではなぜ紛争が起きているのか? 全くの無知であった私は、軽い気持ちでこの本を手にした。結果、暗澹とした想いだけが残ってしまった。とても踏み込んだところで取材された内容だが、後味の悪さだけがなぜか残る。知らなくてはいけない事実なのだろうけれど。
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「チェチェンを見れば、今の世界がわかる」といっていいほどこの戦争は今日世界がはらんでいるさまざまな問題を露呈している。独立問題からはじまり、石油パイプラインの利権、「テロリズム」という語を用いた大国側のメディアコントロール・プロパガンダ、人権侵害、難民などといった問題がすべて絡んでいるのである。この複雑に絡んだ紐をほどくにはひとつの方法ではおそらく対処できないだろう。以上が本書を読んでの率直な感想である。
ところで、今回は民族班の発表であるがために、多少、難があるがこのレポートではとりあえず民族紛争を中心に考えてみたい。一見、民族対立のようにも見えるチェチェン戦争は冒頭でも述べたとおり実はさまざまな原因をはらんでいる。そこで、以下は「民族はそもそも対立するものなのか?」から始まり、題にもあるように民族紛争を考えるにあたっての注意点や問題点を私なりに考えてみたいと思う。
そもそも民族はそのもの自身対立するものだろうか?私自身の答えとしてはノーである。一例に過ぎないが、今回のチェチェン戦争は民族紛争といわれるが実質的には上述のようにさまざまな原因が絡まっているのである。また、パレスチナ紛争も民族紛争の代表として引き出されるが、実際は居住地問題が大きいなのではないだろうか?つまり、民族そのもの自身は対立するものではなく、むしろ紛争時に団結のために用いられる一道具にすぎない。前回の『民族という虚構』のレポートでも述べたように、民族は人々をまとめるのに使いやすいから、紛争当事者指導者たちはこれを用いるのである。それを裏づけするかのように、タイや中国の少数民族をもつ多くの国では少数民族同士の争いはほとんど見られない。
しかしながら問題は少数民族対大民族(マジョリティー)の争いがあるということだ。だが、民族が大きいからといって好戦的とはいえないというのが私の見解である。一見、少数民族対大民族に見える争いも実は多くがエスニック・アイデンティティをナショナルのそれに投影し、還元させている。つまり、民族自決による独立そのもの自体にはもうすでに一国民国家としての独立、すなわちナショナル・アイデンティティをそこに持たせているのであり、政治的理由から独立させまいとする側(たいていが大民族)も政治的理由がゆえにナショナル・アイデンティティをその民族のエスニック・アイデンティティに持ち込んでいるのである。「民族」をナショナル・アイデンティティに還元させるときに争いは起こるのだ。理由としてはやはり国益や政治的な利益が挙げられよう。チェチェンの独立を妨げているのも、エリツィン前ロシア大統領や現プーチン大統領の支持率維持という私利や石油パイプライン問題、周辺共和国の独立といった国益が絡んでいるからだ。
この以上の2点、人々をまとめるための道具という「民族」と国益・政治利益から生ずるナショナル・アイデンティティとしての「民族」(結果として道具という「民族」に還元できる)が民族紛争や対立のもとをつくっている。そしてこの2点が民族紛争を考えるにあたっての注意点・問題点だと考える。だが、「民族」が人をまとめるための道具とわかっていても民族紛争は絶��ないのが現状である。大事なのは道具とわかっていながらも民族紛争が起こるという現実に直面し、その先として解決や予防を考えることであろう。
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大学時代に読んで最も衝撃を受けた作品。チェチェン紛争の現状がよく分かる。あまりに悲惨。残念ながらこの本はロシアでは売られていない。そして悲しいことに作者は2006年10月にロシア国内で暗殺された。ロシアに本当の民主的社会が到来するのはまだまだ先だ。
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悲惨です
戦争が引き起こす様々なこと、
なぜ始まったのか、なぜやめられないのか
ロシアの問題、チェチェンの問題
チェチェン戦争の全体像を描き出しています
著者はジャーナリストで取材中にロシア軍に拘束もされています
兵士の胸先三寸で決まる生死
静観する国連
大げさに掲げる人権より利害が優先される現実
行き詰まり感にためいきがでます
著者が生きて仕事を続けていけることを祈ります
文章はちょっと読みづらいです
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時に身をもって同胞のロシア軍の暴力を体験したり、寄る辺無い老人を見かねて助けたりしながら、チェチェンの戦争に取材した記録。集められた情報を綺麗に整頓してまとめた本というよりは、著者が出会ったチェチェンの人々やロシアの軍人にまつわるエピソード、チェチェンの悲惨な状況と、ロシア社会についての苦悩がつぶやきのように語られる印象。
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高校時代にたまたま出会った本。
そして僕の将来の夢を支える1冊。
ポリトコフスカヤさんは日本にチェチェンの内実を知らせてくれた。ロシア人はここに書かれた実情を知らない可能性が高い。
ロシアのもとでこれだけ取材を続けた彼女には称賛、憧れ、というよりも驚きを受ける。彼女を支えたものは何だったのか。ロシアに立ち向かう一人のジャーナリストの力。
彼女が暗殺されたのを知ったとき、胸がぎゅうっと縮こまった。
しかし、彼女は自分の身の危険を誰よりも理解していただろう。
それでも取材を続け、論壇に立った彼女。
それを思いこの本を読むといっそ自分の中に熱い感情がこみ上げる。
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あまりにも悲惨なチェチェンの現実を描いた本。これほどの現実を世界が知らないという事実、これを書いた人が暗殺されてしまうとう事実は恐るべきことだと思う。
誰もが読んでおくべき本だと思う。
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チェチェンとロシアに関して我々日本人は新聞等で知る程度の知識しかないというのがほとんどだと思います。
たとえ記事になっていたとしても斜め読みという可能性も高く何も知らないといったほうが早いかもしれません。
この本は衝撃です。
同じ地球上でこのような残酷で理不尽なことがおこなわれていたとは・・・・・・。
”知らない”ということがいかに恥ずべきことか。
著者は常に身の危険を感じながら取材をしチェチェンの実情を知って欲しいとこの本を世に送り出しました。
その後本当に暗殺されてしまいましたがこの本はまだ生きています。
興味のある方は是非読んでみてください。
追記:2010年12月14日
最近佐藤優氏の著作を読んでいたら、この本の話が紹介されていた。
180℃違う捉え方をしており、結局のところプロパガンダであるらしい。
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入学式を行っている小学校体育館を占拠しての爆破事件。このとき、チェチェンて何??と、初めて思う。こんな酷いことが、なぜ今も続くのか人間て、一体なんなんだろうか・・・筆者アンナ・ポリトコフスカヤ氏は、残念ながらすでに暗殺されている。危険な現地に自らの足で赴き、世界中にこの酷い状況のレポートを発信し続けたせいで。時間が無く、残念ながら途中で一度返却。年内には読了予定。(H.21.10月)なにをどうしても、この戦争は終わらないのだろうか。そもそも、なんのための戦争か。国連も頼れず、ロシアの暗幕に隠されて、世界から孤立させられてゆく・・・。でも、どこかで肥える人がいる限り、この無意味な戦争は永久に終わらないのだろうな。(H.22 1/20 了)
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著者であるアンナ・ポリトコフスカヤは殺された. 彼女はモスクワの自宅のあるマンションからエレベーターで一階へ降りる. 自動ドアが開く. 銃が数発撃たれる. 彼女は室内に崩れ落ちた. 毒殺されかかったこともある彼女は最期に何を思ったのか. 彼女がプーチンの誕生日当日に殺されたという事実を偶然と思うかブラックすぎるユーモアと受け取るか..
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戦争を色んな角度から、しかも偏見なく見ることができるという奇跡。
怒りを通り越した放心状態に何度も陥り、ぶつけようのない感情がページをめくることを拒んだ。
安全安心が当たり前の今の自分の生活からじゃ絶対分かることなんてできないけど、知ろうとすることを辞めたらダメだと思う。
アンナ・ポリトコフスカヤさんの勇気ある行動と文章が、いつまでも残り広がることを祈ります。
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性善説が吹っ飛ぶ絶望的な描写が延々と続く。お互いへの無知、無理解、恐怖の行きつく先に殲滅戦がある。知った上でわかり合えない相手とは、節度を持って距離を置くべきか。
戦争が経済行為として一部階層の利潤を生む。解決すべき、千年来の人類の課題。
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ノンフガイドブックから、だったか。積読いたものを、このタイミングで。まさに現在進行中のロシアの暴挙に触れ、読むなら今でしょ、ってことで。基礎知識不足で、人物名も殆ど知らず、簡単なインタビュー記事ですら、かなりハードルが高く感じられてしまった。それでも何とか通読したのち、非常に上手く纏まった最後の論考に触れ、とりあえず、まずこれを読みたかった…と思ってしまった。この章が巻頭に配されていたら、印象はもっと違ったというか、理解もしやすかった。で結局、かの国の体質は、この頃から変わっていない。己に都合の良い現象を捏造し、それを妄信するふりをしながら、身勝手な侵略行為を取るという、幼稚なイジメ気質。戦争を止めろ。
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米原万里の紹介本である。ニュースではチェチェン武装勢力がモスクワの劇場を占拠して人質を取り、プーチンが軍隊に命令して武装勢力と人質を殺したということである。それほどチェチェンのことは日本では話題にならなかった。またアナン事務総長もチェチェンの虐殺を全く無視しているという報道もなかった。チェチェンで行っていることがそのままウクライナで起こっている。それを早く気づくべきであったがそのことを無視していたマスコミが今になって騒いでいるのは遅すぎであった。