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先日の海底二万里もそうだったが、150年前(明治維新前!)の小説ということで、見事に古びてしまっている小説。
いまさら鯨について語られても新味はないし、開陳される知識も古びているし、こうなりゃ物語としての面白さを味わうしかないのだが、特に波乱万丈の物語というわけでもない。
子供向けにリライトされて短い物語にしてくれたものの方がよほど出来がいいように思えるのだが、どうだろう。
ただ、今回、読み通してみて驚いたことが一つ。
私の記憶では、エイハブ船長は自ら白鯨に放った銛につながった縄に絡まり、モービィ・ディックに磔になったまま溺れ死んでしまう。そしてモービィ・ディックが海上に姿を現すと、まるで生き残ったものを誘うかのように手だけが揺れている。というものだと思っていたのだが、全然違っていた。
モービィ・ディックに絡めとられるのはエイハブ船長に従う得体の知れない男であり、そいつは手をブラブラさせることもなく、海に没した後、何の記述もない。
エイハブ船長は捕鯨ボートの他の乗組員が知らない間に縄が首に絡まったまま海に引きずり込まれて退場し、これまた再登場することなく、その後に何の記述もない。
このあっけなさは何?まるでアメリカン・ニューシネマ状態ですが...。
それともディレーニィみたいに、印象的なラストを書くと中身が目立たなくなるから、わざとあっけなくした?
良く分かりません。
とりあえず、日本人なら誰でも知っているけど、ちゃんと読んだことのない作品の一つは、海底二万里に続いて制覇した。
しかし、150年前はマッコウ鯨って死ぬほど憎まれていたのがよく分かりました。
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エイハブは異教の神々を崇拝し、神を冒涜した罪で、また拝火教の神官により生贄として滅ぼされた。様々な人種の異教徒たち、狂った黒人の少年、不気味な拝火教徒、狡猾で悪魔的な白鯨はダゴンや深き者どもを彷彿とさせる。
モービィ・ディックはレビヤンタンを狩る人間への神の罰でもあるのだろう。運命の輪が回されエイハブと船は終末に向けて突き進んでいく。最期の場面で海上にハンマーを握りしめた突き出した手がトウゾクカモメをマストに打ちつけるのが印象的だった。
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重厚で壮大な長編小説が読みたいと思って,白鯨に挑戦してみた。
1巻の表紙をめくって,ピークオット号の航路と主要人物紹介を見たところ,航海の顛末がすべて明らかにされてしまっているではないかっ!若干ゲンナリしつつも,気合いで読み進める。
個性的な登場人物の長ゼリフ(たいがい意味不明),鯨の生態に関する解説(古すぎて学術的価値が不明),捕鯨活動の詳細な描写(情景を思い描くことは困難)で埋め尽くされた3冊。これを31歳で書き上げた著者は凄いと思うけど,いかんせん読むのは苦痛。
そのくせ,ラスボスとの戦いは,それまでの1000ページを軽く超す前振りに比べると,けっこうあっさり敗北し,唐突に物語終了。なんだかなあ…。でも,読後の達成感は半端なかったので星3つ。
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傑作、というよりは力作、大作の部類。
直すべき点がどこにもない完璧な作品ではなく、そんな点は数え切れないほどあるがそんなことはどうでもよくなる作品。
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自らの教養の無さ・理解力の欠如に起因するこの豊饒な作品への理解不足によって★を一つ下げただけで、この作品には★を幾つ付けても足りない。
単にストーリーを語って読ませる今時の小説ではなく、ヨーロッパ文化が多面的に発現した学術書として真摯に対峙すべきだと思う。
物語を紡いでいる気は作者自身も毛頭ないだろうことは、唐突かつ延々と続く「鯨学」の披露でも明らか。
鯨を人間の業の象徴と見立てた様々な角度からの「文明」考察と見るのが正解だろう。
しかしこの作品がヨーロッパではないヨーロッパ系の国アメリカから生み出されたことは奇跡なんだろうな。
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ラストシーンで思い出したのはジョジョの一部のラスト、あのシーンも棺桶で生かされるというメタファーがとても印象に残っていたのですが、この白鯨もそのような暗喩がありました。
しかもその棺桶は主人公の親友のクイークェグのもの。
分厚い三冊の上中下の冒険の物語は、終盤突然白鯨とぶつかり、あっさりと終わってしまいました。
粗削りな男が書いた男の物語なんだけど、どこかねちっこい感じが離れないなあ、と思っていたのですが、解説でイギリスではエピローグがない白鯨が発売されたと書いてあり、あの二ページのエピローグがなかった場合の事を考えた。
エイハブの怨念、鯨学、不吉な予兆、水夫たちのやりとり、重みを感じる長いページの末に船が沈没したところで終えるのも男らしくていいのかもしれない。滲み出る女々しさを払しょくしてくれる潔さがあるように思える。
三冊読み終えて、あの鯨の雑学やページ数を考えると、とてもすらすらと読めたように思えます。
偏に目標がしっかりと定まっていたからだと思います。
エイハブの怨念、そして白鯨への憎悪。これがこの物語の全てと言ってもいいと思うくらい。
エピローグ。棺桶で漂流したイシュメールはレイチェル号の息子への女々しい希望によって助けられた。
男らしい物語だと今まで思っていたのですが、実際は違うのかなと読み終えて感じました。
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[配架場所]2F展示 [請求記号]B-933/Me37/3 [資料番号]2004111488、2004111489
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ずっと敬遠してきた本ですが、ブラッドベリの『緑の影、白い鯨』を読んだのを機に、チャレンジしてみることに。
あまりに分厚いので読み通せるか心配になったけど、なかなか読めない理由はそこじゃなかった。話の途中で、とつぜん鯨に関する記述が延々と始ったり、真面目に読もうとすると根気が続かない。そういうところは読み飛ばし、本筋だけを追っていくという邪道な読み方になってしまいましたが、おかげでなんとか、息詰まるラストまでたどり着くことができました。
最初から不吉な予感につきまとわれた死の船に君臨するエイハブ船長のキャラクターがとにかく圧倒的。そのすさまじい死にざまは、まるで映画を見るように目に浮かびます。そして初めて、スターバックスの店名が不運な航海長に由来していることを知ったよ・・・でもなんでそんな名前を店に?
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白鯨が姿を現し、エイハブ船長以下乗組員と壮絶な格闘シーンがこれでもかと言うほど続くものと期待していた私にとっては正直物足りないクライマックスでした。前置きが長すぎて、肩透かしにあった感じ。巻末の解説の物語学的構造にはびっくり。テキストとしてそれ程の魅力を内包しているのだろうか、私にはこのような読解はまったく大げさ過ぎるような気がしました。
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2年越しでようやく完読。
それにしても、上・中・下の3巻に渡る本にしては、読みごたえ無かった。
まず、漢字が読めない、意味が適切に理解出来ない。船のパーツの名称を知らないので視覚化が出来ない。そして、多くの箇所で、何を言ってるのかさっぱり分からなくなる所や、描かれている登場人物の心理変化の根拠についていけない。
挙げ句の果てに、終わりが来たから終わるみたいな終焉。今までの長々としたストーリーは何だったのか?
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読むのに疲れて最後の方は読み飛ばししてしまいました。
メルヴィルの思考が深まっていく感じはありましたがぼくにはまだ理解できませんでした
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ついに読み終えた。旧約聖書をなぞらえつつ、白鯨と狂気に満ちた船長エイハブとの闘いを描く壮大な物語。実際の闘いのシーンはごく僅かだが、そこに至るまでの過程、逸話、そして捕鯨にかかる数々の話が散りばめられている。何度か読まないと真に味わえ尽くせないであろう古典。
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クジラが好きになるような方向性はないとは思うけど、クジラの柄のついた手ぬぐいとか見たら、買おうかしらと思ってしまう。
クジラ、船、捕鯨の知識、幾人かの登場人物についてピックアップしたエピソード。
話があっちこっち飛んで、「このトークいる〜?」っていうのも多かったけど、全体的には楽しめた。
エイハブvsモービィ・ディック。ひたすら白鯨を追う。
ボートに乗って銛で突いてって、大きな鯨にそれでいいの?って。命がけ。
戦いの時は壮大な迫力ある映像が浮かぶ。
最後に悲惨な生き残りの戦いはなく(捕鯨において、生き残った者同士が食べる事件が実際にあった)最後は語り手一人イシュメールのみだったから丸く収まったというか。
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2ヶ月かかった。この本に出会わなければ、私が鯨や捕鯨船に興味をもつことはまずなかっただろう。メルヴィルの描写の力強さ。白鯨を追ったエイハブ船長、スターバック、スタッブといった航海士、クイークェグの生き方から、私は何を感じるべきなのか。今はまだ圧倒されるばかりで。死をも恐れずに突き進み、生ききった男エイハブ。こんな肯定的な見方をすべきではないのだろうけど、それも1つの生き方だ。私は何にこの命を捧げよう。何に対してなら、豪雨にも消せない燃え上がる情熱を生み出すことができるだろう。
白鯨には、聖書の引用や世界中の名称が数多く登場する。私はまだまだ世界を知らなすぎる。自分の目で、耳で、肌で感じたい。そしてもう一度この物語を読んでみたい。
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長い小説の最後の巻になる。読みにくいとは聞いていたが、そんなことも感じなく楽しく読めた。人によるのだと思うが、スリリングなところもあるし面白かった。
下巻ではついにモービィ・ディックが姿を現わす。場所は日本から南東に行ったところだ。エイハブは白鯨用にモリを作らせた。そのモリには馬の蹄鉄に使っていた釘を溶かして、最高級の鋼を使った。そしてクイークェグら異教徒3人を血を使って焼き入れをした。伝説の剣を作るかのようなシーンだ。
クイークェグは熱病にかかり自分の棺桶を作らせる。すぐに治ってしまうが、その棺桶はピークォド号の唯一の生き残りであるイシュメールが乗ることになる。あっさりとした最後で、驚く前に通り過ぎてしまう。元々はこのエピローグは無かったようだが、物語の円環を表す重要なシーンだ。
ピップが狂い、フェダラーは何かを見通しているようで、エイハブは偏執的に白鯨を追いかけていく。エイハブを止めようとしていたスターバックも、エイハブの狂気にか魂にか触れて、エイハブを尊崇する。一番心変わりしたのがスターバックかもしれない。
白鯨との最後の戦いは3日に渡って行われる。何回挑んでも船を壊されたり、投げ飛ばされたりする。エイハブは自分が船に乗り込み、モリを打ち込もうとするが、そのモリも落としてしまい、最後には海の中へ消えて行く。あまりにあっさりとした終わり方だが、現実とはそんなものだし、神話もそんなものだ。
全てを語るには理解もしていないが、気になるシーンは非常に多い。だが、そのシーンが何を表しているのかが分からないのがもどかしい。古典とは様々な読み方ができる本で、人それぞれの読み方があるのだと思うが、それでも素人には答えが分からない。なんだが凄いなという感想しかない。見なくても面白いが、プロの本読みの評論を見てみたほうが、楽しさが増す本だと思う。
下巻でもMGSとの関わりを書いていきたい。
まず気になったのは日本の近くで台風に襲われて、雷が轟く中でのエイハブの語りだ。
「わしのなかには、汝とおなじく、言語を絶し、場所を絶した力がある、と
わしは言わなかったか? その力はまだわしからもぎ取られてはおらん。こ
の環から手をはなし手もおらん。汝はわしの目を見えなくすることはできて
も、わしが手探りであるくのをとどめることはできん。汝はわしを焼きつく
すことはできても、灰はのこる。その不憫な目や、それを押さえる手を、汝
はさげすむことができる。だが、わしは降参せんぞ。稲妻はわしの頭蓋骨を
貫通し、わしの眼球はうずきにうずく。雷に打たれたわしの脳はまるで首を
はねられ、そこいらに唖然と転がっているような感じがする。おお、おお、
なんたることだ! だが、目はくらまされても、何時に話しかけることはや
めんぞ。汝は光であるとはいえ、闇から飛び出してきたものにすぎぬ。だが
、わしは光から、つまり汝から飛び出してきた闇だ!」 p.250
上巻で書いた通り、エイハブ=カズであればこのシーンは誰に向かって語っているものだろうか。光とはビッグ・ボスか。それならそこから生まれてきたのが闇となったカズで、そこまで自分を卑下しているのなら、ビッグ・ボスに恨みを持っていてもおかしくない。つまり5のラストでビッグ・ボスをうつという発言も分かる。
次の考察は、白鯨が出版されたときにイギリス版ではエピローグが無かったということだ。その後にアメリカ版で書き足されたのか、元からあったのかは分からない。ただ、このエピローグがあるとないとでは大きな違いがある。エピローグは2ページしかないが、クイークェグの棺桶でイシュメールが助かるということが分かる。解説では、ここでイシュメールが助かって、上巻の最初に戻るということをいっている。つまり、円環の物語であり、白鯨の世界は繰り返されるのである。
MGS5でボートというとエメリッヒのことを思い出す。イシュメールが乗ったボートはデウス・エクス・マキナで、無理矢理に世界を円にしたことになる。ヒューイはあの後に生き残って、何をしたのだろうか。カズが言った通りに、有る事無い事べらべらと話して回ったのか。小島監督はそれで世界が繋がると思ったのか。確かにエメリッヒがあそこで抜け出して、ハルやエマと暮らすのだから、もしMGSの次があるのなら話の種は巻かれたことになる。世界を広げるためのボートだった、と考えると面白い。
エピローグがあるとかないとかで一番に頭に浮かぶのは、MGS5で特典としてついてきた蠅の王だろう。あれを公開した事でMGS5は未完成だと問題になった。白鯨において、エピローグがないと話が最初に繋がらなくなる。永遠に回っていく物語はならなくなる。だが、MGS5ではエピローグを作らない事で、何回も出てくるワードである空白を作ることで、プレイヤーがそこに入り、英雄となって物語を回していくということが可能になる。だから小島監督に未完成じゃないかと怒ると、「未完成だから完成なんやん」と返ってくるかもしれない。エピローグをちゃんと作らないのも、特典に追加して荒れるのも、全ては策略で、未完成というのを知らしめるための仕組みかもしれない。
イシュメールはビッグ・ボスで、ビッグ・ボスはプレイヤーになって、プレイヤーはイシュメールになって空白を埋める。物語を話して作って、世界を回していく。