紙の本
脳の束縛から離れて…
2005/01/25 05:06
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:碑文谷 次郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
解剖学者の「未来がどうこうなんて、そんな知恵みたいなものは屁みたいなもんだ」という発言を受けて、禅僧は答える「ええ。不安だとか悩みだとか言っても、それはすべて、結局その人の心がつくり出すもの」だ、と(第1章 観念と身体)。この共鳴が、知的興奮にみちた本対談集の主調低音のように思われる。
脳のつくり出す「こうしたらああなる」「ああすればこうなる」という幻想で自分を窮屈にしている現代人に対して、解剖学者は「どん底に落ちて底を掘れ!」と励まし、禅僧は「犬の糞と思ったら踏むな」と現実的に突っ放す。なるほどと思って読みすすむと、「人生半分寝てるんで、頭で考えることは半分しか権利ねえだろう」という養老節が飛んでくる(第2章 都市と自然)。
そして「近代の日本は個というものを妙に立てたから、心は共通で、個性の根本は身体だってこと忘れられていく」「見て区別が出来るんだから、逆に言えば個性ってその程度のもんだよ」と続く(第3章 世間と個人)。
最終章(第4章 脳と魂)では、チリの神経生物学者(ヴァレラ)、ドイツの理論物理学者(ハイゼンベルグ)、古代ギリシャの哲学者(デモクリトス)、更には荘子や天台宗源信まで登場させて、量子論、オートボイエーシス(自己創出)、ユングの「共時性」原理など多岐に脳と魂の相関性を探り、「脳というシステムは、あらかじめある立場を取っちゃう、そういう立場を取っちゃうと、当然見えるものが見えなくなるんです」と“バカの壁”の作者は再び吐息を漏らしながら、又、「いやなことは判断を保留するってことは大事だよ」と"中陰の花"の芥川賞作家は現世生身の人間として、生きる知恵を随所に与えてくれている。
---成田・シカゴ間の往復の機中で、何度も反芻しながら読みすすむうちにフライト時間を忘れさせてくれた、不思議な魅力に満ちた対談集。
もしもあなたが生きる不安を抱えているならば、例えば機内の薄暗がりの中で独りそっと開くことをおすすめしたい一冊である。
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ゆるやかに曖昧で、精緻な自然をそのまま受け容れる仏教的な科学者。悟りを論じるのに脳科学を援用し、死後の世界を量子論から透徹する禅僧。二人のねじれが螺旋のようにからみ合い共振する。智慧と勇気のダブル・スパイラル。
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思想本は対談でよむと分かりやすくなりますが、「自分の思想はつきつめるとお経になる」とのべる養老氏と芥川賞作家の僧侶の対談でわかりやすく面白い。
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個人的に凄く興味をそそられるテーマ、それを語るにふさわしい二人の対談ということで、期待しながら読みました。
・魂とはなんなのか?
・脳の機能なのか?
・それとも別なものなのか?
物質では説明できないそういったものを考えていくと仏教、禅の思想につながる。
といった内容を期待していたのですが、残念ながら踏み込んだ議論はなく、もっと軽い雑談的な内容でした。
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敬愛する養老孟司と僧侶であり作家である元侑宗久との対談
をまとめた本。いつもながら腑に落ちる言葉が多くて読んで
いて楽しかった。今まで細かく切り刻んで部分だけを見て
きた西洋科学とその上に成り立つ文明は、全体を見る目を
持たなければならない。子供には「とにかく、黙ってやれ」
と言って修行をさせた方がその子にとって自由である。人を
殺してはいけないのは経済的に見ても明らか(何もない所
から鉄砲の弾を作るのに比べ、一人の人間を作り出すのに
一体どれだけの費用がかかるというのか)。などなど。
いや、私も潔くありたいものですな。やせ我慢は決して悪い
ことじゃない。
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対談は読むのに時間がかかる。
僧侶と学者の対談はわかりやすいが、難解。
個人、個性、独創性について考えさせられた。
日本人は仏教的考え方を普通に持っていて、欧米のキリスト教的な考え方とは異なる。それを戦後に欧米を、手本にしたので、教育や経営、政治が、しっくりいってない。
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いやになりますね、あの保険っていうのは。お葬式の現場でも、人が死んだっていうことはやっぱり徹底的に悲しくていいと思うんですね。物心両面で悲しいと。心は悲しいけれど、お金はたんまり入るらしいよっていうのって、本当に人間の感情を複雑にしていきますよね。(p.134)
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ゆるくフワッとしているが読物として面白い内容だった。
自立とは何だ?という項目が面白かった。
今は自分で稼げるようになったらつまり経済的にということを連想する。タイでは修行に行くことが自立、アフリカだとサイを一等倒す、マダガスカルなら牛を盗むなどと書かれてあった。
今の日本なら、経営者になる、投資をする、とかが自立かなぁと思う。資本主義がどんどん進んでお金がお金を稼ぐようになれば、本書で語られている仏教修行のような身体的なことは確かに求められるような気がする。
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「バカの壁」の養老孟司さんと小説家で僧侶の玄侑宗久さんの対談を書籍にしたもの。お二人とも見識が広く、深い、普段からこういうことを考えているのか、ご自身の中で知識がネットワーク化されていて、そこからそこに飛ぶ!?っていう感じでついていけない部分も結構ある。そこで二人で「そうそう」ってわかり合っているので、うむむ。読む側の力量かって言う話。あくまで対談の書籍化なんで、二人の問題ではないです。
筋肉にも記憶がとかはなるほどって思った、そう言われてみればそうだなって、西洋かぶれな状態なんだろう自分も、悪くはないと思うが客観視できるとより良いと思う今日この頃
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「すべては脳にある」「意識中心主義」「都会と自然」の養老孟司氏と僧侶であり作家の弦侑宗久氏の対談です。「脳と魂」、2005.1発行。私の脳構造の彼方の話でした。頭に残ったのは:日本人しかとれない姿勢が正座と蹲踞とか。そうなんですね。そう言えば、将棋はずっと正座で対局してますが(胡坐をかいても指す時は正座で)、囲碁はかなり前から椅子での対局を採用していた気がします。(違ってたらごめんなさい)国際棋戦があることも関係しているのかなと思いました。正座に戻せば国際棋戦に勝てるかも・・・w。