投稿元:
レビューを見る
全編満州編。日露戦争までを描く。
やはり印象的なのは、阿什河で石光が出会った日本人とのエピソードだ。日清戦争当時に斥侯として捕らえられたこの日本人は、6年間口を開かず日本軍の機密を守り続けた。石光が話しかけても、ただ涙するのみで何も語らない。この姿には心打たれずにはいられない。そういえば、石光の手記を読もうと思ったきっかけは、何かで紹介されていたこのエピソード読みたさだったのを思い出した。
そのほかにも、笹森儀助や真野新吉、お花にお君など沢山の日本人と満州で邂逅する。この点ではロードムービー的な要素もあって楽しめる巻。
全体的に描写があっさりしているのは本人の記述だからだろうか。例えば石光の活躍が当時どの程度のもので、在満邦人からどう見られていたのか、軍部からはどう見られていたのかという点が非常に気になるところ。特に菊池写真館で密かに撮り溜めた写真が日露戦争にどう影響を与えたか。
投稿元:
レビューを見る
まるで、映画を見ているかのような大冒険活劇が繰り広げられる。
「事実は小説よりも奇なり」とは、まさにこの本のためにあるような言葉だ。
何より、満州の荒野で織りなす人間模様がいかにも興味深く、つい続きの頁を繰ってしまうのである。
投稿元:
レビューを見る
間違いなく日本人の手記ながら、現代とは価値観がかけ離れているのでパラレルワールドの小説を読んでいるような気持ちになる。
軍人の肩書きを外して、片務的な任務に就く菊池正三。なぜそこまでするのか、なにがそこまで駆り立てるのか、淡々とした文章なので心の動きは伺い知れない。
馬賊との関係、満州の日本人ネットワーク、遍在する各国に雇われた韓人スパイ…軍人である菊池(石光)はともかく、民間の在留日本人も何が為に外国で孤独に耐えながら(思いつく限りの日本人の名前や古新聞を音読する話は辛かった)働けるのか、わからない。墓まで持っていった秘密もいっぱいあるのだろう。
今の日本があるのは、教科書に名を残さなかった多くの日本人がいたからこそ。石光から見た現代は、果たしてどのように見えるだろうか。
投稿元:
レビューを見る
ロシア研究の必要性を感じて大陸に渡った真清の、まさに目の前で、黒竜江の大虐殺は行われた。手記によると「東亜における有史以来最大の虐殺であり、最大の悲劇であった。」「この日から大東亜争覇の大仕掛けな血闘史が幕を切って落とされたと言ってよい。」―真清は自身の先見と事実を、どんな思いで見ていたのだろう?
投稿元:
レビューを見る
1978年(底本1958年)刊。日清戦争後、中国満州を中心に諜報活動に従事した著者の自叙伝。全4巻中の2巻目で、日清戦後から日露開戦直後までの模様、特に義和団事件の影響とその後のロシアによる同地の扶植の切迫した状況が、生半可の史書よりも詳細かつリアル。著者が足を延ばした地域は、ハバロフスクからアイグーン、哈爾濱・チチハル、大連等。馬賊、露あるいは満州在留邦人、さらに露軍関係者との親交を結びつつ、危険と隣り合わせで彼の地で生計を立てていく(軍の支援は一定程度あり)。当然、露官憲による弾圧・投獄は日常茶飯事。
極寒の地を徒歩にて踏破し、危地を脱する等、小説も見紛うばかりの内容に頁を繰る指が止まらなかった。なお、いわゆる唐ゆきさん(ロシアへも)が多数存在していたこと、女衒と思しき人身売買集団が日本から女性を連れ出し(誘拐まがいのこともあったよう)暗躍していた模様、その売られた女性がロシア・満州にて懸命に生きる様子に涙を誘われる。
投稿元:
レビューを見る
シリーズ第二巻となる本書では、著者が満州にわたり、「菊地正三」という変名を用いて現地での活動を開始します。
さまざまな背景を背負って大陸へやってきた日本人たちの姿がえがかれるとともに、当地で暗躍する馬賊たちと著者との交流の様子も語られています。やがて著者はウラジオストックからハルピンへと移り、写真館を営みながら諜報活動をつづけます。
大陸浪人となった日本人たちの実情をうかがうことができる内容で、おもしろく読むことができました。