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政治学をやっていると経済学は切り離せないものであり、経済学だけでなく韓国政治を勉強する上でも切り離せないのが「マルクス」。
思想でも、政治学でも、歴史でもあたりまえのように登場しまくるマルクスの思想。まったく予備知識のない私は、あたりまえに使われるマルクスの用語にどれだけ苦労したことか。
初めからマルクスの著書を読むのはかなり無謀なので、やはりここは入門から入るのが無難。かなり簡単に噛み砕いて説明してくれている・・・とは思うが、それでも聞いたことがあるようで実はぜんぜん理解できてない単語がぼろぼろとでてくる。この本だけでそれを理解できればいいが、やはりあたりまえの用語なのか基本的なところがわからなかったりも。
薄い本だけれども、読んでも読んでも理解が進まず読了するのに数日かかった。この本では入門レベルにも達せないため、ここに登場する単語の意味、内容を自分で少しずつ噛み砕いて理解しながら読み、また高次のマルクス関係の本を読むのがいいかも。
ここではマルクスの思想を説明するよりも先に、マルクス本人が持っていた関心興味の対象を説明することで「何を問題点としていたか」「何を理想としていたのか」について比較的簡単に知ることができる。その後は順を追ってマルクスの思想に入っていく。
何が驚いたかって、彼の学位論文は未だに使われるほどのすごいものだったらしいということ。
やはり天才というのはいるんだなぁ・・・。
再読(2009.1)
赤線を引き、付箋をしながら再読。
「どこが入門なのか」と何度も問いたい。その他の思想史の文献を読み、もう少し知識がついたらまた再読する必要性を感じる。
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三島もマルクスもニーチェも何故か惹かれる古代ギリシャ。ギリシャに行ってみたくなりました。
でも、マルクスの面白さはあまり伝わらなかったですね。
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ここらでマルクスくらい勉強しておくか、とハードルかなり低めに“新書”かつ“入門”にしてみました。
が、なにやらヨクワカラナイ。
従来のマルクス論を見直す、というような内容なんですね、これ。
そもそも全く知識のない身としては混乱しそうなので、しばらく本棚で寝ていてもらうことにしました。
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階級闘争=現実世界における経済的関係の網の目から生じるもの
なぜならある時代における生産手段の発達はそれを支えている生産関係と矛盾するから
資本家の打倒と新しいプロセスを革命ととらえ、共産主義への移行をとくマルクス。
観念論と対立関係にある唯物弁証法ですいわゆる
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このタイトルが間違ってる・・・
これはどう考えても「入門」ではない気がする・・・
マルクスは悪いのか?
冷戦の終結とともに忘れさられたマルクス。
しかし、マルクスは、マルクス主義は悪かったのか?
マルクスとは何か・・
って感じの「入門」書(笑)
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経済学批判の章しか読んでいないが、マルクスの顕微鏡的論理、いわゆるミクロロジックなるものが非常に興味深い。マルクスの、人間の経済活動全般を微に入り細に穿って探求しようとするその精神には素直に感嘆する。人間労働の中に社会的性格を見出したときのマルクスの気持ちというものはどんなものだったのだろうかと思った。
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ソ連の崩壊により忘れ去られたマルクス主義、、、しかし、ソ連が実践したのはマルクスが予想した社会ではない。
マルクスは自由を、労働からの解放と自由時間の中に見ている。この考えは、先進的であり、労働時間の短縮よりに、労働からが労苦的から健康のための活動になり得る。この視点で見ると、共産主義の労働共同体がマルクスの精神からかけ離れているかがわかる。また、マルクスは貨幣を誠実を不誠実に、愛を憎しみに、憎しみを愛に、徳を悪徳に、悪徳を徳に、奴隷を主人に、主人を奴隷に、愚鈍を理知に、理知を愚鈍に転倒させる力として批判している。
マルクスの考は、貨幣な支配されている資本主義からの脱却に、繋がる思想なのだとおもった。
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人間の解剖は、猿の解剖のための一つの鍵である。
・・・・・・『マルクス入門』180頁(『マルクス 資本論草稿集1』57-58頁)
これが、マルクスの入門書なのか?、少なくとも哲学の入門書でないことは確かだと思う。散在する専門用語の数々、読み解くための前提知識はかなりの量が必要なのではないだろうか。
ヘーゲルに関する知識は必須であろうし、ソクラテス、プラトン、アリストテレスと彼らが生きた古代ギリシャの時代背景などなど・・・わかる人じゃないとわからないかと。
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2006.6.15
かつて一世を風靡したソビエト連邦や国内での学生運動は、得てしてマルクスの影響が多大であるとは一般常識だが、
「そういやマルクスって何したの?」
という単純な疑問から読みはじめたのだけれど。難しい。これ入門じゃない絶対。時代とともに尾ひれがつき歪められていってしまったマルクスの思想の核心を突きたかったみたいだけれど、突いていない。一章ではマルクスの思想を3つの類型に分けているのだけれど、これが本来マルクスが意図した考え方なのか、時代に因って歪められてしまったけれど世間一般が考えているマルクスの考え方なのか、わからない。ていうか論理が二転三転した上にいきなり飛躍するのだから全く追えない。俺の読みが甘いだけなのか。入門だと思って油断するなかれ。予備知識ゼロの人にとってこれは応用だ。世界史受験者とかならわかるんかなあ。
2章の途中まで読み挫折。ときおりシェイクスピアの引用が載っており、乾いた文面に潤いが。論理と情緒のバランスって案外重要なのかも。
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マルクスの思想の概説書というよりも、著者自身のマルクス解釈を展開する試みというべき本。アルチュセールの構造主義的マルクス主義の影響のもとで、社会認識批判の試みとしてマルクスの思考様式を読み解いている。
著者は、「自由」と「共同体」についてのマルクスの理解が古代ギリシア的な理解に近いということを明らかにした上で、近代市民社会に対するマルクスの批判を検討している。マルクスは、ルソーの市民社会論の影響を受けながらも、利己的な「私人」と「公的人間」との分裂を解消する具体的な道筋を示していないことに不満を持った。そこでマルクスは、現実の一人ひとりの個人が、抽象的なままにとどまっている公民をみずからのうちに取り戻し、個人としての人間がその経験的生活、その個人的労働、その個人的諸関係の中で「類的本質」を実現するための、現実的条件を明らかにすることを、みずからの課題として引き受けることになる。
マルクスはその条件をプロレタリアートに求めたのだが、著者はプロレタリアートが、もはや「一つの」社会的階級、「一つの」身分ではないという。それは市民社会から排除された存在であり、それ自身がすでに社会の解体そのものなのである。そうであればこそマルクスは、社会は社会自身がみずからを変革する条件を内部から産出しているときに、またそのときにのみ、社会変革は起きると言うことができたのである。
本書の後半は、マルクスの貨幣形態論の中にヘーゲルの「止揚」(Aufheben)の発想がどのような形で引き継がれているかを論じている。「止揚」は、その結果のうちに、過去の経験を否定・保存・昇華する。それゆえ、マルクスの貨幣形態論は、貨幣の分析を通じて人類史における交易様式の歴史的形態を読み取る試みであり、そうした系譜学的省察を通じての経済学批判・社会認識批判になっていると、著者は主張している。
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[ 内容 ]
マルクス主義が大きく後退した現在の状況下で、今あらためてマルクスを読みなおす意義はあるのだろうか。
『資本論』をはじめとする主要書を再度きちんと読みこむことでとろえられるマルクス像は、哲学においても、経済学においても、あらゆるイデオロギーを批判して、無神論の位置につねにたとうとする姿であった。
既存のマルクス像から自由になり、マルクスの新しい可能性を見出すための最良の入門書。
[ 目次 ]
序章 さまざまなマルクス像
第1章 「ギリシア人」マルクス
第2章 分裂なき共同体
第3章 文明史のなかの資本主義
第4章 歴史的時間の概念―ヘーゲルとマルクス
第5章 『資本論』の学問―「新しい学」の創造
[ 問題提起 ]
[ 結論 ]
[ コメント ]
[ 読了した日 ]
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入門というよりは実践という感じ。
マルクスのことが知りたくて読み出すと内容の2割程度しかすぐには理解できない。
哲学的な話なので仕方ないが、かなり用語的にも読解力を要する。