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森先生へのインタビュー。
読みやすく、自分が学生だったころ、
今、大学で博士(その先は研究者)を目指す友人を
思いながら読んだ。
でも、この本の感想は
私の生まれた土地に感謝している人がいる、
それをとても嬉しく感じた。
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高校生の自分としては、馴染みのない内容が多かったですが、対話形式や普通の形式(?)などころころ変わる感じが、全く飽きがこなくてよかったです!
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森博嗣の語る大学論.こういう視点があったか,と新たな知見が得られた.文科省の政策や大学の運営について,自分の中でもやもやしていた部分をすぱっと言いきってくれていてすっきりした.
本人はずっと研究していたかった(時間の浪費になる会議は嫌である)ようで,助手(研究の時間がたくさんあった)時代の三重大学に宛てた同窓誌には感謝の言葉ばかり述べているのに対し,助教(会議の嵐で多忙)時代の名古屋大学の同窓誌はかなり淡々と(むしろ後ろ向き発言を連発)しており,実は本書で一番面白い箇所ではないかと思っている.
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著者はスカイクロラなどで有名な森さんですね。
中身はインタビュー形式な感じです。
色々書いてあって面白かったです。
学問をなぜするのかとか、大学が歪だとか。
特に、減ったり、失われたりすることに対する考え方には考えさせられましたね。
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新書ですが、これを読んで森ファンになりました。
「すべてがFになる」でデビューしたアノ人の著書です。
【熊本県立大学】ペンネーム:トーマ
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古い読書履歴より。
新書。まじめな意味で大学にいくことを希望している人は、あんまり読んでも意味ない本。
森博嗣の名前にひかれて読んだけど・・・彼のエッセイものとかは小説よりもさらにどぎついので結構人を選びそうだ。
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「あるあるあるある・・・」と思いながら読みました。
少子化について、学力低下についてなど、肯定的な意見を臆することなく発していて感心しました。
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高等教育の授業を受けていることもあり、非常に面白かった。
学生側の高等教育に関する本とかあると面白いのになー
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自分が大学生で身近だからか、森博嗣の新書の中では一番好きかもしれない(もちろんまだ読んだことのない新書もあるのだが、それを読んだとしてもこれが一番好きでありそう、という意味)。自分が曖昧に思っていたことをきちんと言葉にしてくれて、文章がすんなり入ってくる。
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「大学は基本的に研究を行うところ」だから「大学は、学問をしたい人に学問をする環境をいつでも提供できるということが使命」だ。
最近は少子化のため大学も生徒集めに奔走している大学もあると聞く。大学へは全員入学できる時代である。もちろん希望通りの大学へ入学できるかどうかはわからないが、数だけで考えるとそうなるらしい。大学はどうあるべきなのか、人それぞれの価値観も多様化している現代において、しっかりと考えていかなければならない問題であろう。大学も淘汰されていく。それは当然のことであろう。
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名古屋大学の非合理的なところに「つきあってられねぇ」と思っていた(思っている)んだろうなと予想されることが書かれています。多くの点で賛同しますが,「これは屁理屈だろう」と思えるところもあったりします。しかしながら,少なくとも,僕が知っている大学教員よりも数段もまともな考え方の持ち主だろうと思います。
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同じ問題を解かせると,たしかに,昔の学生よりは得点が低いといったデータがあるわけですから,その「学力」に関しては,低下していることは事実でしょう。それは,しかし,「ゆとりのある教育」という謳い文句で,ずっと邁進してきた結果であって,そうしようと皆さんが考えてしたことではないのでしょうか。今さら,低下していると目くじらを立てる方がどうかしているように思います。(p.25)
家庭内暴力という言葉がありますが,子供にとって,家庭とは,もう生まれたときから縛られているもの,それこそ暴力の一種だと考えても間違いではありません。家庭は,存在するだけで,子供にある種の暴力を振るっている,と認識すべきです。子供の自由を奪っているのですからね。もちろん,だから家庭なんて崩壊すれば良い,と言っているのでは全然ありませんよ。ただ,「家庭は無条件に良いものだ。すべてを解決する愛の場だ」と考えることは,もうほとんど宗教の世界だと思います。(pp.37-38)
小学校,中学校,高等学校,にはいずれも「校」の文字が付く。ところが,大学は大学校とはいわない。これはつまり,大学がスクールではないからだ。すなわち,「教えてもらう」あるいは「教育を受ける」場ではない,という意味である。学ぶための知識と方法は,すべて(ほとんど)高校までの教育で身につけられる。もう自力で学ぶ手法を知っている。それが大学生なのだ。大学の教育とは,講義室で行われる授業にあるのではなくて(あれは単なるガイダンスだと思って良いだろう),学びたい学生が,自分からすすんで教官の部屋へ訪ねてくる。そこで議論があり,ともに学ぶことができる。こういった学び手の主体性のうえに成り立っているのが本来の大学のシステムだろう,と森は考えている。この観点からすると,現在の大学(の多く)は,単なるスクールに成り下がってしまった,と思えてしかたがない。ほんの少し,大学の雰囲気を残す唯一の例外は,「卒業研究」だろうか(これさえ廃止してしまったところもあると聞く)。(pp.62-63)
仕事と手法が与えられたとき,それを的確に解決できるのが,学士。仕事を与えられたとき,手法を自分で模索し,方向を見定めながら問題を解決できるのが,修士。そして,そもそも,そのような問題を与えることができるのが博士である。(p.67)
[申請書を作成する時の]研究テーマなんて,もうほとんど架空のものだといっても良くて,SFとまではいいませんけれど,まあ小説を書いているような,つまり創作だと思ってもらってけっこうです。とにかく,研究を遂行することが主目的ではなくて,いかにして審査にパスするか,いかにして資金を獲得するか,ということが最優先課題になるわけです。(pp.91-92)
旧帝大は,それなりに意識していますね,お互いを。もちろん,それは執行部がです。なにかというと,他の旧帝大の動向を調べて,比較をしています。他の大学がやったら,うちもやらなくてはいけないって考えるんです。変ですよね。普通,他でやったら,もううちはやらなくても良い,と考えるのが自然でしょう? 独自性を出せと言っているわりに,同じようにしたがるのは何故でしょうか。(p.131)
私学の先生なんかが,学生が多くて授業が大変だ,という話をされますが,それは,多いから大変なのではなくて,やる気のない学生が沢山いるから,邪魔だ,という意味でしょうね。これに対しては,教員の力ではなんともなりません。目先を変え,講義やカリキュラムの工夫をする,といった教員側の問題ではなく,大学の運営側の問題に帰着します。ようするに,私学だったら,理事会ですね。入れるだけ入れておいて「学生にやる気を出させろ」なんて,そんなことができるのは,ほとんど宗教団体でしょう。(pp.162-163)
大学は基本的に研究を行うところです。そこに,学びにくる学生たちがいる。研究する人の身近で,学問とは何なのか,学ぶということにはどんな楽しみがあるのか,を知る場所なのです。
高校生までの子たちは,学問が楽しいとは絶対に考えていません。また,大学を就職するための通過ポイントだと考えている人にも,学問の楽しさは発見できないでしょう。別に全員が発見しなくても良いと思います。ただ,そういう機会があった,というだけでも,将来の布石となるはずです。
大学のときは全然勉強をしなくても,三十代,四十代になったとき,ああ,あのとき勉強をしていたら良かったな,今からでもできるかしら,と考えられる,それだけでも,大学の価値はあると思います。大学に行っていなければ,それこそ,学問なんて雲の上のもの,まったく自分には無縁のものだと思い込んでしまうでしょうからね。(pp.170-171)
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現在は退官されているようだが、
かつて国立大学の教員として勤務しており、
当時から今も変わらず作家として活躍している森博嗣が、
“大学”についてのインタビューに答えたものをまとめた一冊。
テーマが限定されてはいるものの、語られている内容の
核の部分は、森博嗣のエッセィ等で何度も語られてきたもの。
森先生がご自身でもおっしゃっているとおり、
明らかに少数派に属する意見だろうと思うし、
このようなことばかり主張していると
組織の中では異分子扱いになるだろうな、とも思う。
社会のことについて非常に無知な自分でもそう思うのだから
まともな人が読んだら、拒絶反応すら示すのではなかろうか。
だが、別におかしなことは何も書かれていない。
どれも理屈が通っていて、うなずける話ばかりだ。
それなのに、この本に書かれているようなことが
社会的に少数派の意見であるのはなぜなのか。
その問いを発することにこそ、おそらく意味がある。
書かれていることを自分が受け入れられるかどうか、
といった尺度だけでこのような本を評価すべきではない。
こういった考え方もあるという事実を認識し、
なぜそう考える人がいるのか、
また逆に、なぜそう考えない人がいるのか、
といったことを考察してみると、きっと有意義だろう。
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今の大学の在り方と教育についてをインタビュー形式で述べたもの。掘り下げて考えるというよりも、頭を柔らかくして見つめてみるといった印象を受けた。口語で書かれているため手軽に読める一冊。
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国立N大学工学部の元教官で、人気ミステリ作家でもある森博嗣さんが、大学を辞めた年に出版した本。若い人向けに、今の国立大学の惨状を語って聞かせる形式をとりつつ、内容はかなり過激である。私がN大工学部に通っていた頃は、森さんも現役の助教授として勤めていたので、「すべてがFになる」を片手に研究室訪問でもしておけばよかったかも。まさか定年前に辞めてしまうとは思っていなかったけど、本書を読めば、森さんがいかに大学組織に嫌気が差していたかが分かる。(ちなみに、N大工学部時代の私の先輩は、サインをもらうために、わざわざ森さんの部屋を訪ねたらしい)
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新書第10段。 ラクレらしい内容といったところ。問答形式なので、森先生がうまく合わせて答えられている。 大学、研究、学ぶこと。先生の視点からよく言われる常識を疑っていく。気づくことは多い。しかし、結局は、自身が大学時代を思い出し、懐古したいだけなのかもしれない。それでも、ホワイトボードの前で、助教授の先生と数人の学生で時を忘れて議論し、気づけば夜が明けていたような経験は、今となっては得難い。 「組織も人も歴史に残るのは実は『名前』だけである、と僕は考えています。どうか名前を大切にしてください。」