紙の本
拒否できない日本アニメ
2005/12/02 15:58
13人中、12人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:sheep - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書の題名を見て、頭に浮かんだ本がある。「模倣される日本」だ。
「模倣される日本」には、「和製アニメがすばらしいので、アメリカにさえ真似される」というような論があったように記憶している。「本当に日本はアメリカに模倣されるくらい立派なのか?」と、納得ゆかない違和感があった。
本書のタイトルは「模倣される日本」と逆。結論をいってしまえば、予算と時間があれば二冊の併読をお勧めするが、そうでなければまずは本書をお勧めしたい。
本書の7割近くを占める第一部は、まんが/アニメ史概観。のっけから「日本に移植した文化を回収するハリウッド」という説明がある。学生時代からマンガの世界に入り込んでいたオタク文化専門家?ならではの具体的な指摘は鋭い。なにより「歴史的」視点を明確にしていることに共感する。
日本の漫画、アニメと「思想統制」の歴史は陰鬱だ。一言で言えば、転向左翼までも存分に活用した「体制翼賛」の歴史に見える。「ガンダム」においても、それは再現しているようだ。
「ハリウッドのキャラクターは身体性をもたない」という指摘がある。漫画やアニメの中では、銃剣で刺されても銃弾を受けても、怪我もせず、復活してしまう。日本のマンガもアニメも、そうしたハリウッド流をしっかり取り込んで成り立っている。(アメリカ軍が新兵リクルート用ゲームを流布しているのも、この延長に違いない。)また、舌鋒鋭い村上隆のリトルボーイ展批判にも納得した。
第二部は残念ながら分量的には少ないが、内容は十分に重い。
なんのことはない、一見「助成」にみえる政府施策の本音、アメリカ映画資本の対アジア浸透政策のお先棒を担いでいるにすぎない、という。「拒否できない日本」アニメ版ではないか!
個人的に、国が近年アニメ助成のような活動をし始めたのを、いぶかしく思っていた。真意が掴めずにいたからだが、その疑念は本書のおかげですっかり晴れた。役所の本音などそんなもの。
アメリカに都合のよい産業整備、法整備をしようとしているのにすぎない。
ハリウッドが強いのは、世界の映画流通網を押さえているからだ。宮崎アニメも、アメリカではごく一部の映画館でしか上映されていない。配給はディズニーに任せるしかない以上文句は言えない。販売チャネルの欠落という隘路を、政府はしりながら策を考えようとはしない。
関西の学習塾企業が杉並に作ろうとしていたアニメ大学院の認可がおりなかった理由に、専任教員の不足があげられていた記憶がある。
そうした教員、「クリエーター」と「アカデミシャン」双方の言語をもっていなければならず、現時点ではありえない人材であり、教育制度づくりには長期的ビジョンがいるのだ、と著者は指摘している。
手塚アニメによって確立されたといわれる低賃金アニメ現場労働の情況を変える策などもちろん国は考えない。製造現場や、販売チャネルの問題点を放置したまま、アニメの大学を作ろうという動きだけが進んでいる。働く場なしに無理矢理押し出すのだ。無責任な話。著者は、ありあまるオーバードクター回収・救済策と、少子化対策だといい、そうした大学院が行きづまることも予見している。
ジャパニメーションの「国策化」は一年もすれば、「空しいファンド」と「空しい振興策」と「空しい大学」だけがのこる。国策が破綻したあとの次の局面を想定したビジョンをたてることが、まんがやアニメーションの側に必要だ、というのだが。
日本の箱もの行政は、不要なダムを作って、自然を破壊する。音楽ホールをたてても、演奏家は養成しない。アメリカの下請けでしかないお役所や、提灯持ちの学者の声ではなく、著者のような根っからのマンガ・アニメ人の声こそ常識になって欲しいと思う。
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アニメ・オタク論について、いつも鋭く手厳しい評論を展開する大塚さん、ここでもその手腕は冴え渡っています。 ジャパニメーションの起源を、漫画、アニメ文化の歴史から忠実に、仔細に検討し、漫画アニメを日本文化と言い切る世論にメスを入れる。
そして、国策としてジャパニメーションを標榜しようとしている日本にも厳しい苦言を呈する。
内容は多く、深い。 読みこなすにはかなりの苦労を労するが、漫画・アニメ手法の起源などを探りたい人にはお勧めの本。
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国家の戦略にマンガとアニメを利用されるのに反発する結論部分には全面的に賛成する。ただ、そこに持っていくまでの論理展開に肉付けが十分とは思えないので(新書版では難しいのだろうが)、なるほどと思うのとそうかなと首をひねるのと、両方。
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主張の仕方が回りくどいです。
でもお役所というのはこういう言語しか伝わらないとこなのかもしれません。
あと、この著書の中で触れられている。かなり大雑把に読むっと身体性を持ったキャラクターがポルノの対象になるという理論は少女の危うさと全く同じなんですね。それに気づいた少女漫画家たちの語る性はだからあんなに力があるんですね。納得です。
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日本のデジタルコンテンツビジネスを国が支援するという体制や現在の業界の現状に批判的な立場から論説していく新書。
大半の世の中のビジネス書が、これらの動きを肯定的に捉えていることに対し、この本の内容は、現在の状況に異を唱えている。
関連する論文を書く、また現在のデジタルコンテンツに関連するビジネスの現状を知るためには必要な一冊。
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[ 内容 ]
日本のまんが/アニメの発端は、戦前のハリウッド、ディズニーの模倣、戦時下の統制にあった。
戦前のまんが入門、戦争と透視図法、大城のぼる「火星探検」、手塚治虫「勝利の日まで」、萌え市場、産業としてのサブカルチャーまでを徹底分析。
今また戦時下にある、まんが/アニメの本当の姿とは何か―。
[ 目次 ]
第1部 まんが/アニメから「ジャパニメーション」へ(日本のまんが/アニメは何処から来たのか;戦後/手塚/手塚の継承者たち)
第2部 国策の中のジャパニメーション(市場規模から見るジャパニメーション;産業構造から見るジャパニメーション;ナショナリズムから見るジャパニメーション)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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共感度(空振り三振・一部・参った!)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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「マンガ」から派生した「アニメーション」が世の中の中央に置かれてから10年くらい経つ。様々な様態のアニメーションを生んでいることから、正統派(?)は、それとは区別をするために「アート・アニメーション」なる分野が確立され、世界的にもその方向に向かっているかのように感じる。
ラジオやクルマが世界的に売れない時代だからといって、「アニメーション」を国家主導で推奨することは少し居心地が悪い。
本書は、その妄想とも言える「ジャパニメーション」の存在と現状をいくつかの側面で分析している。
第1部では、日本における漫画の起源から、それが戦前・戦中にどのように発展したか。さらに、戦後、著名な漫画家の作品を西洋から借りてきた構造になぞったものと分析する。そして、「萌」からはじまる「サブカルチャー」の分析へとつながる。 この第1部は「日本のアニメーション史」として読むと最高かもしれない。
第2部では、日本国内やアメリカなどの興行収入などから、「現実」のジャパニメーションを紐解く。さらに、アニメーションを中心としたビジネスに発展する。
著者、大塚英志は、同様の書籍を数冊出版しているので、合わせて読むと良い。また、現代日本のサブカルチャーの予備知識として、村上隆『芸術起業論』を合わせて読むことも勧める。
タイトルは、まさに常日頃思っていたことを口に出してくれた感じで、「あっぱれ!」
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漫画の鳥獣戯画起源説を退け、日本の漫画は所詮、ディズニー的なものの亜種に過ぎないと喝破した著者の非常に現実的な解答。ロジスティックを全面的にアメリカに拠っているので海外展開しても構造的に勝つことはできないという結論
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難しかったけど、漫画の技法と時代の相互的変遷がよくわかった!前半でたっぷり書かれています。
後半はアニメや漫画の海外進出について。
なんとまぁ喧嘩ごしな本のタイトルだなぁと思ったけれど、後半まで読むとしっくりきた気がしま。
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「クール・ジャパン」という言葉が作られ、マンガ・アニメを中心とする日本のサブカルチャーに対する国策的な期待が高まっている現在の状況を、著者は歴史的な視点から批判しています。また第2部では、各種の経済指標を読み解くことで、サブカルチャーの市場規模は期待されるほど大きなものではないことを示そうとしています。
日本のサブカルチャーは、「アメリカ」と「戦争」という2つの影によって、その出生を規定されていると著者は考えます。1930年頃から、ベティ・ブープやミッキーマウスなどのアニメーションが受容され、そのブームに追随する形で、田河水泡の『のらくろ』などのキャラクター・ブームが生まれます。こうしたハリウッドないしディズニーの様式を取り入れることで、「キャラクター」という概念が初めて日本のサブカルチャーの中に成立することになりました。
その後、戦時下において国策としてのマンガが盛んに描かれるようになります。これらのマンガを特徴づけているのは、兵器をはじめとする科学的リアリズムです。著者は、今日のオタク的な視点の起源をここに見いだすことができると論じています。その中で著者は、記号的な「死なない身体」を持つキャラクターに「死」を付与するという試みをおこなった手塚治虫に注目します。こうした手塚の問題意識は、キャラクターが「成長」することの困難に直面した梶原一騎の劇画や、キャラクターの中に私小説的な「私」を持ち込んだ『ガロ』系のマンガに引き継がれ、やがて記号的な身体に呪縛された少女に訪れる性的な成熟の葛藤を描いた二十四年組の少女マンガ家たちによって大きく開花させられることになります。
しかし、こうした手塚以降の問題意識は現代のサブカルチャーには受け継がれていないと著者は批判します。吾妻ひでおのロリコン・マンガは、手塚的な記号的身体を持つ少女が性器を隠していることを明るみに出すという、ぎりぎりの批評性を持っていました。そうしたわずかな批評性までもが欠落したとき、キャラクターに対する「萌え」を中心価値とする現代的なサブカルチャーが誕生したと、著者は論じています。
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たぶんラノベや、秋葉原のヲタク系のアニメに心酔している人達にはウケが悪い話。これからはソフトパワーだとか、コンテンツ産業が経済を活性化するとか、具体的な戦略のない経産省や政府のリップサービスにウハウハしていた人にとっては、すごく耳の痛い話が盛りだくさん。ヲタク側にいて飯を食っているのに、こういうことを言うからこの人は嫌われるんだろうな(笑)。私は嫌いじゃないけれど。