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16歳の時の自殺未遂、そののち何回かのトライの後、昭和27年阪神電車に飛び込んで21歳の若さでこの世を去った芥川賞候補作家。
大会社創業家であり男爵の血筋の家の重圧に加えて戦中戦後の家の没落が影を落とす。多感期の「死」への衝動やむない「生」だった。
なぜ生きるのか、生き続けるのか、実存の不可思議の中で決断する「死」。
叩きつけるように青春のいたたまれない気分が表現されている。
21年の時間を全力で走り抜けた人。
余分なことだけれど、彼女の残された写真を見るとその美しさに驚く。
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そうね、気持ちはわからないでもないよ。
でも彼女のような生い立ちや境遇におかれていたのは彼女だけではないし鬱憤を感じながら生きる人も境遇に優越感を見いだす人も重圧に負けずに真面目に頑張る人もそれぞれだ。
ひとつだけ言えるのは、何かの所為にして「ワタシって可哀想なんだ」と言う人間を可哀想だとは思えないってことだ。
ポジティブに生きていける材料を探す努力をしなかった人の生き死になんて知ったことじゃない。
人生の終わり方が劇的だったから、という理由で有名になってしまってホントに残念だ。
こんな不幸自慢みたいな文章しか残せていないのに作家という肩書きで死んだなんて。
結局、悲劇のヒロインごっこを実人生に投影しちゃっただけのことじゃないか。
本当に、後世にこんな残り方をしたかったのか。
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青空文庫(著作権がない本を公開しているサイト)で読んだ。「幾度目かの最期」「入梅」「落ちていく世界」「久坂葉子の誕生と死亡」「灰色の記憶」を読了。
ほんの数十年前に、彼女のような境遇〈斜陽〉の人たちがいたことに不思議な気分を感じる。環境があまりにも違うとはいえ、自分の行き方を最期まで見出せなかった彼女と、今の閉塞した時代に生きる自分と少しオーバーラップするかのよう。彼女の時代では、今よりもっと女性(しかも貴族)が生きにくかったろう。
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2011/1/24(~120) 25(~294終)
筆者の久坂葉子氏は「幾度目か最期」を執筆後、自ら命を絶った。
咄嗟に「二十歳の原点」の高野氏を思い出した。彼女も日記をずっと書き綴った後に自ら人生に終止符を打った人だ。多少シンパシーを感じる私。
「灰色の記憶」を読んだあとに「幾度目かの最期」がくるわけで、全部読み終わったあとに「灰色の記憶」の物語が全部筆者の生き様、人生に密接に関係しているということが痛いくらいに実感できる。
彼女は愛に殺されたのだろうか。
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生きていれば78歳の久坂葉子は、今から57年前の12月31日に、21歳の若さで電車に投身自殺。
高1のとき『ドミノのお告げ』を読んだ後に、私も阪急電車の六甲駅の彼女が飛び込んだ場所に行って、45年前の情景を思い浮かべようとしました。
当時わたしは、霊媒じみた行為を時として知らないうちにしてしまうことがあり、そしてこの時には反対にあらかじめ意識して行うことにして赴いたのでした。
自分では信じていませんでしたが、父が撮った何度かのそれらしい現象の映像は、疑うことを拒否していました。
ですから、この日のことは私が初めて合目的にとった行動で、なので、そんな恣意的な行為が目的を果たせるかどうか不安でしたが、案の定、交感は上手くいかなくて、逆に向こうの力に引っ張り込まれるような情況が現れて、自分で自分を制御できなくなり、いきなり弾き飛ばされるようにして線路の上に投げ出されてしまったのでした。
幸い身軽な父がすぐ引っ張り上げて助けてくれて、その何分後かに来た電車に接触することなく一件落着しましたが、とんでもない恐怖体験でした。
周りも懲りて、このとき以来こういう実験はタブーになって誰もやろうとは言い出しませんが、あれから12年、私自身はフロイトやユングを学んだり、他方でオカルティズムにひとかたならない関心を寄せる身ですから、以前より強く実現を求める気持ちばかりが募ります。
禁止されていますが、ムズムズしてます。
それはともかく、この遺書めいたというか遺書そのものというか死の宣言書みたいな作品は、なかなかゾクゾクする肌を切り裂く味わい深さで私たちを魅了して止みません。
「何という罪深い女。私は地獄行きですね。」(『幾度目かの最期』最後半部分)
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山田五郎・中川翔子のラジオで知る。
その彗星のごとく現れた少女による一冊。
裕福な家庭でわがまま放題に育った少女。
その少女が自殺する直前に書き上げた
手紙の形を借りた小説である。
少女はなぜ自殺したのか。
その理由は現代をなに不自由なく生きる人たちが
抱える苦悩に通じているのではないか。
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才色きらめく人生に二十二歳で終止符
富士正晴が毎日新聞に勤めていた時、ここをよく利用していた関係で久坂葉子もこの店の常連であった。当時(昭和二十年代)は堂島グランドビルはまだ建っておらず、「MUSICA」はその南西、北新地の中に歴史ある面影の店舗を構えていた。
「幾度目かの最後」の原稿もここで富士正晴に渡しているし、作品中にも、久坂と思われる主人公が「MUSICA」とおぼしき喫茶店で、好きなクラシックに耳を傾けるシーンが登場する。
幾度目かの最後とは、今まで自殺するするといいながら生きてきたが、今度こそ本当に決行しますという意味で、遺書ともいえる作品である。この原稿を富士に直接手渡したのは、富士が自分を最も良く理解してくれているという思いが彼女にあったからであろう。
そして、彼女は意識していなかったにしても、深く信望している富士にダイニングメッセージを送ることにより、彼からの助けを待っていたのかも知れない。
三人の男性の間で揺れ動き苦しむ
久坂葉子は一九三〇年、神戸生まれ。相愛女専音楽部を中退後、富士正晴の主催する同人誌「VIKING」に参加。小説「ドミノのお告げ」で芥川賞候補になったのが十八歳の時という、才能と若さ、美貌に恵まれた存在であった。
作品の冒頭に、主人公が自殺に追い込まれた原因がこのように書かれている。
「私もうまっぴらなんです。苦しむのは嫌よ。私云いましたね。三人の男の人のことを。三人のちがった愛情を、それぞれ感じながら、私、罪悪感に苦しむって」
三人の男のひとりは、彼女が新日本放送に勤めている時知り合った同じ会社の社員である。沖縄節をよく聞かせてくれた彼を、彼女は「緑の島」と名付けて愛したが、彼には妻子があり、悩んだ彼女は服毒自殺をして失敗する。
生き返って肺病になり、療養している彼女を、レモンを持って見舞ったのが、二番目の男「鉄路のほとり」であった。「谷川ではなしに、もう海に近い、そして船の油や、流れてきた、汚いものが浮かんでいる川の中に、どこへでも行け、といった気侭気随でいる流れ木のような」男に、彼女はしだいに惹きつけられていく。
最後のラブレター書き大晦日の夜に………
そして三人目の男は、見合いをし、結婚契約を結ぶが決して愛せないと感じる 「青白き大佐」と仇名された男。彼と結婚契約を結んだのは「有名な親をもち、有名な祖父、曾祖父をもち、貴族出の母親をもっている」家柄の彼女にとって、 「私のような、過激な、情熱のかたまりみたいな女は、恋愛して、そのまま結婚することは、とてもできないと感じていたからであった。
この三人をめぐって揺れ動きながら、次第に自分が本当に愛しているのは「鉄路のほとり」であることに気付くが、年老いた母親や弟の面倒を見なければならない彼の現実と由緒ある家の束縛から逃れたいと悩む彼女とのギャップは大きく、二人の感情はスレ違うばかり。
「鉄路のほとり」のモデル・北村英三氏にあてた久坂葉子の最後のラブレターは次の文章で終わっている。
「とにかく
三十一日には
会いたいと思います。
五分間でもいい。
何も喋らなくてもいいの。
会うだけでいいんです。
あなたが何か云えば云う
程
私は
あなたがわからなくな
るのです」
何と愛らしいラブレクーかと男う。しかし、彼女はその返事をもらうことなく、三十一日の深夜、阪急・六甲駅で鉄道自殺する。二十二歳だった。
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昭和6年(1931年)生まれ本名川崎澄子、曾祖父が川崎造を始めとする川崎財閥の創設者、父親は川崎造船(現川崎重工業)専務、神戸新聞社長、母親は華族出身というセレブ一族だが、幼少の頃より乳母に育てられ両親の愛情は乏しく家柄故躾は大変厳しく育てられた。
父親の影響から8歳にして俳句を詠み12歳頃より小説を読み出し15歳時には随筆集を纏める等天才少女の片鱗が伺える。
16歳で最初の自殺未遂、17歳時にも2回自殺未遂を起こし21歳の大晦日に3日間で書き上げた遺書的作品”幾度目かの再期”を脱稿し仲間と忘年会後に阪急六甲駅で電車に飛び込み自殺を図った。この小説は当時3人の男性との付き合いに悩み自分の両親に辟易しながらも演劇、音楽、執筆に日々忙殺されながら悶々とする彼女の心の告白である。
若く短い人生であったのに彼女の言葉は重く深く胸に突き刺さる。青白き大佐、鉄路のほとり、緑の島という男性3人の間で激しく揺れる動く異常なまでの彼女の感情と言動には正直反感を持つ部分も出てくるが鮮烈な彼女の人生に心打たれました。
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最初の1行にノックアウト。期待。
9/8
死ぬという意識がぺったりはりついた言葉たちの羅列が、時にとてもまぶしく感じられるのはどういうわけだろう。
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狂気。圧倒的なリアリティーで、そもそもフィクションなのか自伝なのか、混乱の中読み進めました。
やはり表題作「幾度目かの最期」が絶品ですが、この文庫の順番通りに読むことこそが最上級に味わえるのだと思います。
解説読んでから読み直すべきかな。。。
19で芥川賞候補、21で自殺。恐るべし。
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3.5あたりで★をつけたいが、なかったので4。
突然死が顔を出す。
それにとっ捕まると、列車のように走り出して止まらない。
衝動の山と谷とを繰り返し、彼女はやっと死ぬのだけれど、「幾度目かの最期」ですら、ポーズなのじゃないかと思った。
本人にしか分からないことなのだけれど。
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17歳で初めて読んだときは大変ショックを受け、大変影響を受けました。未だ、一番好きな作家かもしれない…。
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久坂葉子は昭和6年、造船会社の家に生まれたお嬢様であったが
終戦後、父親が公職追放を受けたため
家財道具を売り払って、食いつなぐ生活を送るハメになった
その後、文学の道を志す
没落貴族としての生活を自らの小説世界に反映させていたが
太田静子のようなずぶとさを持つには若すぎたのか
「四年のあいだのこと」
かつての少女が大人になって
かつて恋した往診の先生を訪ねるのだが
米兵のジープが走ってきたとき、不意に「ある感情」を持つ
ちょっといきなりすぎてショックだ
「落ちてゆく世界」
没落した一家のあるじは病床にあって孤独だった
彼が死んだとき、子供たちの世界は変っただろうか?
「灰色の記憶」
自伝的な作品で、最初の自殺未遂までが記されている
あるいは、太宰治の「人間失格」に触発されたものかもしれない
反抗的な少女時代を送ったように書かれているが
基本的に「良い子」あつかいを受けていたらしいことは端々から伺える
「幾度目かの最期」
前に好きだった男と、新しく好きになった男
あと好きでもないのにつきあってる男
三人まとめていっぺんに交際しているが、どうも破綻をきたしつつある
…といった告白の手紙なんだけど
作者がこれを書いた翌晩には、阪急線に飛び込んで死んでしまったという
いわくつきの文章というか、まあ遺書だよね
しかしどうも、男たちとのことは自分自身への言い訳っぽい感じがする
つまり、自立した女としての自己像を守ろうとするものではないか?
そんな気がする
確かにこの人、死ぬ死ぬ言って周りの気を引くめんどい女だったらしいけど
三股交際も要は小説のネタづくりでしょう…そんなことより
ここに書かれていることでは、家庭内の確執のほうがよほど深刻な気がする
公職追放を受けた父親への、世間の目は厳しく
子供たちもその巻き添えを食う格好となった
「鳴かぬなら、鳴くまで待とう」のたとえもあるように
公職追放が解けるまでじっと耐えて待つのも、ひとつの選択だが
しかし若い娘にはそれが歯がゆくてならない
現実に、社会からの悪意をぶつけられて苦しんでいるのは子供たちなのだ
それがいつまで続くのかという不安、焦り
そしてなにより、そのことをわかってくれない大人たちへの苛立ちがある
これらにさいなまれる苦しみでは、死の理由に足りないものだろうか
「女」
とある女が死ぬ前の挨拶回りで遺書を配るというはなし
おそろしい
「鋏と布と型」
服飾デザイナーとマネキン人形が会話するという戯曲
やっぱ年を取るのはイヤだったらしい
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この本を手にしたきっかけは、
最も好きな小説家島尾敏雄が
神戸で創刊した同人「VIKING」に
作者が参加していたことを知ったから。
久坂葉子。
神戸市の名家出身。
21歳の時、
阪急六甲駅付近にて電車に飛び込み自死。
亡くなる前日に書き終えたという
独白調の短編小説である表題作は、
小説家である自らに宛てた遺書という意味もあったのだろう。
特別な理由も恐れも、悲しみすらもないのに、
ただただ死への希求ばかりが増殖し、
自死する未来だけが明白な事実としてある。
書くことで、自らが死ななければいけない理由を、
必死に探り出そうとしているかのような文章。
痛々しく、苦しい。
孤独は往々にして、
一見孤独とは無縁な者にこそその深淵を覗かせる。
死は時として饒舌に寄り添う。
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神戸生まれのこの作家は、本名を川崎澄子というそうです。
神戸の川崎製鉄(川崎市ではない)や川崎重工、川崎造船、川崎汽船などの、神戸川崎財閥創設者の直系、大変なお嬢様です。
19才の時に芥川賞候補となり、2年後の大晦日に、阪急六甲駅で鉄路に身を投げて自尽しました。1952(昭和7)年のことでした。
どんな作家だろうと興味を持ち、図書館で1冊かりて読んでみました。
まず注目は「幾度目かの最期」という遺作。
彼女は実生活で4度の自殺未遂をしているらしいが、
この作品はまさにそのあたりが書かれた遺書のような作品。
年末に自尽するまでの心の移り変わりが書かれていました。
3人の男性との関係。
揺れ動く自分、そして、結論。
自裁と表現したほうがいいかもしれい、彼女の死。
でも、作品自体は面白いとは思いませんでした。
最初にこれを読み、あとは本の頭から読んでいったのですが、
「落ちていく世界」という小説が大変おもしろい。
で、よくよく見ると、これはのちに編集者に手を入れられ、
「ドミノのお告げ」とタイトルを変えられて、
芥川賞候補になった作品らしい。
19才でこの文章が書けるとは・・・うーん、すごい才能。
そんな作品でした。
若くして花開いた女性の作家、しかも、早くに散ってしまった作家。
そういう作家たちは、とても難しい面があるのですが、これまでに会えなかった素晴らしい作品に出会えるチャンスあり。そんな期待を抱かせてくれます。