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分からない…分からないのだ。私の読みが浅いのか?短編だからか?一つ一つが全くつかめずに終わってしまった。しかも笑いってどこで笑えばよかったんだ?小説はコレのみなので他の著書を読む必要がある
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おもしろかった。あとがきが。
あとがきがおもしろかった。
二回言ってしまった。
私にも小説が書けそうだと思った。
これが正しい感想だと思います。
ホントに、ざらざらしたものが残るというのが芸術として価値を持つなら、
ざらざらしてます。
ざらざらっていうか、ごつごつしてる。でろでろしてる。
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読んでいて面白い、加えて、面倒くさくない小説。「読んでいて」面白い小説なんていまどき滅多にない。どの作品も終わり所がよい。
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投げ出された言葉の端々に思わずクスっと。
自分ならp64の「背中のホックをはずしてよ」は
「背中のホックをあげてよ」に変えるのに、とも思う。
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ところどころに見える悲哀に激しく共感を覚えた。ディテールにも目を瞠るものがあり興奮した。欲望ゴルフホールインワンの光景が強烈。
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これはたぶん、考えては面白くない。読んだままに、見えるままに想像あるいは妄想をはたらかせながら読むのが、おそらくは一番楽しめる。楽しめるどころかぞくぞくする。
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作品の中に高崎の文字が登場する。
偶然にも高崎へ向かう電車の中で読みはじめ、高崎から出た電車の中で読み終えた。
おもしろいともつまらないとも言い難いがなんだか読後はすっきりしていた。いさぎよいちぐはぐ感。
あとがきがよかった。
両毛線を降りる時に向かいに座っていた女子高生に「これ読みなよ」と渡した。
<注>おれが失恋したんじゃないぜ。
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なんなの!?って思いました。なんなの、人をバカにするために文章書いてんの?こういう大人が大好きです。わたしも小説家になりた~い!
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一言でいえば、「中原昌也宣言」みたいな小説集なんだろうな。
あいかわらず短編はただひとつのことを言いたいがために書いている風で、その言いたいことがなにかといえば「書きたいことなんて何ひとつない」とか、きっとそんな具合だろう。
20ページほどの短編の中に今までに散々書かれちらされたチープで古臭いドラマをこれでもかというぐらい詰め込んでいく印象で、そのひとつひとつのドラマはその枠組み自体がもはやどうしょうもないくらいクソつまらないものだから、作者は
「失恋だとか、職場の人間関係や子供が学校でイジメられてるとか、近所の住民のいざこざとかの古典的な出来事でイライラするなんて原始人のやることだ」と言って、せっかく広げた舞台を片付けもせずにさっさと帰っていく。去り際に「まぁ、あせらずのんびりしましょうよ」と適当なこと言いながら。
まあすべてそんな調子で、「せっかく広げた舞台」=小説はほったらかしにして訓示や教訓ともとれるようなまったく身もふたもない作者の言葉によって短編はとじられる。
けどおもしろいのはこれって聖書とか荘子みたいな、はじめに喩え話があってそこから教訓を引きだす…という構成に似ていなくもない。
ただ小説の内容も教訓(?)もあまりに不条理なためにその関連性をいまいち規定できない、ていうか関連性なんてねーんじゃねーかって疑惑もぬぐえない、という風で。
しっかし「子猫が読む乱暴者日記」の最後、「俺は生まれながらの乱暴者さ。ガンジーの断食も、マザー・テレサの博愛も、ワシントンの正直さも、俺の暴走を止めることはできない。」というまさに「中原昌也宣言」としかいいようのないこの言葉がなんだか妙にカッコいいのだ。
「デーモニッシュ・キャンドルズ」の接近戦用武器の収集が趣味の夫につけ狙われてる奥さんとか、こういうぶっ飛んだ発想もけっこう好き。
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中原昌也らしい短編集。
叩き付けるような文体とユニークな語感を堪能。始まりも終わりも唐突な短編は、映画のワンシーンをランダムに切り貼りしたようだ。
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文体や語彙は滝沢カレン程度のものだが、構成の妙なのか、作品は非凡さを感じさせる。
作中しょっちゅう男性の下半身があらわになるのは著者の手癖なのだろう。群像劇かと思って読んでいたら実は短編集だった。130ページぐらいしかない上に行間がスッカスカなので2時間ぐらいで読み終えた。短くて教科書的な文学のイメージからも離れていて、その上文学賞も受賞している作者なので実はこの人の作品は文学に触れてこなかった人が読むのにちょうどいいんじゃないかと思った。