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「無意識の奥に潜在している感覚と思考の野生を目覚めさせ、立ち上がらせ、それに表現をあたえることのできる知性のかたちを、ぼくは「芸術」と呼ぼうと思う。芸術はファインアートの領域を超えて、人間の生き方の全領域にみいだしていくことができるだろう。そう考えると、芸術の存在価値は大きい。」という考え方にはとても共感しました。が、この本は講演などを紡ぎあわせたせいか、いまひとつピンと来ませんでした。ラスコー洞窟の壁画のあたりは面白かったんですけれど、、、。
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美術カテゴリーにしてしまったけど、この場合、文学とか演劇も入ります。芸術社会学序説のように非言語・言語で文化をわけているのではなく、<対象人類学>というヒトの心の動きの探求するための新しい方法の講義。「実践的サイエンス」らしい。
素地としてレヴィ=ストロースやジョルジュ・バタイユを読まないといけないのかなぁ
と最近思う次第です。まだ途中。
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カイエ・ソバージュの5冊を乗り越えて、本作を手にとった。
タイトルからしてみると、内容はちょっと期待はずれ。
「芸術人類学」という新たな学問領域について、体系だった枠組みのようなものが網羅されてるかと思ったが、実際は数編の評論の寄せ集め。個々の評論自体は面白く読んだが、なぜこれらをまとめて『芸術人類学』という一冊の書物に編んだのか・・・その意図あるいは必要性がはっきりせず(わからず)、どことなく不完全燃焼に終わってしまった。
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中沢新一氏といえば、先日新政党「緑の日本」の設立を発表したが、はてさてどうなることやら・・・・・・。と前口上はこれくらいにして本題。
「十字架と鯨」という試論で面白いことが書いてあったので記す。
ヨーロッパ文明の本質をひとことでいうなら、「拘束」にあるという。溢れ出る自然的な生命の活力とそれを抑えようとする力。そのバランスによって発展してきたのだという。拘束によるネゴシエーションと秩序の生成のサイクル。それは端的に十字架に象徴されている。狼男あるいは、ドラキュラが十字架を忌避するのは、十字架が拘束の象徴だからだ。狼男もドラキュラもメタモルフォースしようとする人間的野生のメタファーだ。それを前提にヨーロッパ文明を考察してみるとなるほどなと、その歴史的事実と符合し納得できる点があることに気づくだろう。
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「人類がまだ、自分の心の奥に野生の野を抱えていて、今ではすでに失われてしまったように思われている、その野を開く鍵を再発見することがじつは今でも可能であることを、確実な仕方であきらかにしてみせたい」と、中沢は言う。何と気宇壮大な試みだろうか。
人間以外の動物は妄想を知らない。ひとり人間だけが事物と相関関係を持たないイメージを思い描くことができる。それは、言いかえれば狂気につながる心のはたらきである。人間の脳は、旧人類から新人類へと飛躍的な変化を遂げた。何らかの爆発的な変化が起こり、それまでは個別に仕切られ、目的別に使用されていた脳に、それらを横断するはたらきが持ち込まれたのである。それを「流動する心」と呼ぼう。
事物を離れて暴走する心の動きは、やがて芸術や宗教を生むことになる。しかし、現実と対応しない幻想界の発生は、人の心に妄想を発生させる。現実的に社会関係を営むためにはそれらを抑圧する必要が生じる。他者と自己とが同じものを見ていることを互いに分かり合うために人間は言葉を必要とした。言葉の持つ論理的な構造によって、われわれは個人的な妄想を秩序立て、「流動する心」を無意識下に押し込めることで日常生活を過たずに送れるようになった。
言語の論理に基づいた「非対称性論理」はヨーロッパを中心に科学や経済を発展させることになるが、その一方で、それ以外の価値観や倫理観を認めないという弊害も生んだ。そんな中、自分たちの生きている社会の外に出て、「外からの視点」で見ることで人間を理解しようとしたのが人類学であった。言語の持つ論理的な構造に基礎を置くレヴィ=ストロースの構造人類学は画期的なシステムであったが、人間には言語の構造に従わない無意識の世界がある。この言語の論理を飛び越え、時間の壁も超え、多次元にはたらく「もう一つの」知性を「対称性論理」もしくは「対称性思考」と中沢は呼ぶ。
中沢によれば、人間とは、外の環境世界に対応できる言語モジュールに従った論理で動く層と、人類の「野生」の思考が「対称性論理」で働く層という、二つのロジックを併用する「バイロジック」な生き物であるらしい。言うならば「芸術人類学」とは、人間を「外からの視線」で見ようとしながら、言語学的方法論に拠っていたために行き詰まってしまった構造人類学を、「流動する心」に基礎を置いた視点で超克しようという試みである。
若い頃チベット仏教の修行をした中沢ならではの仏教と構造主義の意外に近い関係の発見。また西田幾多郎や田邊元に見出した西洋哲学とは異なる「ヤポニカ種の哲学」。あるいは、考古学的遺跡の渉猟を通して東京の古層が見えてくる『アースダイバー』。最近の「カイエ・ソバージュ」シリーズで試みられている神話論理的思考等、著者が今まで歩いてきた道が、「対称性の論理」をもとにした「芸術人類学」の創成に有機的に結びついている。
全体は四部構成。大学で行われた講演をもとに「芸術人類学」について分かりやすく解説してみせる第一部。数式を使ったレヴィ=ストロースの『神話論理』の解説と、その論理を応用しながらヨーロッパの広場と教会の位置から公共性について分析を試みる第二部。民俗学や考古学的知見を駆使して、山伏の発生や、二種の道祖神の分布についての考察を進める第三部。壺に描かれた蛙と神話の関連性を探る第四部など。
新造語である「芸術人類学」を冠する割りには、雑多な論考をまとめたという印象が強い。著者の今の気分を忖度すれば、それまで特に意識されずに経巡ってきた事どもが、一つの環を描いていることに気づき、あらためて自分の使命に目覚めた、というようなところではあるまいか。クロード・レヴィ=ストロースの「構造人類学」と、ジョルジュ・バタイユの「非知」の思想を手がかりにしつつ、それらがたどり着けなかった地平を望見する序章とでも位置づければいいだろうか。
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最初に心を動かされたのは27ページからでした
数学者の岡潔さんは民俗学に没頭した岡本太郎や
考古学の中谷治宇二郎らと共にパリに留学していた
論理の積み重ねだけによる西洋文明における数学が
全体観に乏しく情緒的な知性に欠けていると感じ
この一体感は自分の思考なのか宇宙の思考なのか
見分けがつかない状態にあると感じていたという
日本に戻り和歌山の山にこもり数学の研究と
論理的知性だけに偏らない文明の姿を描いていた言う
実感できる論理的知性とできない情緒的知性の
双方が対等に織り成してこその文明でなければならない
世界は日本を含めて危険に満ちあふれていると
次に心惹かれたのは85ページからの「公共とねじれ」
中でも95のトーラスとメビウスの輪
190のマトリックスの論理学
345の職人の世界・農業民と非農業民=職人
自由空間の男職人・依存の女村社会
353のエンガチョによる思考の繰り返し
中でも強く納得できるのが歴史学の細野善彦に付いて
357の縁の共同体と数の組合・無縁公界楽
具象的・土地・権力・法に縛られる農業コミュニティーと
抽象的・旅・都市・自由・数の組合アソシエーション
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昔の時代からの考察が、たいへん面白く考えさせられました。本を拝読して、構造主義に興味を持つことができました。ありがとうございます。