紙の本
「正気から狂気への反転」とパラレルに描かれる「善意や正義を反転させていくマスの圧力」——知的興奮をかき立てながら、人類社会の地平を疾走していく作家の創造力。
2006/06/19 14:24
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
加速して疾走すれば、周囲の風景は次から次へと移り変わっていく(ドイツのアウトバーンのように、どこまで走っても見えるは平原と木立ちばかりなりということもあるけれども…)。この小説は、読んでいる私たちにはそのように風景が移り変わっていくのだが、しかも目的地が次第に「失楽園」のような場所だと分かってくるのだが、登場するふたり、鉄の意志を持つ中年の女性医師と、彼女をどこまでも敬慕するマッチョな16歳の少年の目にはいつも「楽園」がかなたに茫洋と映っている。それぞれ破滅的なほどにラジカルな態度、家畜のように受身の態度という違いはあれど、うっとり楽園の実現を夢見ている。夢見ていられるということは、すでに楽園のへりに腰掛けているということなのだ。
ふたりの奇妙な楽園行に同乗させられ、「これって、こういうドライブだったのか」と成り行きに欺かれていくのも面白いが、それに加え、カウンターカルチャー全盛のころから今に至る「市民」のあり方への視線が強烈で、一市民としてシートの座り心地はあまりよろしくない。
タヒチ沖に浮かぶ島がフランスの核実験場に選ばれ、そこにいよいよ軍が派遣されてくるというタイミングで立ち上がったのがドクター・バーバラである。その島は、絶滅の危機に瀕しているワタリアホウドリの重要な営巣地なのだ。
優秀な女性科学者や研究者に見受けられる傾向としての生真面目さ、正義感の強さ、問題意識の高さから、ドクターバーバラは自然保護を訴える社会的活動の中心人物となり、発言力や影響力をつけていく。これが1つの「市民」のあり方ならば、そのような活動家と行動を共にしたいと興奮気味の善意に突き動かされてやってくるのもまた1つの「市民」のあり方。そして、現地へは赴けないものの賛意を示したいがゆえ、現場の事情にそぐわない寄付や援助を一方的に押しつけてくるのも「市民」のあり方に数えられる。さらには、こうした一連の動きをビジネスやPRの場として活用しようとする「市民」も必ず現れる。
存在感あるパワフルな中年女性、彼女に惹きつけられた少年のふたりを軸に、正義や善意を反転させていき、当初の目的を消失させていきかねない大衆というものの負の側面を、作家は鮮やかで恐ろしい風景として提示してみせる。
だがしかしドクター・バーバラは、マスと化したときの人間の愚かしさを、個人に備わったカリスマ性と意志の力でがんとはねつけてしまう。「そうこなくっちゃ」と合点する矢先、実はこの小説の大きな断層が走っているのだ。
ここ数年の話題作を考えるならば、アトウッド『侍女の物語』、スタージョン『ヴィーナス・プラスX』、ディッシュ『アジアの岸辺』収録「犯ルの惑星」のような世界へと物語は抜けていく。ただ、そこにおいても「異世界」の様相が徐々に構築され立ち現れていく面白さよりは、くっきりとしたふたりの登場人物の行為、加えてうかがい知れないふたりの内面が物語を牽引していく確かさが後に残る。
ふたりには「楽園」でありながら、読む私たちには「失楽園」のような…と初めに述べたが、最後にふたりが「市民」を離れてグロテスクな存在となって初めて、それぞれの楽園像が明確なものとして伝えられる。常軌を逸した「楽園」——それを現代の私たちは「狂人の妄想」と片付けるべきか、単に「価値観の多様化」と表現するに留めるべきか。昨今の日本のさまざまな犯罪や社会問題を当てはめてみれば、「市民」のあり方、考え方がまさに問われているのだと分かる。
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21世紀のJ.G.バラード、最新刊。
バラード作品の男性主人公はいつもMっぽいが、
この作品はもろMで、ヒロインはドS。
世界の崩壊は受け入れられても、
人の崩壊は受け入れちゃいけない、ていうか
受け入れる必要ないよ。ニール。
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バラードだよなぁ。誰も彼もがぶっ壊れているやらぶっ壊れていないやらもしかしたら読んでるわたしがぶっ壊れているだけなのかも知れないし。ふぅ。
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ハイライズ既読後だとまたこのパターンか…と、思わなくもないが、曖昧な部分は少なくなり、表現はより具体的で洗練されている。人物も多様でそこまでダークでもなく閉塞感も薄いので、ハイライズより好きかもしれない。原文は知らないが独特の喩えや皮肉芸には一層磨きがかかり、そのシニカルな作風はついに完成形を迎えたという感じだ。
よくこれだけ思い付くなと思うぐらい、胸やけがするほど逐一入れてくる毒のせいで、まだ軽い内容の序盤から既に不穏な空気が漂う。
そういった特徴から、中々容易に呑み込めない部分もあるが、しかしその直截的なやり取り、本質的/動物的エネルギーに満ちた世界観は、なにかと気になってしょうがない魅力があり、むしろ死にたい人におすすめの一冊だ。この物語のように悪質なイネイブラーに相談して事態が悪化するよりましだろう。
ハイライズが各々の思惑とは別に全体としては一点に向かっていたのに対し、中々焦点が定まらないが、その散漫で集中力に欠けた様は人物的にもストーリー的にもリアリティを感じさせる。
両者に共通するキーワードはやはり領土意識になるかと思う。
それにしても作者の知識量には恐れ入る。見慣れない単語が多くかなり調べるはめになったが、多趣多様なワードもやりがちなひけらかしではなく、しっかり物語を演出する小道具として絡んでいて、船の形状や動植物の種類も全て的確で、ペッカリーなど絶妙すぎるチョイスだ。ただ、島の構造だけは最後までよく理解できず残念だった。
ハイライズと同様、滅びの美学だとか狂った人間だとかいったような、単なる自己満足の物語なわけではなく、極めて社会的なテーマを重層的に含んでいる。
パッと思いつくのはカルト宗教や行き過ぎた学生運動だが、破綻寸前のブラック会社にも似ている。
それは上手く行っていると破壊を始め虚無にしたがる不可解な人物が高確率で存在し、積み重ねなどは存在しない、まともな者は逃げだして残る従順なイエスマン達の献身によって支えられている、異様だが見た目平常運転している不気味な場所である。
意義を見出せず漂白されるキモやカーリンの姿は切実だ。
更に思考を先に進めると、頭のおかしい政治家の決断に黙々と従う国民のようにも見える。破滅を知りながら協力するカーリンは派閥の族議員、論理の破綻を認識し対立するかに思わせ逡巡するものの、結果的にアシストをして、機能停止を防ぐ潤滑剤のように機能するニールは側近の官僚のようであり、レギュラーメンバーは壊れた制度をかろうじて維持する嘱託職員のようだ。
唯一正気を保ち続け、終盤のファインプレーに繋げたアンダーソン夫妻が最後にニールへ向けた疑惑の目は、好印象人物に隠された悪質性を物語っている。
主要人物に日本人が出ていて、これが驚くほど重要キャラなので意外だったが、毒の洗礼を浴びているものの、誇張し過ぎずギリギリありそうな設定に作者の堅実な観察眼が伺える。
その日本人も関与するマスメディアや一般世間の人々のことも――〈目的意識を欠いた支援、好奇心という欲望を関心度の高さに、更に善意にすり替えて、自らは自己の精神の安定を優先しておきながら、相手には過保護や過干渉で混乱を与える〉――結果的におぞましい閉鎖環境を育てた悪質なイネイブラーとして描かれている。
支援だけで自己満足し完結するなら無責任ということもあり得るし、善意の支援が足枷になり、自由や可能性を封じる拘束具と化す恐れのあることを表している。
話はいくつかのステップを踏み、最終的に支離滅裂な優生思想に至り、それすらも失敗すると核実験の如く全て爆破してしまう。
別の本に書いていたのだが、ヒトラーは主観的に決断するため客観を重視する、みたいな宣言を我が闘争でしているらしい。バーバラもまさにそれを体現する人物であり、シリアルキラーも独裁者も本質的には変わらない。元々医師であり特権階級としての意識も大きいだろう。日本への原爆投下もおそらく同じ意識が働いているに違いない。
ここにはあらゆる運動の極北は優生思想に繋がるという認め難く衝撃的な示唆がある。そして優生思想は支離滅裂だ。楽園への扉だとか煙に巻いているが、バーバラの行動は単に「弱い者は死ななければならない」という強迫観念が醜態として表れているだけである。
目から鱗だった視点は、<救済が必要な弱者は声を上げてその必要性を訴えなければ、保護されるべき存在とみなされない>という隠れた原則の間接的提示だ。
たとえ存亡の淵に立たされているものであっても、保護活動のできる強者がいなければ、または自ら挙手しその権利を勝ち取らなければ、生存が保証される披保護者として存在できないと暗に告げている。あるいは収益性の有無がその可否を決定するかもしれない。生存権は不可解な認証式になっていることがこの作品から見えてくる。
理想はともかく、簡単にはこの歯車の噛み合わない仕組みを否定できないだろう。
作中でアホウドリは群れをなして島を占領する一種の強者となり、計画は一瞬成功したかに見える。しかし、支援者の過保護やメディアの過干渉が行き過ぎた結果、保護運動は安定しているが旧来の与えられた男女の役割を実行するだけの作業的な日常生活にかわり、存在意義を無くしてしまう。
そして、権利を勝ち取ったはずの保護者としての自尊心は、『自分たちは保護する必要のある社会的立場が弱い子供と同じではないか?』という猜疑心に変貌する。
それは権利保護運動家や慈善活動家の多くが言わない真の理由――内心では救済対象を見下しているので継続的に活動できるという後ろ暗い意識を――太陽の下に引きずり出されたことを意味している。
その初めて出題された難問に直面した混乱から自らを隔離状態に追い込み、強者としての復活を目指し優生思想に向かったアホウドリの保護者は、外界へアクセス出来ないことで、本当に緊急性のある少数の弱者となってしまい、救済する者を間違い続けた闘争の末、最終的に自滅してしまうという歪な構図が描かれている。
考えてみれば、救済対象と同じく、人の社会運動へのよくわからない願望の処分場と化した場所に住んでいるのだから、狂っていくのは当然のことのようにも思える。
このような胡散臭い活動団体を見分ける基準として、本当に共存出来ているかは重要なポイントだ。
ある意味自らの社交性の高さによって社交性を閉ざしてしまうという結末は、障害を取り除き活動目的が無くなった組織はどうなってしまうのか?という疑問への辛辣な回答例でもある。
最初のフランス兵同様、アホウドリを殺しまくっているラストシーンは象徴的だ。
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これらは別に全てそう書かれているわけでもなく、また全て理解し読めている自信もないので、確定ではないことを付け加えておくが、
著者があまり人気ではなさそうなのも、あまりに言い難い真実に接近しすぎているため読んだ人は沈黙して去っていくのだと疑っている。
しかし現代の預言者という謳い文句も伊達じゃなく、見えている筋書以上に昨今の政治経済や文化がもたらした狂った現象を語り、現代社会に生きる人間の病的な裡を多角的に描いた、やはりNHK100分de名著で紹介するべき名作だろう。