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近代をクールダウンしつつ、棄却することはせず、誰もがコミットする可能性を残すべきと主張
テーマパークは動員であって公共性ではない
→フェスはどうか
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僕の場合、モダンとポストモダンの定義をかなり東の定義に依っていたので、本書で示されるような「近代」「モダン」「ポストモダン」という区分けは、歴史の位置づけを行う際の「多様性」を指し示してくれたように思う。
本書のキー概念である「テーマパーク型権力」に関しては、筆者も認めるように東の議論とかなりかぶるところが多いように見受けられる。ただ、大塚や他の思想家たちの思想を概観し、それぞれをある程度の客観性を持って俯瞰することが出来るようになったことは本書を読めたことの意義になるだろう。
ただ、あまり僕がこの手の分野に不慣れなせいかわからないが、本書の示しているような近代――特に「時代」としての近代と「方法」としての近代――の区別が、本を読んでいるその瞬間はなんとなく理解が出来るような気がするのだけど、本を閉じて数日もすると自分の中で曖昧になっている。
これは僕の理解力の面もさることながら、概念化させるキーワードとしてはやや曖昧性が高いからかなとも思う。あるいは説明が僕のような初学者にとっては不十分であるとも言える。このあたりの議論は興味深いので、もう少し細かく検討していただけるとさらに助かるのかなと思った次第である。
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図書館より
リアリズム、SF、ファンタジー小説などの文化論を皮切りに近代やポストモダンについて評論された本。
入門書というよりかは東浩紀の『動物化するポストモダン』や大塚英志さんの著作についてある程度かじってる人向けの本だな、という印象を持ちました。自分は動物化論についてなんとなく知っている程度だったので、結構難しかったです。
内容としてはSF・ファンタジー小説が受け入れられる大衆社会について、小説の広がりと世間が持つ常識(公共性、お約束)、東浩紀さんの論述からテーマパーク型権力という言葉などがかかれています。
単純な萌えを享受する動物化と、利便性や快楽を重視し、その結果主体性を失っていくテーマパーク化という論理が面白かったです。
結末にかけての近代論、ポストモダン論はまだ自分では消化しきれませんでした。