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(2006.07.27読了)(2006.07.21購入)
1992年「ゲド戦記」が同時代ライブラリーとして出版された時に購入して読んだのですが、映画上映にあわせてもう一度読もうと思ったら、読んだ本の行方が分かりません。やむを得ず、新しく出たソフトカバー版を購入しました。
原題は、”A Wizard of Earthsea”ですので、「アースシー(地球海?)の魔法使い」ということになります。架空のアースシーの島々を舞台にした魔法使いの話です。
小野不由美の「十二国記」を読んでいる人は、多少似た雰囲気を感じるかもしれません。
主人公の魔法使いの幼名は、ダニーという。ゴントの十本ハンノキという村の鍛冶屋の息子として生まれた。7番目の子どもとして生まれたが、母親は、ダニーが一歳にもならないうちに死んでしまった。歳の離れた6人の兄たちは、次々と家を出て行ったので、彼の世話をするものは誰もいなかった。ダニーは、雑草のように育った。背が高く、身のこなしが素早く、声高で、傲慢で、気短な少年になった。
ダニーが赤ん坊の間は、死んだ母親の姉が彼の面倒を見てくれた。ダニーが7歳の時、伯母が山羊を呼び寄せた呪文をまねて、魔法の力があることが分かった。伯母は、他の呪文も教えてくれた。全ての物は、真の名で呼べは、思いのままに操ることが出来るのだという。村の子どもたちは、ダニーが、牧草地でハイタカやミサゴやワシを呼び出しているのをみて、彼にハイタカとあだ名をつけた。彼は、その後ずっとこの名で呼ばれることになる。
ハイタカが、12歳になるまでに、伯母は彼に、薬草のことや病気の治療について持てる限りの知識を彼に伝授し、なくなったものを探し出したり、剥がれたものをくっつけたり、・・・知っている限りのものを彼に教え込んだ。
カルガド帝国がゴントに攻めて来た。十本ハンノキ村にもやってきた。ハイタカはくくりの術を使い、霧を村にとどめておくことにより村を救った。
ハイタカは、魔法で力を使い果たし、口がきけず、食べることも眠ることもなく、ぼんやりしているだけだった。伯母にも彼を元に戻す事はできなかった。ハイタカの噂を聞いてやってきた魔法使いオジオンによって、回復した。
ハイタカは、オジオンに「ゲド」という名を授けられ、オジオンの弟子となった。
オジオンは、面白い術は何も教えてくれなかったので、ローク島の魔法学校へ行かせてもらうことにした。
魔法学校では、ヒスイとカラスノエンドウという二人の先輩と親しく過ごした。カラスノエンドウは親切であったが、ヒスイは何かと挑発してくる。
ゲドは飲み込みが早く、一月も経たないうちに、一年も前から勉強していた先輩たちを追い越した。
目くらましの術を教えてくれた手わざの長に石をダイヤモンドに見せかけるだけでなくダイヤモンドにしてしまう方法を聞いた。「宇宙には均衡、つまり、釣り合いというものがあってな、物の姿を変えたり、何かを呼び出したりといった魔法使いの仕業は、その宇宙の均衡を揺るがすことになるんじゃ。危険なことじゃ。まこと、それが必要となるときまで待たねばならん。あかりをともすことは、闇を生み出すことにもなるんでな。」と長は答えた。
ゲドが、ローク島を逍遥し、野宿したとき、オタクという小動物と出会い、なついたので、以後いつも連れて歩くことになる。
ゲドは、ヒスイの挑発に乗り、伝説の中に出てくる女性エルファーランを呼び出そうと呪文を唱える。エルファーランは一瞬現われ、その後大地が裂け、裂け目から気味の悪い黒い塊のようなものが現われ、ゲドの顔めがけて飛びかかった。ゲドは、影の塊に爪を立てられ、肉を引き裂かれ、大怪我を負った。ゲドは、ロークの学院長、大賢人ネマールに助けられる。大賢人ネマールは、ゲドを助けるために力を使い果たし、死亡した。
以後ゲドは、さらに修業を積み、呼び出してしまった、影と対決することになる。
影と対決するたびには、カラスノエンドウが同行してくれた。
著者 アーシュラ・K.ル=グウィン
1929年 カリフォルニア州バークレー生まれ
アメリカの作家
☆関連図書
「闇の左手」U.K.ル・グィン著・小尾芙佐訳、ハヤカワ文庫、1978.09.30
「影との戦い ゲド戦記」ル・グウィン著、岩波・同時代ライブラリー、1992.03.16
「空飛び猫」ル=グウィン著・村上春樹訳、講談社文庫、1996.04.15
「帰ってきた空飛び猫」ル=グウィン著・村上春樹訳、講談社文庫、1996.11.15
(「MARC」データベースより)amazon
魔法使いゲドの生涯とアースシー世界の光と闇を描く壮大な物語の第1巻。不思議な力を持つ少年ゲドは、真の魔法を学ぶためローク学院に入る。進歩は早かった。得意になったゲドは、禁じられた呪文を唱えてしまう…。
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戦いの相手である影、作中では明確にされていないその正体が分かったとき、読者は大人になる。
宮崎アニメよりは確実に面白い。
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ゲドの青年時代のお話。
私はあまりはまれなくて一巻で終了しちゃいました。
でも影との迎撃戦は結構面白くはらはらした気がします。
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実家にあって読み始める。魔法使いゲドが、自分にまつわる過去の闇を追い、立ち向かう話。だったような。。冒険ものだけど、そんな意気揚々とした話ではなく、静かだった。そうだ、ゲド自身が無口な男だった。大海をボート1つで、揺られ揺られるまま進むシーンが好き。
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暗くて長い戦いをゆく主人公の内面、精神的な部分の描写が奥深い。映画から先にみたのですが、全く違う世界がそこに広がっていました。
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アースシーのゴント島にある小さな村で生まれたゲド。伯母の影響で魔法に目覚め、ル・アルビの大魔法使いオジオンの元で修行するが、もっと高度な技術を学ぶためローク島の学院に入る。そこで出会ったライバルに死霊を呼び出す魔法を見せようとすると、闇に生じた光の裂け目から黒い影が放たれてしまった。それ以来ゲドは影に追われるように。
この物語はわたしが物心ついたときからあって、存在だけは子供の頃から知っていた。なにしろ原作が発表されたのは1968年で、邦訳が出たのは1976年だ。それほど昔からある本だから、日本語訳もだいぶ古臭いだろう、かなり不自然な日本語かもしれないと思い読み始めたのだが、ところがどっこい。めちゃめちゃ読みやすい! 自然の描写は非常に美しくうっとりさせられ、竜の大きさには圧倒された。
ゲド戦記というくらいだから戦争が起こったりするのだろうとなんとなくイメージしていたが、これまたどっこい、全然そんな話じゃない。ゲドという一人の人間の成長物語だと言ってもいい。この世界観が独特で壮大で、本当におもしろい。
こうなるとタイトルを日本語訳で「戦記」としてしまって良かったのか疑問に思う。原書ではただEarthseaシリーズというだけで、しかも全6巻を通して別にゲド一人が主人公なのではなく、Earthseaを舞台にさまざまな人物にスポットライトを当てているようなのだ。日本で出版するに際し、読者にわかりやすいイメージを植えつけさせるために便宜上「戦記」としてしまったのかもしれないが、これではかえって原著の本来のイメージをゆがめてしまっているのではないかという気がする。
とはいえ先に書いたように、小説そのものは思っていた以上にとても読みやすく、すんなりアースシーの世界に入り込めた。読み始めると止まらなくなるくらいで、2巻以降をこれから読めると思うと楽しみで、幸せすら感じる。いずれは原書で、グウィンの使った言葉で、直接この世界を味わってみたいと思っている。
読了日:2006年8月19日(土)
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宮崎五郎監督は三刊くらいの、ゲドがおじさんになったころの話でしたよね
ゲドが子供、若いころに当たるのがこの御話です
人生が噂となり御話となり伝説となりゆく過程がこの上なく好きなので初めの基礎としてくる影の戦いがシリーズで一番はまりました
ただ場所、主人公の位置の把握が難しいというのはありましたが
ファンタジーが苦手な人に押し付けたい
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今更よんでるゲド戦記。
昔、友達が言っていたように、
ジブリはこれを映画化したほうがよかったよね…
本当に、ゲド戦記を作品として生かすつもりだったならば。
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借りよう、と思ってすっかり忘れていた物体です。
映画になったのは…何時でしょう?w
あれは3巻らしいですが、とりあえず1巻から読んでみました。
これが、年月を越えたらああなるんですか? というゲド少年。
内容の半分くらいが高飛車…という感じでした。
事件が起きて、少しずつ鼻が折れていったようです。
これだけ当初に共感もできない主人公も珍しいです。
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相方のお母様からお借りして
もはや半年以上が過ぎてしまったのですが
ようやく手を出したら評判通り面白かったです。
ジブリのアニメは先に見ていたので、なるほどあの傷痕はこうしてできたのか
そんなこったら、アレンのこと放っておけないよね〜なんて思いました。
竜が出てきたあたりで、中島みゆきの歌が離れなくなり
帰宅後ネットで聞いたら、歌詞の内容はずいぶんちがうけど
合わないこともないな。と満足しました。
今後背中に乗せてくれる竜も現れるのだろうか。続きが楽しみです。
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一応大学では「英文学」なんちゅうモンを学んだ KiKi が児童文学を自分の後半生のライフワークの1つと思い定め「岩波少年文庫全冊読破企画」をぶち上げた頃、残念なことにこの作品は岩波少年文庫のラインナップには含まれていませんでした。 「何故??」と思いつつもないものはしょうがない・・・・と諦め、こちらのソフトカバー版で Box 入り全冊を買い揃えました。 その後数年してジブリ映画の影響もあってかこのシリーズが岩波少年文庫のラインナップに含まれた時、KiKi がどれほど歯ぎしりしたことか!! 商売って言うモンはこういうモンと思い知らされた1つの印象深いエピソードとなりました。 ま、てなわけで本日の KiKi の読了本はこちらです。
ルイスの「ナルニア」、トールキンの「指輪」と並んで、三大ファンタジーと呼ばれることもあるこの作品。 実は KiKi が初めて出会ったのは大学時代でした。 もっともこの作品に子供時代に出会っても何が何やらチンプンカンプンだったかもしれません。 それはとりもなおさず、子供時代の KiKi がゲドと同じように「明るさ」、「カッコよさ」、「美しさ」に惹かれ、物を測る尺度のかなり大きな部分が「役に立つか否か」だったことに寄っていたからです。 そう言う意味では子供時代の KiKi にはゲドが出会う師たちの言葉の1つ1つがゲド同様にピンとこなかったような気がして仕方ない・・・・・ ^^; と、同時に影の正体が何なのか?は分からずじまいだった可能性もあるような気がしています。
でも、幸いなことに KiKi がこの物語に出会ったのは大学時代でした。 そういう意味ではユングやフロイトも少しは聞きかじっていたし、哲学的な思考というやつもわずかながら芽生えていたし、更には自分の身の回りで起こっていることを懐疑的に考え直してみるという姿勢も少しずつ生まれていた時代に読んだことにより、印象に残る作品の1つになっていたように思います。
今回、久々にこのシリーズを手に取ってみたけれど、やはり多くのことを考えさせられる読書体験となったように思います。 まず、この物語の中で扱われている「魔法」の概念が素晴らしいと思うんですよね。 魔法をかけるためにはそのものの真の名前を知らなくてはいけくて、例えば魔法で食べ物を出すこと、それを食べて味や香りを楽しむことも、満腹感も得られるけれど、所詮その正体は「言葉」でしかなく飢えた人間を本当の意味で癒しはしない、言葉を食べているだけのこと・・・・・という考え方。
又、自分の都合の良いように魔法で天気を変えるのはたやすいことだけど、それはいかにも利己主義的な考え方で、その行為が別の場所での天気をも左右し、いわば宇宙の均衡を崩しかねないものであるという考え方は素晴らしいと思いました。 結果、真の賢者と呼ばれるレベルの魔法使いになればなるほど魔法を使うことに躊躇するようになるというこのプロットは実利主義、科学万能主義、効率主義で成り立っている現代の私たちの生き方に与える1つのアンチテーゼであると感じられました。
さらにはまだまだ幼さが残るゲドが類まれな魔法使いの資��と思春期特有の過ぎた虚栄心から、大いなる災いである「影」を招いてしまうというプロットにも多くを考えさせられます。 「地位」、「名誉」、「金」、「才能」というようなある種の「力」を手にすると、人間というこのしょ~もない生き物はとかく高慢になりがちで、それゆえに陥りがちな「妬み」、「自尊」、「虚飾」というものがあり、結果的にはそれに踊らされてしまう自分にある時ふと気がつかされる・・・・・。 そういう体験は多かれ少なかれ誰にもあるもののような気がします。 逆にそれらの「力」と無縁であればあったで「嫉妬」、「不公平感」に苛まれるのもこれまた人の性です。
ゲドが恐れる「影」は、ゲドが抱える驕りや不安、劣等感や恐怖、未熟さや喪失、さらには死というような負の力の集合というように解釈できると思うんだけど(もっと言うなら自分が見落としてきたこと、自分が蔑んできたこと、自分が排除してきたこと、そういうものの全体かもしれない)、それらは決して「善 vs. 悪」とか「光 vs. 影」というように対立するものではなく、片方があれば必然的にもう片方も同時にあるというようなものに過ぎなくて、それから目を背け逃げようとすべきものではなくまして立ち向かい受容すべきもの(克服するというのともちょっと違う)という考え方にも共感が持てます。 結局はその影自体も最初からゲドの一部なんだということが、実に見事に描かれていると感じられました。 ゲドがその自らの「影」を狩りに行く前に彼の師であるオジオンの語る言葉が、齢5xを迎えた今の KiKi には実に真実味のある言葉として響きます。 曰く
「もしも、このまま、先へ先へと逃げて行けば、どこへいっても危険と災いがそなたを待ち受けておるじゃろう。 そなたを駆り立てているのはむこうじゃからの。 今までは、むこうがそなたの行く道を決めてきた。 だが、これからはそなたが決めなくてはならぬ。 そなたを追ってきたものを、今度はそなたが追うのじゃ。 そなたを追ってきた狩人はそなたが狩らねばならぬ。」
一時期、女性誌なんかには「自分探し」とか「本当の自分」とか「自己実現」という言葉が躍っていた時代があったけれど、KiKi にはこの精神こそが本当の意味での「自分探し」、「自己実現」だと感じられます。
さて、今回の読書までほとんど気に留めたことがなかったんだけど、今回の読書で実に印象に残ったことがあります。 それはゲドが最初から何故か敵愾心を燃やし、「影」を呼び出す禁断の呪文を使うきっかけを作るに至ったヒスイという魔法学校の先輩のことです。 ゲドをあざけるような慇懃無礼な態度や、育ちの違いから滲み出る洗練された(というよりキザな?)物腰、ゲドより年長でより多くを学んでいるために実際以上に輝いて見えたであろう魔法の力などが、ゲドの対抗意識を煽ったわけですが、結果的に彼の行く末は「いっちょまえの魔法使い」ではなく、アースシーの中の1つの島の「領主お抱えのまじない師」レベルでした。 最初から、ゲドやカラスノエンドウ(ゲドの親友)の敵ではなかったわけですが、彼はゲドが「影」を呼び出すきっかけを作ったのみならず、彼の存在そのものがゲドの「影」の一部を具現化した存在だったのかもしれないと感じられました。
さて、最後にこの本の宮崎駿さんの推薦文をご紹介しておきましょう。
この物語ほど竜を見事に描いた本はありません。 人間よりはるかに古い生き物。 壮大で邪悪で、気高い長虫。 鋼のウロコにおおわれた身体の中では炎が燃えています。 この竜を形にすることが今でもできません。 ありきたりのコーモリの翼をもったトカゲにしたくないのです。 かと言って日本や中国の竜とも違います。 竜がこの物語の世界をとても奥深くしているのです。
それで息子さんにこの作品のアニメ化を任せて、結果、ああなっちゃった(KiKi はジブリアニメは観ていません。 ここで言う「ああなっちゃった」とはスタジオ・ジブリと著者のスッタモンダの話です。)んでしょうか?? 結果的にどういう映画だったんですかねぇ・・・・・。 Lothlórien_山小舎の近くにはレンタル・ビデオ店な~んていう洒落たモンはないので、なかなか観る機会がないんですけど、一度は観ておきたい気がしないでもない・・・・・(苦笑)
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ジブリの映画化で有名になりましたが、学校の図書館では黄ばんでいるぐらい古い本です。
訳が古いのか、全体的に読みにくく、魔法の可能性もぼやけています。
とはいえ、文章の勢いや展開は惹きつけられてしまいます。
割と新しく出された第5巻はあまり好きになれませんでした。
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K・ル・グウィンのファンタジー。
のちに大賢人となる少年が、魔法学院にはいり卒業し成長していく話。と書くと、流行ってる魔法少年の話のようですが、全く違ってます。魔法使いの雰囲気はむしろ指輪物語。そして、何よりも主人公は、自分の弱さを知りそれと戦う。
SFでのル・グウィンとは、ちょっと違う。なので、牽制してきたのだけど、やっぱりル・グウィンはすごかった。
大胆といえる進行なのだが、かえってゲドの性格を表現している。
そしてクライマックスの影との戦い。
涙、出そうになったよ。こんなにシンプルなのに。
児童書なので、漢字にルビがあります。字がでかいです。
その辺りに、なれてから読み始めるのがベストかもww
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世界三大物語の一つ。
影と自分自身が一心同体、表裏一体であり、影を全力で迎えに行ったゲド。その勇気と潔さが僕にもほしい、いや、身につけなければならないのだろうと思う。
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影の正体が良かった。
終わってみればまあそうだよね、とは思うが。
それから、多島海がメインというのは珍しいなと思った。
2/27読了