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京都出身ということもあり、へえ、あの時はああだったのかと思うこともあり、おもしろかった。政治にそれほど詳しくないのだけれど、これを読むと、政治家は権力闘争や利権争いが本当に好きで、国のことや国民のことを考えてるのだろうか?と思ってしまう。しかし、野中氏には人のために社会を改革するという熱い部分と、狡猾な部分の両方があって、そこが本書の魅力であり、野中広務の魅力なのだろうと思う。
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イマドキ、野中さんですか?という感じだけれど
これがどうして、とても面白い。野中さん自体は過去の人でもあるが、
今、議会で跳梁跋扈している人の名前も多数。
(特に小沢一郎の動きは中盤の見どころですね)
(あと、小渕が想像以上にかわゆい)
今読んでも、日本議会の流れ、についていくらかの視野を与えてくれる。
時局上の問題だけでなく、
この本はあるタイプの政治家についての示唆も行っており、
野中のような媒介タイプの政治家の威力と限界を検証しているものとなっている。
(とはいえ、そのような道筋でしか、彼は出自の問題故に政治家たりえなかっただろう)
総じて、ネタとして面白く、かつ時期を過ぎても
政治についての思考材料として十分耐用に足るものだと言える。
ただ、正直に言えば最後の対談で
「野中がこの本を不快に思いつつ、訴えれば勝てるだろうに訴えないことが、この本の内容を保証し、彼が一流であることを証だてる」
という内容のことを言っているがこの内容は文章にして書くのは厭らしすぎる。
この佐藤という男はおそらく魚住君より下品である。
そして、最後に佐高君という先輩的な人物が
解説という名前の要約を書いているが、しがらみというしがらみは
議院などとは関係なく、社会のすみずみにあるということを証明している。
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普段ノンフィクションなんか読みつけない人間をぐいぐいひきつけるこの文章力はピカイチ。
類稀なる力作だ。
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被差別部落に生まれながら、老獪な政治手法を用い、内閣の中枢に登りつめ、「影の総理」とまで言われた野中広務の姿を描いた一冊。「潮目を読むこと」に長け、一貫した政治姿勢がないようにも見える野中には、弱者への優しいまなざしと差別の再生産を憎む気持ちがあった。
野中はときに政敵を恫喝し、ときにトリッキーな手法を駆使しして政界を生き抜いてきた。その姿だけをみると、決して評価されるべき政治家ではないようにも思える。しかし、ハンセン病患者らによる裁判での国の控訴見送りは野中の尽力なくしてはあり得なかった。不当な差別を受け続けてきた野中の心には、弱者に対する思いやりと弱者を虐げる社会への強い憤りが生まれていたのだと思う。
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本書は、以前より読みたかったけれど、通勤時に単行本は適さず、長く断念していた。晴れて文庫化された今日、早速読み進めることに。
国内外を問わず、かつてより国家が行ってきた悪しき所業に、少しも逡巡することなく、悪いことだった、と真摯に発言できるこの自民党政治家、実は良い人なのかも?
そんな反面、大勢をもって保守的な政策を押し進める自民党政治の王道に位置していた姿には、釈然とせず、えらく乖離した印象を持たざる得なかった。いずれにせよ、長く興味津々だったわけ。
不遇な出自にも関わらず、地方から徐々に上りつめ、やがて中央政界入り、その才覚から早々に重用され、政争の本丸に、やがて頂点に上りつめようとするも、凋落をむかえる様は、まるで一遍の教養小説、こう言っては何だが、あまりに面白すぎる。通低音となるアンフェアな国状が悲しいのだが。
終盤で語られる公然と差別発言をしてしまう品性下劣な政治家には、是非とも総裁選出馬などご遠慮願いたいものだ。
(2006年記)
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先日、これを読んでいたおかげで面白い機会に出会ったので二度目の読み返し。とにかくやはりこれは面白い。政策的にとか歴史的にどうかというのはまあそこまでなのかもしれないが、ドラマとしては素晴らしいなあと思う。
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京都府園部町に生まれ、不当な差別を受けながら政治家としてのキャリアを歩み始め、57歳で中央政界に初進出し、自民党の黒幕としての地位を築くまでの、野中広務の生き様を追ったノンフィクションです。
不当な差別を受け続けてきたがゆえに、弱者に対する優しいまなざしを持つ反面、差別に抗して自分の居場所を切り開いてきたが故に、ライヴァルたちの弱みを握ってみずからの影響力を強めていく政治手法に長けていた、複雑な政治家の実像を、みごとに描いています。
また、高邁な理念を掲げる政治家ではなかったにしろ、土着的な共同体理念に根づいた優しさを体現していたという意味で、55年体制の終焉を象徴する政治家として野中広務を位置づけており、戦後政治史の一幕を見ることができたという意味でも、興味深く読みました。
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1990年代前半、私は永田町界隈が仕事場でした。その間、多くの政治家と接する機会がありました。そうした中で、最も印象に残っている政治家が野中広務氏です。当時、彼は年齢こそ60歳を超えていましたが、当選回数は2-3回。まだ陣笠、その他大勢の1人、というポジションだったのですが、既に永田町周辺居住者の間では一目置かれる存在になっていました。
それは彼の情報収集能力の高さが大きな理由だったように思えます。下手な党幹部、派閥幹部に接触するよりも、彼と話をした方が有益な情報が得られました。彼の情報の扱い方のうまさもあったと思います。
そうやって接する機会が増えるほどに、人間的魅力も感じるようになりました。優しさとか思いやりとか、一面的なものではなく、人間的な深みを感じることがよくありました。
今回、本書を読み、様々な思いが去来しました。著者の魚住氏の分析は正確だと思います。政治家として功利的な面もあり、恫喝的な手法で政局を回していったことも確かです。
また、政策的課題をこなすことは得意でも、長期的ビジョンを構築することはできない、というとらえ方もその通りだと思います。
ただ、私にとっては、やはり非常に魅力的な人物でした。
記述に関して言えば、野中氏を軸に描かれた政界の動きの記述は、非常にわかりやすく、正確でした。(時折、政治家を取り上げた書物でも、書いた本人が正確にわかっていないのか、政策や政局の記述が非常に生硬で分かりにくいものもあります)
私が野中氏に接していたのは3年間ほどでしたが、いまだに印象深い政治家です。その野中氏の出自も含めて、政治家としての行動原理を解き明かし、さらに人としての思いにまで踏み込んで描いた本書は、ノンフィクションとして多くの人に読まれるべき傑作だと思います。
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野中広務が現役でブイブイ言わせてた頃の、濃い政治家メンツが出てきて、あの頃を知る人間にはかなり面白いのだろうが、当時まだ子供だった自分にはうっすらとしかイメージがなく退屈だった。被差別体験も本人の口から語られるものはほとんど無いので、それを期待して読むと肩透かしの印象。
パワーゲームの描写が多く、読んでいてだんだん「政治って何なんだろう」と嫌な気分になってしまった。
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平成28年5月23日読了。
政治家もヤクザ同様、熾烈な権力闘争を切り返し、頂点を目指していくことがよく分かった。
野中広務という人物に、U2のボノが被る。
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先達ての参議院選挙に先立ち、野中広務氏が自民党に復党してゐました。かういふ護憲の人は、安倍政権にとつてプラスになるのかしらん、と思つたら、どうやら野中氏が強いパイプを持つといはれる土建屋さんの票が目当てだつたやうです。立つてゐる者は、90歳でも使へ。
政界引退から十余年の現在でも頼られる、野中広務氏とはいかなる人物か。一般には、陰で権謀術数を駆使する闇将軍の印象でせうか。悪代官のイメエヂも強いやうです。
しかるに、魚住昭著『野中広務 差別と権力』を拝読しますと、なかなかどうして、それだけの人物ではないらしい。現在ではよく知られてゐますが、野中氏は生れながらにして差別を受ける境遇でした。いはれなき迫害を受けた経験を持つ野中氏としては、故なく虐げられる人たちへ限りなく温かい眼差しを向けます。
たとへば、ハンセン病訴訟では当時官房長官の職にありながら、国を相手取つた原告側に寄り添ふ行動を取つてゐます。原告団の事務局長は「素晴らしい政治家です。細やかな気配りがあって人間として温かい。言葉の一つひとつに、傷ついた者をこれ以上、傷つけてはいけないという気持ちがにじみ出ています。今、私は野中さんのことを手放しで信頼できると言いますよ」と絶賛してゐます。たいした惚れつぷりですな。
本書の第二章のタイトルに「融和の子」とあります。その後の野中氏の歩みを見るにつけ、なるほど、うまい表現だと感じました。一方的に弱者の味方かといふと、時には「わしはお前らだけの町長とちがう。全町民の町長や。お前らだけの言うことを聞けるかっ」と一喝する一面もあります。
後に中央政界で「闇総理」と呼ばれるやうになり、政敵を次々と叩き落す一方で、身障者の施設を設立・運営したり、先述のやうにハンセン病患者の味方になる。また、松本サリン事件で容疑者扱ひされた河野義行氏は、疑ひが晴れても警察・マスコミ等から一切直接謝罪をされなかつたさうですが、唯一の例外が野中氏だつたと言ひます。弱者・虐げられた者たちへの優しさは、権力を握つてからも失はなかつたのであります。
総理に上り詰める日も遠くないのではと思はれた野中氏ですが、自らは手を挙げることもなく、結局野中総理は実現しませんでした。魚住昭氏はその理由を、部落解放同盟の小森龍邦氏の言葉が正解ぢやないかと語ります。即ち「ふつうの議員だとその出自は問題にならんけど、総理になって日本を動かす立場になるときに『あの人の出生はこうなんだ』とキャンペーンがはられる。利害関係が一番厳しゅうなったときに部落差別が出てくるんです。それを本人は分かっていたんではないですか」といふことです。「融和の子」としては十分首肯できる意見ですね。
さういへば失言のホームラン王・麻生太郎氏が「野中のような部落出身者を日本の総理にはできないわなあ」と発言したとか。麻生氏は否定しますが、「自分も聞いた」といふ証人も複数ゐるさうです。島崎藤村『破戒』から100年が経過しても変らぬ差別。
野中広務氏の歩みを辿ると、日本人が抱へる問題がぽつかり浮かんできます。まさに「私は闘う」人ですね。
http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-647.html
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野中広務氏の政治家引退までを描いたノンフィクション。
この本を読んで、野中広務氏の見方が180°変わりました。
究極の叩き上げ人生ですね。
逆に究極の実践力がないと、ここまでのし上がることは出来ない。
鈴木宗男氏が、頭に浮かびました。
もちろん、全く出自が正反対の麻生太郎氏とは所詮水と油。
著者の綿密な取材力には舌を巻きましたが、巻末の佐高信氏の解説を読んで、ジャーナリズムの道徳観というものについて、考えられさせられました。
本人や血縁者の意向に関わらず、結果として暴かれてしまうということの意味を。
そういう意味で、今回は野中広務氏の肩を持ちたいと思います。
でも著者をけして全否定している訳ではないです。
そして、我々読者にも、一定の品位や謙虚な心が必要だという事も改めて感じました。
いろいろな意味で、得ることが大きかった読書でした。
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自民党の代議士、野中広務の評伝。存命の人物に関する伝記を読むことはあまりないのですが、何かで紹介されていて興味を持ったので読んでみました。
タイトルにある「差別」とはいわゆる部落差別のことで、氏が部落出身であるが故に受けた多くの辛く悔しい体験がその政治活動の原動力になっていたことを示している。数えきれないほどの修羅場をくぐった、まさに叩き上げの政治家だと言えるだろう。
しかし、読んでいて感じたのは(恐らく筆者の意図もそこにあるのだろうが)、彼のルーツと政治手法は別の問題だという点だ。彼が使った手法は要するに土建政治であり、金と酒と女で人を抱き込み、ライバルのスキャンダルを探しだして追い落とすといった権謀術数が描かれている。人間的には魅力的だったかも知れないが、政治面で共感できることはほぼ皆無だ。
彼が政界を引退することになった出来事は、そういう旧来の政治手法が通用しなくなったことを意味していると解釈できるだろう。もし実際にそういう時代変化があったなら歓迎すべきことだが、本当に変化があったかどうか、まだわからない。
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この本はいくつかに分けることが出来る。
「野中広務とはなんなのか」「政治(パワーゲーム)」の
2つに分かれ、実際のボリュームは後者となる。
ただ、終盤となり権力を失っていく時、野中広務という
人物が非常に色濃く映ってくる。
もともと野中広務のことは殆ど知らなかった。
自民党の、まさに裏で糸を引く人物、という存在だ。
だが実際のところは「調停役」にすぎない。
調停するために様々な情報を握る中で結果的に権力を
握っていくことになる。だが、この著者で何度かでる
メッセージとして「彼にイデオロギー、政策信念はない」
「そのためには平気に180度違うことを発言する」
である。野中広務は与えられた責任、役割を全力でこなし
ていくにすぎない。そして、自分でそれを理解している。
No2として支えていくことに強みを発揮するのだと。
野中広務という人物は、その手段に関しては好きには
なれないが、闘い続けた、その姿にどこか共感せざるを
得ない
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部落差別問題を真正面から語ろうとすると、色々な壁にぶち当たってしまうのか、どうも本当に知りたいことを知れないというジレンマに陥る(そしてそれが場合によっては新たな差別を呼ぶ土壌にもなりうる)。
この本は政治家・野中広務氏のその政治家としての人生を描くことによってこのテーマに切り込んだ作品。イデオロギーが先行せず、非常に考えさせることが多かった作品。途中、自民党内の政治のやり取りが続く場面は少々読みづらかったが、野中氏が政治家を引退する時、当時総務大臣だった麻生太郎氏に向けた発言は圧巻。この部分を読むだけでも部落差別問題を学ぶべき意義を理解できる。