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紙の本
公共哲学からの靖国問題解決法、その一試案。
2006/09/11 16:44
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ちひ - この投稿者のレビュー一覧を見る
いわゆる靖国問題についての、公共哲学からの解決法、その一試案。
「公共哲学」とは、固定化された哲学研究の方法ではなく、この社会を生きるための、「個人を活かしつつ公共性を開花させる道筋」を根源から問う知の実践のことである。
本書における具体的な議論は、靖国神社が国内に唯一の戦没者追悼のための施設であるとする考え方を、「靖国的原理主義」(Yasukuni fundamentalism)と位置付けるところから開始される。
実際には多民族国家であり多宗教国家である日本の宗教を神道一つと規定し、そこから国家権力による靖国参拝を正当化しようとするような非論理は、たしかに、どう考えても無理なのである。
また、たとえ世界の恒久的な平和を願っての行為であったとしても、本人と思いを同じにしていない人からはその行為がどのように理解されるのか。それを考慮できないのは成熟した状態ではない。
そもそも「願い」は願うだけでは完結しえない。願いはどのように成就されるのか、常にそれが最大の問題なのである。
そして、政教分離の問題は時間によって解決される類の問題では決してない。もつれた糸をほぐす努力は人の知の力によってなされなければならない。
〈もし靖国信仰を表明したい人がいるならば、それを自由に表現すればよいのです。しかし異なる考えを持つ他者をそのうちに同化 assimilate すべきではないし、ましてや強制すべきではありません。国家機関としてそれを行うことは、この強制力の発動にあたるからです。/だから、「私たち日本人の伝統の中では追悼の場所は靖国神社のみ」というような言い回しは、まったく受け入れがたいものです。別の追悼の場所も、追悼の方法もあるはずです。〉(p.71)
靖国問題の解決は、従来、
一.「公」にからめとられ国家権力との一体化を指向した「私」による、自分だけではなく、他者の権利や自由をも抑圧する滅私奉公[めっしほうこう]的視点
二.個人の自由と権利を主張するあまり、ミーイズム的に「私」に閉じ、他者との調和をないがしろにしがちな滅公奉私[めっこうほうし]的視点
の二つだけから試みられていたように思われる。
本書はそのような「公−私」二元論の間に「私」でも「公」でもない市民的「公共」という概念を提示し、〈個人個人を活かし、他者との活き活きとした関係の中で自他の幸福を追求〉し、〈私を活かすと同時に他者をも活かす〉ような「活私開公」[かっしかいこう]をめざす「公共哲学」の視点こそが有効であることを明らかにする。
追悼するのは誰か。追悼されるのは誰か。そしてそれはどのような方法によっているのか・どのような方法によるべきなのか・どのような方法によることが可能なのか。
靖国問題の解決をとおして、読者は公共哲学という新たな知の実践に誘[いざな]われる。
参考:
公共哲学の領域や方法については、山脇直司『公共哲学とは何か』ちくま新書を、公共哲学と宗教との関係の研究は、稲垣久和『宗教と公共哲学 生活世界のスピリチュアリティ』東京大学出版会(公共哲学叢書6)等を参考にすると良いらしいです(詳読中です)。
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