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この作家は、美味しいけど小骨が喉に引っかかっちゃう焼魚のような本を書く。あまりクリアでなく、行きつ戻りつする主人公の思考。主題ー戦争に私は加担したのか?という不安が見えるまで時間がかかるけど、日記を読まされているようなリアルさが、胃の辺りにじわじわたまって余韻を残す。
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来日と映画公開に合わせて、一時期どこの書店でも平積みされていた作品の1つです。日本画家として名を馳せた主人公が過去を振り返りつつ過ごした数年間の物語。何回か読み返したんですが、なかなか感想にまとめられるような解釈ができてません。
以前戦争画を見た時、画家にこんな絵を書かせてはいけない、と悔しくなったことがあります。戦争画家としての過去を、主人公は、家族は、周囲は、どう受け止めていたんでしょう。触れてはいけないような、けどいっそはっきりさせてしまいたいような、この氷の刺が心臓を突き刺すような感覚をどう表していいのか。元々罪悪感や後ろめたさみたいなものを主人公はもっていたんでしょうか。周囲は暗に過去を指摘していたんでしょうか。分からない。けど実際に人間関係って分からないことばかりで、自分の主観なしに相手を見ることはできない。読んでいる間その孤独さが付きまといます。
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難しかった.
うまく感想がかけないが,自分は優秀だと思いつつも自戒の念も持っている微妙な心情が伝わってきた.
後半で,娘と話が噛み合わなくなったのは何故なのか,よくわからない.
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大きな出来事があるわけでもなく、淡々と日常が綴られているように見せながら、その中にやるせなさやもどかしさやどうしようもない想いのようなものをにじませるカズオイシグロの筆致のせいで、一気に読める作品だった。
大戦前後の時代は今では想像もできないくらいの急激な変化で、そこについていけるかどうかは死活問題だったのだろう。
過去の栄光や信念を後悔することはなくても、それを隠さなければならない父親の心情、年老いてもまだ自分と闘わなくてはならない葛藤を、ここまでうまく描けるのはすごいと思った。
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<戦中、愛国的作品で名声を得た画家。その戦後、後年の回想期。>
だんだん本棚に揃ってまいりました。カズオイシグロ本。
同じ著者の本(=つまり同じ背表紙)が棚に何冊も並んでいると、わけもなく満足感が沸いてきます。。
今回のは彼の長編2作目の作品。
1作目(「遠い山なみの光」)~3作目(「日の名残り」)はどれも同じような流れとなっていて、
主人公の一人称で綴られていく過去の回想は、淡々としながらも、現在の自己の正当化に向けられている。
私達も何か間違いを犯したとき、しばらくは「何であんなことを・・・」と考えながらも、
時間が経つにつれ整理がつき、「あの時こうしたから、このように言われたから、あんなことをしてしまった」
というように考え始める。
そしてそれは少しの事実の捻じ曲げも含まれている部分があるということ。
それこそが立ち直ること、これからも人生を歩む上で必要なことなのかもしれません。
一人称の不確かな事実の中で、それを繊細と表現し、現在の自己の正当化に向かうイシグロワールド。
ちなみにこの本もブッカー賞候補だったそうで、惜しくも一票差で破れたそうな。
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日の名残りの日本版。浮世(floting world)とは、ほんとうに、昔の人は素敵な言葉を考えるなあとおもう。時代や社会、状況が変わると全く世界が逆転してしまう。正しいと思い、皆から支持されていた価値観が、一日にして古びて嫌悪されるものになってしまった中、どう生きるか、どういう態度を取るのか。一人称が主人公なので、その自己弁護と正当な主張を聞いているとなんだか同情せざるを得ないけれど、違う人物から見たらまた違う生き方に見えるのだろう。可哀想で、かなしい。
それにしても翻訳小説とは思えないほどリアリティのある日本の姿。日系であることは勿論関係していると思うけれど、日本の第二次世界大戦をめぐるその前後の歴史というのは、捉えにくいものな気がするのに、的確かつ客観的。すごくしっくりくる。けれど、しっくりきすぎて、逆に日本人にとってはしんどいのかもね。
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英語に詳しいわけでも原文と照らし合わせたわけでもないけど、翻訳が上手いなと思った。
噛み合わない言い訳が時に怖い、イシグロ。
ぼんやり浮かび上がる。
いろいろ興味深い内容だった。
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飛田茂雄訳。イシグロの2作目にあたる作品でウィットブレッド賞受賞作。 戦後まもない日本が舞台の作品で、戦争を挟んで時代の流れとともに価値観が変わっていく世の中を主人公である元画家の小野が現実とを重ね合わしながら過去を回想する物語。 主人公に対しては家族に対する思いやりという点においては読みとることが出来たのが救いであるが、『日の名残り』の主人公のような人間としての矜持は感じなかったがそれは舞台が日本であるからかもしれないし、確固たる意志のある言葉で綴ってなく曖昧さが漂っているのも要因だろう。
それは作者の意図したものであろうが。 周りの人々の言動により主人公の人となりが多少なりともくっきりと浮かび上がっている感じですが、それは戦争に翻弄されつつ過去の矜持にしがみついているようでそうでない人間の弱さが滲み出ているのであろう。生きることの辛さを諭した作品であろうが評価がしづらい作品であることにも間違いない。
戦争と言う人に急激な変化をもたらす世界においては、今まで正しいと思っていたことが急に悪く嫌悪される評価になります。 その人の力ではどうしようもない世界の変化(戦争)の前に、主人公がとった師匠であるモリさんから離れてしまったこと(作風の変化)をいつまでも引きずっているように感じられました。 娘・紀子の縁談に関して心配しているところなどその典型例ですよね。外国人読者の感想を聞きたい作品です(笑)
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歴史と人。上昇と崩壊。人の心の移ろいやすさ、狭量さ、思い込みの強さ、弱さ。人生とは。娘への愛情。物語りはかくも多層なのか。単純化は難しい。自分に引き寄せて読んでしまった著者の力量に感謝する。
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原書で読んだため、英語力が低いので世界観をしっかり理解出来ずに読みおえてしまった。英語力が伸びたらまた読もう。
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戦争画家として生きてきた老画家の戦後の苦悩。イシグロ氏の小説を読むのはまだ3作目だが、どの作品にも共通しているのは一人称・回顧・再生であり、作品にのめりこみ、浸り入り、主人公に肩入れし、なんでか静かに感動し、癒される。
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2013.4.27読了。
すぐに答えや感想なんてものは出せない、軸も持たない小物にはでかすぎてもう一回読まないと。
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2014/02/25/Tue.〜03/31/Mon.
彼の作品を読むのは、『わたしを離さないで』に続き、これで2冊目。
戦時中、日本精神を鼓舞する作風で名をなした画家・小野。
多くの弟子に囲まれ、大いに尊敬を集める地位にあったが、終戦を迎えた途端、周囲の目は冷たくなった。
老人・小野が何を言っても、何をやっても、空回り。
実の娘たちや義理の息子は何かにつけ反論してくるわ、かつての弟子からもそしりを受けるわで、周囲の人間と噛み合うことがないまま、孤立無援となっていく…。
自らの過去を高尚げに語る小野だけど、かつて犯した過ちを素直に認めているようでいて、その実、核心部分(おそらく小野自身にとっては都合が悪いであろう真実)は曖昧なまんま。
独り善がりで、いまひとつスッキリしない独白。
しかも、とりとめないエピソードが頻繁に付け加えられ、その度に話が横に逸れまくるもんだから、コノジイサン、ナンナノ???と違和感を抱きながら読み進めることになる。
『少なくともおれたちは信念に従って行動し、全力を尽くして事に当たった』のはわかるんだけどね…。
奇妙な読後感を誘う筆致は、カズオ・イシグロ節の成せるワザなんでしょうか?
読み手をモヤモヤ(時々イラッと)させるクセに、最後までぐいぐいと読んでしまったんだよなあ。
そして小野は、最後の最後で「あること」を悟り(悟らされ?)ます。
「こういう切り口もあるんだなあ」と、ある種の面白さを感じる小説でした。
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何ともいえない読後感で、すぐには何の話だったのか言い表せない感じ。
著者の作品では『日の名残り』の方が、年老いた男が過去を回顧する点で似ているけれど、分かりやすく読みやすいと思う。
戦後日本の独特な感覚。
戦争という歴史をどう捉えるかはおそらく世代によっても全く異なっていて、何が正しくて正しくないのか、答えは簡単には出ないのだろうな、と。
意見の違う祖父と父親に育てられた一郎はどんな子に育つのだろう。
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タイトルの「浮世の画家」には、違和感がぬぐえない。 もっとも、原題が"AN ARTIST OF FLOATING WORLD"なので、このまま直訳すれば浮世絵師なのだろうか。それなら、まだ「浮世の画家」の方がとも思うが。 主題も掴みづらいが、芸術家における日常がテーマなのだろう。 モーツアルトにも太宰にも、日常生活者としての側面はあったのだ。