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知ることは、自分が変わること。
うーむ。深い。そうかぁ
まだ途中だけど。
うん!うん!と思う時と
ん?ん?と考える時がある。
養老さんの本はいつもそう。
まだまだ読み込めてないんだろうなぁ。
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養老先生の講演集。お話していただいているんでスラスラ読める。何度も同じことを仰てっ下さるので頭に残る感じがする。戦後の日本は、都市化だったおいうお話しと強靭な自然がある日本では「手入れ」というやり方がいいのじゃないかというお話し。
現代日本のことを考えるのにメソポタミア文明なんかからお話しになる。スケールが違う。虫の気持ちまでお考えになられるのだから、気持ちの汲み方がとてつもなく深い。
Mahalo
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自分は死なないと思うこと。それは今の社会とりわけ日本が「都市化」してきたことにあると養老先生は指摘する。本来死というものは日常の中にあったが歴史の中で日本人はそれを排除していくようになった。そうして死は遠い存在になっていく。この前読んだフロムの本と同じで孤独という問題は人間にとって非常に大きなテーマとなっていることを感じた。
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生老病死という人間の普遍的な考えを現代の日本人は忘れているのではないだろうか。それは、医療の発達や在宅介護の拒否など、それらの複雑な原因が絡み合い、死を家の中から病院や施設へと締め出した。その結果が、死が身近ではなくなり、自分の死さえも見て見ぬ振りをするようになった。そのような世の中なれば、自己を重要視し、他者を蔑ろにするという日本人が増えるのは当然のことだ。
都市に至っては、人間達の創造によって作られたものでしかない為、本来あるべきはずの自然が現れれば排除したい気持ちになる。それは都市にゴキブリが現れるのと同じだ。不思議な違和感を覚える。全てが創造の産物だというのならば、そこに想像しうる事以外の全てがストレスになるに決まっている。究極の都市化ではなく、自然に身を任せるという生き方こそ幸せになり得る方法ではないだろうか。
今こそ平家物語の諸行無常という万物は必ず移り変わるという原則に立ち返り、自然を受け入れ、普段から死を考えるという習慣を身につけなければならない!
もしあなたが癌を宣告され、余命6ヶ月と言われたらどのように感じ行動するだろう。その感覚が大事である。
解剖学の観点からみる宗教学はとても重みを感じます。
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『まともバカ―目は脳の出店』(2006年、だいわ文庫)の続編で、前著とおなじく『脳と自然と日本』(2002年、白日社)と『手入れ文化と日本』(2002年、白日社)を再編集したものとなっています。
著者の講演などをもとにした本なのでやむをえないことなのかもしれませんが、とりあげられているエピソードなどは前著と重複するものが多く、多少退屈に感じてしまったのも事実です。それでも、著者の基本的な考えかたは非常にユニークだと感じました。
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諸行無常”を否定する都市化”に警鐘を鳴らす.
筆者は日常生活に染み付いた人間の全能感(あらゆるものを管理しようとする,できると思うこと)を改めて否定する
トップダウン制御の限界(ブラックスワンに対する無抵抗さ)を感じる自分には共感できるる部分が多い.
筆者の抽象化・表現・連想能力も見習いたい.
アンチ都市化に対する筆者の提案は「制御ではなく手入れ」という考え方だと思う.物事を自分の望む方に仕向ける.でもその通りに行くかどうかは自然に任せる.
人類の歴史は”制御することの追求”とも言えるかもしれない.
科学は当然,制御の道具だし,宗教も科学が登場する以前は説明不能な理不尽な事態を神の思し召しということにできた.
”制御できないものもある”と腹を括ることも制御の一つと言えるかもしれない.
講演会や寄稿の寄せ集めのようで同じ内容が重複する.そのため内容が頭に入ってきやすいし後半はスラスラ読める.
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都市:
Vs自然,意識的,人工的,制御,管理,予定調和的,「ああすればこうなる」
非都市的なものの忌避(屋内に現れるゴキブリ)
人間の死は自然(非都市的).だからみんな関わりたくない.病院という場所に抑える
制御不能なものを取り払おうとすること
(制御不能なものが
人間の自然=生老病死
九相図
知るということは(知ることで)自分が変わるということ.大変な危険を伴う.
(例:告知によりがんの存在を知り,動揺する)
教育システムの確立=知るの無毒化,無刺激化=非自分事=「勉強はつまらない」
聖書=本の中に歴史を閉じ込めてしまう行為
コントロールではなく”手入れ”
”やっていることと,結果が直結しないと気が済まない.予測と制御.「ああすればこうなる」という考え方で子供を育てるのは,年の特徴です.”