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今まで、5回京都に旅行をしています。
そのたびごとにますます京都が好きになり、
帰る日にはすでに次の旅行で訪れたい場所の候補が決まっているありさま。
まだまだ貧乏旅行ばかりなので贅沢な食事が出来るわけでもないし、
伝統工芸品に手を伸ばすことも出来ないけれど、だからといって
楽しみは少しも損なわれるわけじゃない。
歴史を感じさせる神社仏閣は数え切れないほど、
実はおしゃれな雑貨屋さんもあり、周囲を山に囲まれた絶景ポイントで
一息つくもよし、繁華街のにぎわいに身をおくのも楽しい。
だから、そろそろ普通のガイド本の定番スポットばかりじゃ
飽きてきたこのごろ。
鷲田さんの本が元々好きで、「鷲田さんの書く京都案内なら
絶対面白いはず!」と確信を持って借りてきた一冊。
結果は、期待を裏切ることなく、本当に面白い一冊でした。
鷲田さんは京都生まれの京都育ち。
だからといって「地元住人オススメの隠れ家紹介」みたいな
安っぽいガイド本ではありません。
市バスの循環する系統(200何番だか忘れてしまった><)を一周しながら
思い出のスポットを紹介し、その合間合間で京都人の考え方、京都の町のたどってきた歴史、
京都の持つ独特な気風を、面白く紹介してくれている。
なぜ、京都の人は美的センスがすぐれているのか、ということへの
鷲田さんなりの解釈は本当に納得!必読です。
ちなみに紹介されているグルメスポットは、「安くて飲める」系が多いので、
今度ぜひ訪れてみたいです(笑)
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良かったけど、私は秘密の京都の方が好きだな。ちょっと男性目線プラス地元過ぎて、観光客向けではないかも。
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ガイドブックに載っていないような、
ディープな京都の姿を知ることができる。
「へぇーそうなんだ!」と思えることも沢山書いてあって、
今すぐ街歩きがしたくなる。
所々に難しい文化論的記述があるので☆ー1としました。
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何という本であろうか。
もちろん、京都のガイドブックなどではないし、旅行記でもない。
ご自身が育った京都という街への愛しさが、全編に溢れている。
都市論でもあるし、何よりすばらしい「京都論」である。
京都という街のことを語っていながら、知らずそれは人間論へと展開されていく。その自然さがいかにも京都の町並みとぴったり符合している。
今すぐにでも京都へ行きたくなった。そうして、1ヶ月でも1年でも滞在して、京都の町並みを散策してみたい。もちろん、京都市バス206号系統に乗車して、である。
今年上半期に読んだ本の中で、文句なしのベストワン!
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京都出身の哲学者による、206番を軸にした京都案内。と言っても、観光名所案内になるわけもなく、京都を舞台に都市であったり、生活であったりを考えながら、の旅になるわけだが。
隣に鷲田さんがいて案内をしてもらっているかのような体験。京都の街を思い浮かべながら読むとなおよし。2時間のテレビ番組とかにもよさそう。
京都駅の解釈の話が一番印象的。京都駅にはパサージュがあるのだ。
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市バス206に乗ってのガイド。
普通のガイドブックとは、100%違う本。
京都といえば、神社仏閣が思い浮かび、観光で行くには、どこのが良いのか?と、ガイドブックで探したりする。
でも、この本では、神社仏閣はほとんど出てこない。
観光客が好きそうな「京都」を前面に出したグルメも出てこない。
男性目線での普段着の街並み。
著者の人生模様。
哲学的、文学的にちょっと小難しく書かれてしまい、噛み砕くのに苦労する部分があったのは、自分が簡単な本しか読んでいないからだろうか。。
この本の全体を要約するとすれば、オープニングの文だろうな。
『こういう街の並びは、言うまでもなく「あっち」の世界へ通じている。法悦の世界(神社仏閣)、推論の世界(大学)、陶酔の世界(花街)。だが、そうした「表」のきわで、ひっそりとつつましくきまじめに生きてきた京都人のにちじのそのただなかに、さらに」別の世界」につづく孔がいっぱいある。』
この本を読む前に1個だけ予習すると良いことが。
市バス206のルートをあらかじめ見ること。
それを知っているか?知らないかで、楽しさが格段に変わると思う。
自分は、206で一周をしたことがあったので、かなり興味深く、納得のガイドだった。
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あー実に京都っぽい。著者の深い愛情が伝わってくる。
P22 「ものの味わいの判る人は人情も判るのではないかと思いやす」と言った料理人がかつていた。じぶんのために働いてくれている人への想いがないと、味は判らないというわけだ。
P41 京都の住民ほど歴史意識が希薄な人種は珍しいのではないかと思っている。思い出を夢と混同したり、希望を過去の痕跡と取り違えたりする、そういう一種の時間感覚と歴史意識の欠如が、古いお寺や町屋の佇まいに眩惑されて「歴史的」という気分にすりかえられているだけのことではないのか、と。(中略)京都人の、単純にリニアでない時間感覚には注目しておいてよい。
P54 奇人のいる街は住みやすい。これ以上行ったら本当に終わり、という人生のリミットが目に見えるかたちで示されているからだ。(中略)見て見ぬふりをする。遠ざけながらもその存在を許容する。これこそ成熟した都市がはぐくんだ寛容の精神である。そんなモダンな都市でこそ奇人伝説は生きながらえる。ノイズこそ活力の源だと、そんな無意識の計算ができることが、モダンな都市住民の条件なのかもしれない。
P57 かつての場末がおどろおどろしかったのは、実は共同体がそこで消える、もしくは解体されるのを肌で実感できたからだ。「普通」が通用しない場所として。それが今、「普通」の場所が、何が起こるやもしれない場所になっている。
P64 社会の近代化とともに「貧」という共通の定めに協同してあたる「共同防貧」という力が殺がれてゆき「貧」が孤立化してくる、「貧」は常に「孤立貧」という形をとるようになる。昭和の初めにそう指摘したのは柳田國男である。この「貧」を「問題」と読み替えれば、現代人は「問題」に共同してあたる力を失っているという警告として、柳田の言葉は今もわたしたちを撃つ。
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京都には孔や隙間があるからより魅力が引き立つのも分かるし、定点となる三山があるから京都で地理的に不安にならないのも納得がいく
立命と同志社の小学校の給食の豪華さに慄いた(急いでHPを見に行った)
尖ってなくて見栄張ってなくて媚びてなくて心地よい都市案内だった
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年に1、2回の観光旅行では味わえない京都を教えてもらった。定点的にお店を訪ね、町を歩き、異界への入り口を覗き見るのも一興である。