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芸術、音楽が価値を支える街では記憶、人間関係、地理、感情、
まるで夢の中にいるかのように不確実で確か。
そして長い。900ページを超える紙の枚数ではなく、
慇懃無礼に自らの問題を一方的に語る人々の話が。
語らねば心通わず、語っても心通わず。
だから、他人の状況などお構いなく、とにかくよく喋る。
その度に救世主ライダー氏が
ユラユラと夢から現実、現実と夢の間を彷徨うように。
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何かを掴もうとして走っても飛んでもあと少しで手が届きそうなのに届かない。手が届く寸前で後ろから足を引っ張られ、新たな面倒事が立ち上がり、そちらに気を取られている間に追い求めてきたものが視界からフェードアウト、結局面倒事は収まらず、疲労困憊したところにまた面倒事・・・振り回されてくたくたになりながら、結局何一つ解決しない。歩いても歩いても辿りつかない恋人の部屋。急いでいるところに追いすがってお茶でも飲んで行けと熱心に誘う幼馴染。始まらない講演会。弾けないピアノ・・・これは間違いなく悪夢の舌触り。正統派英国リアリズムを追究した「日の名残り」でブッカー賞を受賞した後の作品がこれで、イギリスの書評家諸氏は大いに戸惑ったとか。評価もくっきり二分。個人的にはこれ好きでしたけど、賞貰ったりする類のもんではないですね確かに。
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主人公ライダーの前にはドアへと続く、絶え間ないステップがある。彼はドアに辿り着こうとするが、段差が様々でなかなか進むことができない。幾分ドアに近づいていると想像するがそれは彼自身想像の中でのことだ。そもそも彼は自身の足元を確認せず(できず)、階段の形しか目にはいらない。
私は何を求めているのか。何を求めていたのか。いつまで求め続けるのか。まずどこに向かうべきかと省みることはない。もちろん正しい答えはないけれど・・・・。
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読んでも読んでも終わらず、さながらカフカのようで、自分にとってちょっとした地獄のようになってきたのでもう止めた。
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小説に「構造美」を求める人にとって、これほど緻密に整った作品はお目にかかれないだろう。
装丁で見られるように、読者は薄暗い一本道をひたすら歩かされる。カフカが迷宮であるなら、これは暗い街道だ。そもそも、カズオイシグロの作品には「語られざるもの」が主題であり、常に「語られる」ものから周りを見渡さなくてはいけない。一本道を歩きながら、ひたすら真っ暗な風景に向かって景色を投影しつつ歩いていくことになる。
作品の一番大きな仕掛けは、あとがきに書かれている。この仕掛けに気づけた読者にとって、900ページを超える道のりはさして遠いものではない。
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誰もが生きている中で次第に溜まっていく鬱屈さを持っていて、多かれ少なかれ、それを解決するのに誰かに手伝ってもらいたいと思っている。でもその大部分は、明快な解決は難しいのだろう。
ストーリーの展開は遅く、内容がシュール。
最後の描写が鮮やかだった。
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ついに読み終わった。
文庫本で935ページ、厚さ3.5センチ。
その量はともかく、登場人物は緻密でありながら、時間感覚だけが
奇妙に歪んで話が進行、主人公がどんどん薄らいでいくような
不思議な感覚・・・。
「カフカ的」とよく評されている。たしかに出来事の不条理だけは
たしかにそうかもしれないけれど、自分はほとんどカフカ的とは
感じなかった。現実の世界なんて、むしろ「これぐらい歪んでいる
んじゃないか?」そうではないと思い込みたいだけで・・・
カズオイシグロの最高傑作は、今のところこれではないか?
2017.10.5追記
ノーベル文学賞!おめでとうございます!
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世界的ピアニスト、ライダーはコンサートのためにヨーロッパのとある町にやってきた。
町の住人は、それぞれに問題をかかえ、その解決をライダーに求める。
ごついです。
1000P近くあります。ま、これを上下巻とかに分けなかったハヤカワ文庫は、グットジョブだと思いますよ。
ライダーは、ホテルのボーダーや支配人に始まって、とにかくありとあらゆる人から相談を持ちかけられたり、依頼をされたりするんだけど、どれも彼を尊敬しているといいながら、とにかく利己的なのだ。多分、本人も気づいていない欺瞞であったり、偽善なんだろう。
そして、そういうのを延々と読まされるわけだ。
ライダーじゃないけど、いい加減にしてくれといいたくなるのである。
このどうしもようない不条理な感じが、カフカっぽいといわれてるらしいが、カフカの主人公には確固たる自我があるのに対して、ライダーには自我がない。
その自我の変容は、まるでコンピューターグラフィックで人の顔が微妙に変っていく様子をみている感覚に近い。
確かに、他人は自分を映す鏡ではあるけど、本来そこにあるべきゆるぎなさが、ない。
ピアニストでコンサートのためにやってきたというのに、ライダーがピアノを弾くシーンはとても少ない。
そのことが、彼のゆらぎの要因なのだろう。
で、読み終わって「タイトル通りだな」と思った次第である。
充たされない者は、なにがどうあっても、何を手にしても、結局は充たされることはないのだ。その充たされてない所以は、結局自身のせいであると気づかない限り、悪循環は続く。
…そうか、そういう悪循環の話だったのかと、思う。
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語り手ライダーは世界的なピアニストとして、ある小さな街のコンサートに招かれた。
町の人々は彼の音楽が閉塞感ただようこの街に新たな風を呼び込んでくれると大きな期待を寄せているが、物事は予定通りに進まず、ライダーは混乱の中本番を迎えてしまい……というお話。
余白の多い独特な語り口で、はじめは困惑させられる作品ですが、物語中盤あたりからこのお話の方向性が掴めてきます。
そうするともう、読者はこの世界から離れられない。
私たち誰もが抱える充たされない苦悩を、装飾的な分析を一切せずにここまで真正面から描いた作品は初めてです。
カズオ・イシグロという作家を理解するのに最も重要な作品であると感じました。
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正直、イシグロのファン以外は読まなくて良いかも。主人公のライダーが周りの人間に翻弄される、夢とも現実ともつかない不思議な小説。これは読者を選びます。イシグロファンの僕は好きですけど、オススメはしません。
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これはなんというか、ライダーの悪夢を読まされている感じです。
読みやすい文体ではあるけれど、「ダロウェイ夫人」やマキューアンの「土曜日」を思い出させる実験的な小説。
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これは長引いた。
文庫で900ページ超と厚いし、内容はなんとも奇妙な展開が
延々とくりかえされ、ついていくのは困難。
作者自ら言っているが、これがかなり実験的な構造なのだ。
小説というもののあり方を考えさせられた。
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<ある東欧の町にやってきた世界的ピアニスト、ライダー。
「木曜の夕べ」で演奏することが決まっている彼の元にさまざまな相談が持ちかけられる・・・。>
今作でカズオイシグロの長編制覇!!
900ページ以上の大長編にもかかわらず、なぜか上下巻に分かれておらず文庫本で一冊。
分厚い本がすきなのですが、正直文庫本でこれは重くて仕方ない・・・
ちゃんと単行本では上下巻に分かれているのに何故なの?ハヤカワ書房さん。。
さて感想。
背表紙の内容紹介を読んだ限り予想していたのは
「わたしを離さないで」や「わたしたちが孤児だったころ」のような
“どうすることもできない運命の受容”みたいな結末かと思いましたが全然違いました。
とにかく不条理な世界の連続。一つ先の扉をくぐればまた新しい不条理な世界。
そしてその扉は時間と空間を飛び越えることを可能にする。
読んでいくうちに靄のかかった不思議な世界に迷い込み、
主人公ライダーとともに、読者もどこからが本当にあったことで、どこまでが本当はなかったことなのか、
この町の迷路にまよいこみます。
とにかく全ての人間が言い訳ばかりで少しずつ、何かが欠けている=充たされざる者。
そしてそれは主人公であるライダーも同様である。
三谷幸喜曰く
「フィクションの中で、その場にいないにもかかわらず、一人称で自分が見ていないことの内容を話すことは作法に反する」と述べていたけど、この本の場合、それがさらに靄のかかった世界観を出すのに力を貸しているんだろうな・・・
しかしいかんせん長い・・・。
たぶんこの本からカズオイシグロに入ったら、他の作品読まないだろうな 苦笑
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長い。だらだらと長い。結末らしきところも盛り上がりらしきところもなく、イラッとする人のイラッとする行動が延々と続くんだけど、でもこの人の書く会話ってどことなく人間的なおかしみがにじみ出ていて、なんとなくだらだらと読み終えました。
この感じはThe Office(イギリスのコメディドラマ)に似てるかも。ツボにはまり出すと、それぞれのキャラクターの言動がいちいち笑えますが、そうでないとただの冗長な小説にしか読めないかもしれない…。
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最高。イシグロの作品の中で、一番気にいっている。カフカ的だけど、カフカはこんな長編を最後まできっちりと仕上げたりはしないだろう。