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星野道夫を第3番の映画に撮る予定が氏の急逝により撮影できなくなって、
全く違った作品に仕上がったいきさつや想いを書く。
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澄み切った氷雪の上の白熊たちは、星野道夫さんの撮ったもの。
映画『地球交響曲第三番』の「ワタリガラスの神話」を求める旅について。
様々なシンクロニシティ(偶然の一致)は、監督によると、偶然ではなくて必然なのだそうだ。
我々は先祖の見たもの、感じたことについて、自覚しないけれど、確かに記憶を持っている。
「結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間」(星野さんのエッセイ)
というのは、私が今までに読んだ文章に共通するものがある予感。
「使いみちのない風景は、使いみちはなくても人生の中で必要な風景」(村上春樹)
「ろうそくの火が燃え移るように、魂は人の身体を変えて転成してゆく。アラヤシキにそれぞれの前世の記憶が蓄えられる」(三島由紀夫)
見えるものを撮ることで「見えないもの」を撮ろうとする龍村監督のスピリチュアリティ。
見えるものも真実。見えないものもまた真実。
最新作の第六番を上映していた恵比寿の東京都写真美術館で購入。
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「最後に意味をもつのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。」
星野道夫の過ごした時間は、多くの人の中に意味を持って残っているのですね。
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映画『地球交響曲第三番』の書籍化作品。
この映画にはアラスカで熊に襲われて亡くなった写真家、星野道夫氏が出演する予定だった。本来であれば、作品の軸となる星野氏がいなければ成立しないはずなのだが、次々と起こる偶然の一致(シンクロ二シティ)によって作品は完成される。
星野道夫、ナイノア・トンプソン、ジョージ・ダイソン、ボブ・サムなど、世界の各地で同時多発的に、現代の便利さを拒み、古の神話や技法を身につけてゆく様は、シンクロ二シティという言葉では片付けられない、何か大きなメッセージのように感じられた。
肉体を離れて永遠に「旅をする木」となった星野氏。アイヌの言葉では、人に危害を加える熊の神をウェンカムイと呼ぶそうだが、星野氏が最後に出会った熊は、山を司る神キンカムイだったのだと思う。