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「文学が、ようやく阿部和重に追いついた」
こんなキャッチコピーが『グランド・フィナーレ』のハードカバー出版時の帯には記されていた。
デビュー作『アメリカの夜』、『トライアングルズ』、『ニッポニアニッポン』で立て続けに芥川賞候補となったが、落選し続けた無冠の帝王は、『グランド・フィナーレ』で「ようやく」2005年に芥川賞を受賞したのである。
この前年、2004年に『シンセミア』で第58回毎日出版文化賞第1部門、第15回伊藤整文学賞小説部門をW受賞するほどの力量を持つ阿部ちゃんなのだから、慣例的に「新人賞」である芥川賞の中でも、本作は抜きん出た完成度であった。
内容はロリコン男の話。
いかにも阿部ちゃんが得意なジャンルである。
文庫版の解説で、阿部ちゃんに最も影響を与えたとされている作家高橋源一郎が、非常に興味深い解説を行っている。
この主人公のロリコン男は、確かに、不快で、最低で、異常である。
が、何か「ヘン」なのだ。
不快で、最低で、異常なんだけど、いわゆる『小説』っぽい不快さ、最低さ、異常さではない。
ものすごい事件を起こし、ものすごい大どんでん返しのストーリーは展開されないのだ。
以前の阿部ちゃん作品のレビューにも書いた気がするが、もはや阿部ちゃんは「小説」を超えた「小説」を書いている。
その意味がわからない輩が阿部ちゃん作品を読んでも「なにこれー超中途半端な終わり方なんだけどー。マジつまんな〜い。」で終る。
阿部ちゃん。そんな『文学』は置き去りにして、突っ走り続けてくれ。
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自分と他との距離感がつかめていないという実感を持つ「わたし」。この実感を持てることが自分を知るということなんだろう。外見で個性を主張するとかあほくさいって思った。自分と言うフィルターを通して世界がどう見えるかというとこに個性がある。
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サンドバック小説とでも言いましょうか。主人公は、叩いて下さいと言わんばかりの最低な男です。読み進めるにつれ不快で胸糞が悪くなります。主人公はロリコン云々以前に人間としてクズです。正直気持ち悪いです。自分の事を最低だと言いますが、口だけだろう!懺悔して救われた気になるな!更生?ふざけるな地獄に落ちろ!と最後まで罵りながら読めます。ある意味、逆を突いた、ラディカルな作品でした。
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コピーと本の内容が違う、というのはありがちだけど、阿倍和重の本で特に多い気がする。
芥川賞をとったけど「この人ほかにもっと良いの書いてただろ!」という声があちこちからあがったって訳で他の作品の方が良いです。
「話最後まで終わってないじゃんつまんなーい」という初心者?に対して自称上級者(文学なんて学問はない。知識の差。正解がないという意味で)がニヤニヤしながら御高説をたれるのにうってつけですね!
これが良い文学なら永遠に追いつかなくて良いよ。
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最初はなんだか面白くないな…と読んでいたけど、中盤からグングン引きこまれてしまった。それはやっぱりこの小説になんらかの違和感がわくからなのかな?
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表題作もスキだけど、
『馬小屋の乙女』がよかった。
ええ、あの人が乙女?なのかなぁっていう。
『20世紀』も『新宿ヨドバシカメラ』も企画モノらしいけど、良かった。
書きたいものしか書かないって言うのも作家だなぁって思うけど、こういう企業とのコラボレーションなんかでも文体の特徴なんかを損なわないで見事に書けていると実力を感じる
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ロリコンのいろいろ。
都庁の話は意味不明。
ロリコンが異常かどうかはおいといて、異常な性癖や嗜好って多分自分で望んで得たものじゃ無いとおもうんだけど、
おれらが(一般的に誰かが決めた)「普通」のセックスで昇華していることを、「異常」な方法でしか昇華できず、そのために人間扱いまでされなくなってしあわせまで剥脱されてしまう姿に、
全てのことの表裏が紙一重な気がして、ぎりぎりのところでバランスを取っているのかもと感じた。 結構ふかく考えさせられる。 けいた
↑あたまよさそう。 さとこ
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幼女趣味の一児の父親が、その趣味故に離婚し、娘と離れることになった。そこからこの小説は始まる。ただ、確かに娘への執着から話は始まるのだが、序盤で自分自身を冷静に理解し始め、中盤以降は娘への執着はほとんど感じられなくなる。後半は、少女たちの演劇の指導に、誠実に取り組む姿が描かれる。
題材が題材なだけに、妄想で語られるというファクターを頭をよぎる。ゆえに、フィナーレを迎えたのか迎えられなかったのか、それさえも釈然としない。読み終わったとき「え?終わり?」そんな感想を抱く小説である。
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学生に勧められて。
なるほど、なるほど。
しかし、この手の描写を、
笑えばいいのか(いいんだろうけど)、
まじに取ればいいのか、ちょっと分からない。
いくつか読んでみないと分からない、
ってことは何冊か読むことになり、
それはそれで、コンシューマーになるという罠か。
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芥川賞受賞作である表題作を含む4つの短編集。
表題作は、作中で書かれているある諸事情によって離婚させられ、愛娘の親権も妻に奪われ、娘に会うことすら不可能な「わたし」が故郷へ帰り、双子のような二人の女児に出会う。
すべての話を読んだ限りでは、私のごくごく個人的な感想をいえば、この文章はあまり好きになれない。どちらかというと苦手なタイプである。まるで早口でまくし立てられているような感覚。実際に、登場人物が相手に相槌もなく、早口に言いたいことを言っているだけの描写がある。コミュニケーションとは言いがたいようなコミュニケーションしかとれないのが「わたし」なのかもしれない、なんて思ったりもする。
なんとも、その行動意図が測りかねる「わたし」ではあるが、表題作全体のイメージとしては嫌いではない。ただ、文体が苦手、というだけで…。
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とりあえず文庫版の高橋源ちゃんの解説がすごい、あざやか。評価が割れがちな作品を解説させたら彼の右に出る人はいないんじゃないだろうか。その上で評価がイマイチなのは、これが阿部和重の決定版ではないと思うからである。以下、各編のあらすじ。
「グランド・フィナーレ」は事情により離婚に追い込まれ、愛娘と会うことを禁じられた映像作家が、故郷・神町へ逃げ帰り新しい「希望」を見つけるまで。まわりの人間が感情を爆発させるのに対して、主人公はいちじるしく欲望や感情を欠いているように見える(けど、やってることは異常そのものだ)から、彼の見た希望が本当に希望なのか、答えは宙吊りにされる。
ちなみに物語中、トキセンターに忍び込んで警備員を殺した少年の妹が登場する。
「馬小屋の乙女」では、まぼろしの性玩具を求めて辺鄙な町(神町)へやってきた男が、奇妙な老婆に出逢う。とことんコミカルでそこはかとなく恐い話。
「新宿ヨドバシカメラ」は企業用に書かれた小説。雄弁な男がみずからのセックスを実況中継しながら新宿の地誌をつまびらかにする。バカバカしいくらい陳腐な比喩がむしろ生きてくるのは、やはりこの街だから?
「20世紀」も、やはり地誌。東北地方にある神町を取材する私は町の歴史を調査するうちにだんだんこの土地へ取り込まれていく。ホームビデオ、父と娘など、「グランド・フィナーレ」に連なるテーマがあらわれる。
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第132回芥川賞受賞作。表題作のほか「馬小屋の乙女」「新宿 ヨドバシカメラ」「20世紀」の3編を併録。
離婚して職を失い、故郷へ戻って古い木造の一軒家に住み、仕事もせず、妻に引き取られた一人娘の形見の品であるジンジャーマンのぬいぐるみを抱っこしながら、あてもなく町をブラブラしている、37歳のロリータ・コンプレックスの男のお話。もともと東京で教育映画の監督をしていた彼は、地元の小学生の女の子2人に請われて、演劇の指導をすることになりますが・・・・。
この本に収められた小説は、どれも一読しただけでは理解不能なものばかり。けれど、ちょっと硬めの文体と、内容のアンバランスさが面白く、なぜかしら一気読みさせられてしまいます。
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第132回芥川賞。
冒頭は離婚したロリコン男が、近づくことすら許されない一人娘の誕生日にプレゼントを贈るエピソード。
後半は主人公が田舎に帰って文房具店で働いているところに、ひょんなことから小学生の女の子の演劇指導をするはめになってしまう話。
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T:私は「オタク」「ひきこもり」「ロリコン」「ストーカー」・・・メディアが取りあげ、時に社会問題として扱われるような特殊とされる人間ではないと思う。しかし阿部和重の作品に登場する一般的に特殊とされる人物には共感させられるところがある。ここに阿部和重の作品の面白さを感じる。
M:まったく知らない作家なので質問。「社会問題」の人物像づくりには特殊化(アブノーマルというラベルを貼ること)によって社会の中に外部を作るからくりが隠されていると私は思うのだが、そこらへんは言及されているのだろうか。
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(偉そうですが)芥川賞?自分の頭が追いつかないだけかもしれませんが、前衛的すぎるのと言い回しのくどさに疲れました
おおまかな内容は、ロリコンの男が自分の娘に変な感情を抱いてしまい、離れる為に実家に帰され、そこで出会った二人の少女と演劇を作る、と言いった作品です。多分