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[ 内容 ]
「詩を書く生活」を取り戻した手放しの幸福、悲しみの残響、忍び寄る死の影―鋭く、新鮮、切実にして純粋。
危ういほどに研ぎ澄まされた、結晶的な詩世界。
『水と水とが出会うところ』と『ウルトラマリン』、二冊の詩集の訳者解説を収録。
[ 目次 ]
今朝
絵を描くのに必要なもの
ある午後のこと
循環
蜘蛛の巣
バルサ材
投げる
郵便
検死解剖室
彼らが住んでいた場所〔ほか〕
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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書棚で見かけるたびいつも「ウルトラマン」と読みまつがっていたけど、やっぱり「ウルトラマン」でいいとおもう。詩人としてのカーヴァーは。
翻訳した村上春樹がカーヴァーに会ったとき、「あなたの詩はときとして小説のように見えるし、あなたの小説はときとして詩のように見えますね」といったら、とてもうれしそうだったというエピソードが紹介されているけれど(うん、確かにどこかで読んだ気がする)、そういう詩と小説の呼応性が成立する作家は案外、すくないんじゃないかな(あくまでもそんな気がするだけだけど)。詩の自由さの前で衒いを感じさせないというのは、かなり偉大な才能だとおもう。
凡人であるアテクシは、せいぜい詩のひとつを読む生活くらいは確保したいとおもっておりまするよ。
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レイモンド・カーヴァーの詩集。訳は村上春樹。アメリカ―では広すぎる―ウエストコースト―ただし、沿岸部からは幾分か内陸に入ったところ。そしてノスタルジー―それは失ったものと等価。そんなキー・コードが思い浮かぶ。『ウルトラマリン』という、詩集に冠されたタイトルはとても素敵だ。どこから来るのかは分からないのだが。彼方にあって、いつもそれを求めつつ、それでいて永遠に手に入れることはできないもの、といったイメージか。カーヴァーも村上春樹も、本質的には散文作家だと思う。カーヴァー自身が自分を詩人と任じていたとしても。
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鹿の枝角でできたラックが壁についていた。釣針に顎をかけられた
ニジマスが水面からはね上がっている
写真の、カレンダーのとなりに。
『Harley's Swans』