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現代に増殖するホラー性とは何か? ホラー文学から現代日本の「壊れ」に
切り込む。学生アンケートで「早稲田で一番面白い授業」に選ばれた講義を
基にし、一般社会人に向けてまとめる。
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ホラー好きは読むべし
作品の楽しみ方、そこから自分自身は何を学ぶのか
ホラーを考えることを目指している。
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「大衆小説論」の講義をほどんどそのまままとめた本。読みやすい。
ホラー小説やホラー映画の勃興とその時代背景との関係とか、ホラー的なものを通した精神の解放とか、初めて触れる考え方ばかりで、この本の御蔭でホラーに対する見方が変わった。
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なにか、夏ころにホラーをたくさん読んでいた名残が
本棚から見つかったので読んでみました。
『グロテスクなもの』(w・カイザー)はちょっと読んでみたいです。
おもしろそうな本がたくさん書かれており、参考になります。
学校の「聖域」に関する記述が印象深かったです。
「敵は外部からやってくる」とされたから、学校は「聖域」となり、
「内部の崩壊」は「なかったこと」になってしまった。
愛子さま絡みでいろいろと内部問題が告発されるのを
見たのですが、それもまた「学校」=「聖域」の前提の上で
議論されていて、なんだか怖いような印象を受けました。
「壊れ」による「再生」の可能性もまたあると思うのですが、
ホラーにはそもそも「胎内回帰」の願望が
強くある気がしてならないのです。
「再生」について「胎内回帰」から探ることもできると思います。
ところで、ホラーとミステリの境目ってどこなのでしょう。
わたし、『OUT』や『模倣犯』はミステリだと思っていました。
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約5年ぶりの再読。
内容はぼくの好みですし、それなりに面白いと思ったのですが、文体がちょっと合いませんでした。
講義録だしねーとか、新書だしねーと思えば、そのまま流してしまえばいいじゃないかってレベルですが、ちょくちょく引っかかってしまいました。残念。
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ホラー=おぞましさ=自分を含む内部への恐怖。
解決不可能性による内破=壊れ。廃墟。
血塗られた想像力=スプラッター・イマジネーション。
異化。脱自動化。歴史化。いらだち。
やはり1995年。わからなさは解決の拒否。
解決可能性のミステリー→解決不可能性のホラー。
怪物があらわれた、殺せ→怪物があらわれた、人間が変われ。
グロテスクなもの。
以上、総論
以下、各論ないし通論を経て、戦争ののちの隠蔽の総力戦への、暴露のゲリラ戦をホラー小説は担わされているという発見。
サブカルやテレビドラマやベストセラーやオタクコンテンツを現代思想や社会学と結び付けて、という論評にはもううんざりした経験あり。
結局はあんたの好きなものを恣意的に結び付けて意見したいだけだろ、と。
しかしこんなふうに好きなものが共通していると、うーん確かに、と納得させられてしまう、わが芯のなさよ。
でもいい小説が多いんだもん。
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2007年初版の時点で、早稲田大学の学生アンケートで一番面白い授業ということで書籍化されたらしい。でも、まあ、つまらないのひとことに尽きる。
2000年頃からミステリーに代わって、なぜホラーが流行ったかというと、社会自体が解決不可能な閉塞感に陥ったからということらしい。ミステリーなら解決が約束されていなければ物語として成立しないが、ホラーなら別。壊れた社会、壊れた人間の内面など、そのまま壊れたまま描写して、解決しないものとしてほっぽらかしても物語は成立する。つまりは社会全体がホラー化しているということらしい。たぶん。
もしかしたら本当の講義は面白いのかも入れない。しかしこの本に関して言えば、誤字脱字はあるし、文体はめちゃくちゃだしで、読みにくい。おそらく講義の模様をゴーストライターが文章に起こしただけなのだろう。
文学部教授なのだから、その辺は矜持を持って、自ら書き起こし、文章を練って欲しい。こんな本を世に送り出したら、一番面白い授業と評価した学生のレベルが疑われることがわかってない。