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女性の書き手や創作者が受ける抑圧が分類されていて面白いのだが、女性自身も大いに内面化しているので、ヴァージニア・ウルフでさえも女性の創作物を過小評価する文章が残ってるのが切なかった。でも最終的には女性同士連帯するフェミニズムの動きに繋がっていくところまで書かれている。書けるまで、発表できるまで、存在を認められるまで、作品の価値を認められるまで…と何段ものハードルを越えて作家として評価されるまでに至るのか…
最後に訳者が日本において女性作家がどう抑圧されてきたかを解説されているのが面白くてもっと読みたかった(本編の英米文学は知らないものばかりだったので…)。日本では作者の容姿が言及されることが多いというのは本当にそうだ。他の分野の専門家やアスリートでも外見への言及がやたら多いことと関連しているのだろうが、何故なんだ。
p54 女性作家の行為主体性を回復するかのように見せかけて、何らかの「男性」が、すなわち彼女の内部に秘められた男性が著者であるというのだ。メアリー・エルマンはこうした現象を「両性具有を読み込む誤謬」とみなす。
p70 「告白的という言葉は、女性にとってはすっかり差別用語になってしまった。それは女性蔑視主義者が女性詩人をこき下ろすのに絶好のレッテルなのである」
p173 「女性作家の割合は……ほぼ例外なく七パーセント前後である」
p199 ある芸術が「直観によって」創造されたとみなすことは、知性と努力の限りを傾け、確たる伝統を受け継いだ芸術家から人間性を奪う行為であり、芸術家を人間以下の存在と定義づけることに等しい。