投稿元:
レビューを見る
「そうか、そういうことだったのか」
→考えずにはいられないような切実な問い、あるいは自分の内側にある飽くなき探究心のようなもの、すなわち霧や疑問や心のモヤモヤがまずあって、それを抱えて右往左往することが必要になる。
→「最初の問い」への気づきや、そこから自分で仮説を立てて検証していくプロセスが必要
→「最初の問い」…自らの関心をもとに引き寄せる/偶然など。勘のいい人は文献、書籍、メディアの伝える二次資料をきっかけに、かなり具体的な問いを立てることができる、しかし多く廼人が具体的な問いに気づくのは、
フィールドに、出発してさまざまな経験をしたあと
→目の前で起こるさまざまな事象にアンテナを張り、自分の琴線に触れさせる必要あり
!!!ただ漠然と物事をみていては、目の前で、何が起こっていても見過ごすだけ
*
これを読むかぎりでは、いまのゼミって意味あるのかなーと思ってしまう。
行かなきゃわからないことがあるのに、全てを定義づけてから行かせようとする
でも、その一方で、これさえもできないようじゃきっと研究なんてできないんだろうなと思う
多文化コースって1人1人が違うことやってるから意見もだしにくいし(うちのゼミがでないだけなのかも)、でても内容についてというよりは方法やそれ自体についての質問になっちゃってるし、本当に浅くしかまなべないコースなのかなって。
やろうと思えば、できるんだろうけど。