投稿元:
レビューを見る
2008/6/14 メトロ書店御影クラッセ店にて購入。
2018/2/18〜2/19
1年ぶりの舞城作品。相変わらずぶっ飛んでいるが、こちらが歳をとったせいか、ついていけなくなったかも。手持ちの本で打ち止めかな。
投稿元:
レビューを見る
うーん……。今までで一番読み応えがなかった作品。一番最初に舞城作品を読むならこれかもしれないけど、いくつか読んできて読むものではないな。
投稿元:
レビューを見る
とってもインパクトのあるタイトルに惹かれて読んでみた。
初めての作家の本。
とってもナイーブな文学男子が書いた文章という感じがしました。
めずらしい作風だねえ。
村上春樹を意識しつつ書いている雰囲気だけど、なんだかちっともピンとこなかったよ。
アダムとイブの話以外は何がなんだか。
もっとシンプルになれんもんだろうか?
投稿元:
レビューを見る
17冊目。calicurated chaos。舞城に感情に伴う痛さを描かせたら随一だと思う、なんだか怖くて泣きそうになるけど、抗うすべなく惹かれるばかり。おかしいな映画化したらセカチューに成り下がりそうなのに。
投稿元:
レビューを見る
不思議。もう構成がどうなってるのかすら把握できなくて、最初から最後まで作者に振り回されるのは、舞城さんの本では諦めつつあります。身を任せる、もうそれしかない。タイトルがアレですので、愛することとはどういうことなのか、を切々とつづると思いきや、恋人との付き合いを思い起こすことで、または自分のふるまいを周囲に非難されることによって、「あいつが言うように自分はほんとは彼女を道具として扱っているのか」とか「愛していないのか」などと考えます。けれど、そこには悲しみや「また逢いたい」という切なさはあるものの、卑下や後悔や堕落はまったくない。つまり、そうじゃないことを自分の中で再認識する過程。「〜じゃないのか」→「いやそうじゃない」というはっきりした彼女への愛情が、絶対的にある。だから、タイトルを見て「重そう」とか「うざそう」なんて感じるかもしれないけど、読んでいてまったく苦痛じゃない。
恋愛にしても、友情にしても、自分の中で、「友情とはこういうもの」「恋愛とはこういうもの」だろうから、それにあわせるように、それに沿って行動する、なんてことがなきにしもあらず。たとえば、恋愛してるときに、一週間に一度はデートするのがしかりだとか、学校の移動教室のときに友人の支度を待ってしかりだとか、なんてことないようなことが、急に醒めた頭に「めんどくさいなあ」とふって沸くことがある。それは、自分が冷たい人間だから、冷めた人間だからだろうと思っていたけれど、もしかするとみんなに共通なのかもしれない。○○とは、××だから△△する、という枠組みに、すんなりはまるか抵抗するか。結局は、そうしたいからしているだけであって、ただの理屈というか、屁理屈なのだけど。
書いててわけがわからなくなった。舞城さんはやっぱりすごい。今までめんどくさくて蓋をしていた感情、それを考えてもさして得にならないから捨て置いて考えることをしなかったシコリが、ぴったり言葉で表現されていて、なんだかすっきりしました。あーこういうことだったんだ、と。
投稿元:
レビューを見る
好きな人の死と、小説家の話。
一人で広島にいる時に、雨宿りしながら読んでさみしくなった。 けいた
さとこも読んだ。 さとこ
投稿元:
レビューを見る
「愛は祈りだ。僕は祈る」と言う一文から始まる、愛すること、死ぬこと、暮らしていくことについてのお話。
大好きな人が死んでもちっとも終わらない、生きていく方は続いていって、生活していかなければいけない。
愛する人が死んでも、小説を書く、戦いに行く、生活を続けるということが祈りで愛なのかなあと思った。
投稿元:
レビューを見る
5で。超主観。一般性はほぼないと思う。まあ主観こそ批評の本質ってことで。
ふざけたタイトルと冒頭の名文章の時点で、俺の中では勝負が決した感じでした。
文章表現自体に勢いがあって好きだし、「パンを齧るのと一緒」とかに見られる要所要所の洞察もいい。
それから、巧也にせよ治にせよ、彼らの内省のあり方も好きだ。自分にとっての「自分のため」と「彼女のため」、彼女にとっての「自分のため」と「彼のため」、この全部が一致するような優しいものでありたいよな。って感じ。何言ってんのかわかるかなw
本作は多分また読む。佐々木妙子の章の意味が良くわからなかったってのもあるけど、色々深い話だと思うので。(「深い」とか感想として超「浅い」言葉で誤魔化しているけど、恥ずいから止むを得ないんだ。笑)
相変わらず意味不明な部分もあるが、舞城作品の中ではかなり一般受けするほうだと思うし、彼の作で人に勧めるならこれだな。あのエログロ小説作家を恋愛小説作家と思われる危険はあるが(笑)
投稿元:
レビューを見る
私にとっての初めての舞城作品。
名前だけは知ってたけど表紙に惹かれるものもあったし購入しました。
柿緒の話はとても切なくなった。愛してる、って悲しい感情なのかもしれないと思った。
投稿元:
レビューを見る
「愛は祈りだ。僕は祈る。」
私的には吾輩は猫であるくらいインパクトのある始まりかたなのだけれども。
ブラック世界の中心で愛叫んじゃう感じですね
たまにものすっごい、ものすっごい人が、人間というものが愛しくて愛しくて愛しくてもう大!好き!ってなる。
そんで人間みんながニコニコニコニコして、幸せで、誰も悲しくなければいいのに本当マジでっていうアガペー状態に陥る。
なにがいいたいかっていうと、愛って私が認識できる以上に巨大!
「ねぇ、奪うこと、失うこと、奪われること、なくすこと、分からなくなること、分かろうとしなくなること、見なくなること、見えなくなること、こういうことって悪いことじゃないよ」
「与えること、見つけること、見つけられること、もらうこと、自分のものにすること、自分のものであると分かることも、悪いことじゃないけどね」
「「好きだ」あるいは「好きなのかも」と思ったり言ったりすることでなんとなく相手を好きになることはあっても、誰かのことを好きな人が相手のことを好きだと思うとき、そう言うとき、それは全くの本心で、どんな演出もない。」
投稿元:
レビューを見る
まさに「恋愛・小説」
作品中に出てくる小説もなんだか切ない。
特に、「ニオモ」の話は好きだな。
これだけで長編できそうな感じ。
投稿元:
レビューを見る
この人は本当に心理描写が上手いなぁ。 恋愛におけるいろいろな感情、口に出していない、出せない、出せなかった、様々な思い。
舞城さんはこの小説の中で、「私小説とか自叙伝とか宣伝文句にしてない限り、読者は小説を著者の体験だなんて本気で思わない。裏であれって私小説っぽくね、って言ってても、それは細部が細かく描かれていて描写が上手くてリアルって意味のほめ言葉なんだよ」
というよな事を言っているがまさにこの小説がそれ。 ってか、…本当に舞城さんの体験じゃないんですか?心理描写が鋭すぎますよ あなたは相当の想像大好き人間ですね。
しかも、心理描写だけじゃなくて、ほかも逸品。二人の口喧嘩シーンは会話のみで数ページ、しかも全く飽きさせない。 さらに、いつも通りのあり得ない設定やお話の飛び様は、凄まじいですね。
投稿元:
レビューを見る
どピンクの表紙と女子高生作家の書きそうなタイトルを
村上春樹チルドレンといわれている人が書いている
ということで買ってみましたが、内容は普通に面白いものでした。
でもちょっと男の人の一人よがり感が強い内容かもしれないですね
嫌いではないですけど
投稿元:
レビューを見る
スタイリッシュな文を書く人だ。リアリティとSFを混ぜ込む新感覚。
かなりストレートに主張してくる。
愛ってこういうものかね?
だから受け身になってそうかそうかと読んだ。読み終わったあとにも思い出してしまうインパクトある短編集だった。
投稿元:
レビューを見る
セカチューのアンチテーゼとか言われている本。
タイトルと作者の性格を考えると
「愛してるとかばかくせーぜ。
きもちわるく書いてやる〜」
みたいな感じの印象だし、そんな感じかなぁと思って読んだ。
結果、そんな予想は完全に裏切られて、
「好きな人が死んじゃって、悲しい」
そんな悲しみを徹底的に追求したものが
大勢の人が読んで涙するベストセラー
「世界の中心で愛を叫ぶ」だとすると、
この小説は
「好きな人が死んじゃって、悲しい。
けれど一番悲しいのは、この先僕が行き続ける中で
彼女に変わる“愛する人”を見つけるかもしれない。
見つけてしまうかもしれない。それが、悲しい。」
死で分かたれた彼女を忘れてゆく“悲しみ”がひたすら繰り返される。
現状のとてつもない愛ゆえの喪失感だけでなく
その後、その愛すらも喪失されていく喪失感。
そこで味わう一段階高次とも言える喪失感が、描かれている。
だから、
「ひたすら彼女の死を悲しんで、冷静になんかなれなくて」
といったありふれた(語弊があるが)恋愛モノとは違った
「静かな悲しみ」みたいなものが伝わってくる。
でもそんな静かな悲しみは、小説の世界だけの話じゃなくて
そこら中に溢れてる。
そんなセカチューとは違った“ありふれ性”が、
バカみたいなタイトル「好き好き大好き超愛してる」と
可愛すぎるカバーデザインに現れていると思う。
(だから表紙は文庫本のものが一番いいと思ったり)
だから泣かされるわけではなく、なんか少し泣けてきちゃう。
そんな小説で、不思議な感じ。
舞城嫌いにも、オススメできます。
この本読むまで、自分も舞城は敬遠していたので。