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以前、鬱々とした生活にドップリつかっていた時に、帯のメッセージにひかれて手にとった本。
「鬱は力。無気力な人は鬱にならない。」 (※帯から引用)
ただ、この本のメッセージは、ここで終わりじゃない。
「ちょっと鬱くらいが正しい生き方。(鬱な気分とうつ病は違う。頑張れと・・・。)」
鬱という定義があいまいで、心療(診療)方法も明確でないがために、
以前の(鬱な気分で、病気かなぁ〜っと思いはじめてた)自分にとっては、少し辛いメッセージでもあった。
この辺りのコトには、いろんな意見があるだろうと思いつつ・・・以下に本書で印象深かった会話を抜粋する。
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※香山:精神科医、五木:小説家、作詞家
※「うつ病」と「鬱な気分」の境界があいまい。切り分けて考えるべきだという議論のあとの会話
香山 クリニックに来る人に「あなたの場合は、うつ病と捉えなくても結構です。
こういう悲しい出来事があったら、しばらく落ち込むのは当然ですから、時間が経てばちゃんと回復できますよ」って話すと、
多くの方はそれで安心するんじゃなくて、逆に「じゃあ、私のこの気分は、いったいなんなんですか」ってとても不安になるんですよ。
五木 むしろうつ病だと言われた方が楽なんだな。
香山 体の痛い人が、内科とかリュウマチの検査とか、体を診る科に行っても、正常だといわれてしまう。
「痛いんです」「いや、正常です。」「本当に痛いんです。」という繰り返しに疲れ果てたなかで、
「実はあなたはうつ病でした」と言われると、本人も納得してしまうんだと思うんです。
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自分の状態が、病気か/そうでないかは、正直そんなに重要じゃない気もする。
けど。現代の鬱々した日本では、結局そこが重要になってきてしまってる現実もある。わからん。
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前職時代は、あまり話題にならなかったのですが、業界的にも、時の流れ的にも鬱が話題になるようになりました。自分自身も一時、そんな状況に・・・
さて、この本は、五木寛之さんと香山リカさんの対談形式になっています。
まえがきにもありますが、「治療すべきうつ病と、人間本来の感情である『鬱』はわけなければならない」という言葉はとても印象に残りました。
また、高度経済成長やバブルの時代は「躁」の時代であり、現代は「鬱」の時代であろうという分析も興味深いものがありました。
そして、躁の時代は熱狂を伴って暴走を引き起こしかねないという指摘。
その他、宗教的観点などにも思索はおよんでいます。
そして、この「鬱」をネガティブにとらえすぎず、力に転換していこうと訴えかけています。
自身の経験にも照らしてこの訴えかけには応えていきたい。
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正直、もっと、内容が濃いことを期待していました。なぜ、「九州の人はこんなで、東北の人はこんなで…」
という話ばかりなのでしょう?
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香山さんと五木さんの鬱に関する対談。
「鬱」は最近のはやりだ。
そしてそれを加えるとプラスイメージになる「○○の力」という表現もブームのようだ。
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今の世の中、少し鬱になるのは普通のこと。という話。
「この文化は鬱、これは躁…」っていう例えに笑いました。
【X】
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鬱というものがマイナス面だけではなく、プラス面があることを教えてくれる内容。香山リカの精神科医としての知識、経験と五木寛之の歴史観などがうまくミックスされていておもしろかった。
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鬱を前向きにとらえること、自分も鬱病と診断されそれ故か心に残る対談でした。
宗教的な観点から政治・経済の分野まで話が伸び、精神科や心療内科の現状も見えてよかった。
鬱の時代、どう生きるか。
考えて対応した生き方をしたいなと思う。
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お二人とも冷静にいろんな角度から、鬱と社会とを観察しているため、読者に的確な俯瞰的視点をもたらしてくれる。
現在が鬱の時代であることを、受け入れることが大事である。
新しい社会はそこから始まるということを感じることができた。
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[ 内容 ]
「鬱の気分」が日本を覆っている。
「鬱」イコール悪と思われているが、本当にそうだろうか?
「鬱」こそ人間の優しさ・内面的豊かさの証であり、治療が必要な「うつ病」とは分けて考えるべきではあるまいか。
同じ問題意識を抱いた作家と精神科医が、うつ病の急増、減らない自殺、共同体の崩壊など、日本人が直面する心の問題を徹底的に語りあう。
戦後六十年の「躁の時代」を経て、これから迎える一億総ウツ時代に、「鬱」を「明日へのエネルギー」に変える、新しい生き方の提案。
[ 目次 ]
はじめに-時代は「鬱」へ向かう(精神科が特別な場所でなくなった 「ちょっと鬱」くらいが正しい生き方 鬱には生命力が秘められている)
第1部 鬱は「治す」ものなのか(精神医療の現場で起きていること 「なぜ人を殺してはいけないか」と問われたら 「欝な気分」と「うつ病」は違う いまの医療の常識が揺らいでいる 代替医療の流行が問いかける問題 泣くこと、悲しむことから力をもらう 最後には神を信じるアメリカ社会 神なき人生のよるべなき不安 死刑は被害者遺族の心を癒すか 哲学もまた「悲哀」から生まれる)
第2部 日本社会は劣化したのか(時代の先端に立つ人の心が壊れていく 脳は本当にすべてを支配しているのか 生死に関わることを厭う医師たち 病院をコンビニと同じに考える人たち 見えないアパルトヘイトが進んでいる 逸脱した存在を受け入れる豊かさ 一つの人格だけでは生きていけない 崩壊するコミュニティ、病んでいく心 自殺は単なる「一人の死」ではない 高齢期のメランコリーを乗り越えるために あらゆるものは変化していく)
第3部 「鬱の思想」を生きる(雪は「美」か、「病んだ自然」か 言葉の力がもたらす奇跡 歴史は熱狂と閉塞を繰り返してきた 性のタブーが破られた果てに 時代が鬱だから明るさを求める 人にはなぜ「あの世」が必要なのか 打つの悲しみは仏さんの悲しみ 「人生は苦である」という出発点) おわりに?鬱は力である(文明は鬱のなかで成熟する 自分だけのために生きるのでなく)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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確かに、昨今は「鬱(病)」の認定ハードルが低くなったように感じる。
色々なひとのブログ等を読んでも、この言葉が当たり前に使われる。
なるほど納得、国民総鬱病時代といわれることはある。
※ ヒーリングCDの裏面に書かれていた衝撃のお言葉。ヒーリングなのに。
鬱は、元々外向的に発散されるエネルギーが内向的に吹き溜まっている状態のことも指すらしい。高校の保健授業で習った「軽度の鬱もしくはフラストレーションだったら、運動することで発散させられる」こととつながる気がする。どうしても「鬱」と聞くと、意欲低下厭世感自滅願望で、エネルギー枯渇のイメージが浮かんでしまうけれど、エネルギーのベクトルの向きによる「鬱」もあると思うと、鬱も捨てたものじゃないと思えるから不思議。
ただ、私論なのだけど、
「鬱」ということばには、ひとを迷わせたり惑わせたりする力があるから、
無闇に口外したり使用するのは避けたい。
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躁状態の国民が軍を支持した、期待した。
今は鬱の時代。
鬱的な気分とうつ病は違う。
山を下る、ブレーキを掛ける時の心地よさ、文明の成熟。
親鸞とか道元、読んでみよう。
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今の時代は、昔は、躁か鬱か、とかいう話をつらつらと話してる、だけ!?っと言ったら失礼かなぁ。
誠に恐縮ですが、何か薄っぺらい内容、、と思ったわけで。
新書本、特有の、か。
ただ、心療内科っていうのが身近なものになってきた、という話については、心療内科という存在を、昨年に初めて知った俺にとっては、まったくその通りだと思った。
実体験だが、、心療内科も、良し悪しが特にあるので、病院選定にはご注意されたし!
ということで、話は逸れたが、
信仰について、死について、鬱について、躁について、医療について、とか脱線脱線しつつ、総じて、鬱の話に戻る、的な本です。
これからは「どうなる、こうなる」という話を、お二人でつらつら語っています。
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うつ病と感情の鬱は違い、感情の鬱は悪いものではない。また、日本は躁から鬱の時代になっていく。というものだった。
感想
対話形式なので、話題がいろんな所にとんでいた気がする。メンタルヘルスケアの講演の成果があがらなくて、著者の五木さんに講演を頼む業界が、1銀行、金融関係 2IT情報関係 3病院、医師関係らしい。これは、市場原理のかなかにあるもの、情報の先端にあるところ、あと医療というのが、今の時代をわかりやすく反映してるものなのかなぁと思った。
しかし教員など教育関係は入らないんだなぁと疑問におもった。業界がお金ないからだろうか。
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“流行りの鬱”とは違う、心のどこかで知っていることについて、極端でも婉曲でもない言葉で語られている。
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豊かな視点からの「鬱」「統合失調症」などについての考察を、対談という形で示した本。斬新で画期的な、読んで力が湧いてくる本でした。