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内容はとても面白かったです。何回でも読み返したい本。遠野物語が読みにくい人は、拾遺から読んでもいいかと思います。遠野の地理の位置関係が分かり辛く、一生懸命調べたのですが、読み終わってから地図がついてることに気づきました…。これから読む人は是非活用してください。
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民俗学者が著した書物で、これほど名が知れているものは、他にはないのではないでしょうか。
そのようなこともあり、柳田国男の数ある作品のうち「遠野物語」だけは読んでおこうと思っていました。
「遠野物語」は文語調で書かれていますが、それほど難しくありません。「遠野物語拾遺」は完全に現代口語調なので大変読みやすいです。
内容的には遠野地方に伝わる言い伝え等を、遠野地方出身である佐々木鏡石氏に語ってもらい、それを柳田国男が文章化したもののようです。
とても読みやすい上に飽きることなく読めます。
自分が幼かったころにも、「そういえば昔からの言い伝えのようなものを親や祖父母に聞かされたな」と懐かしく思い出しました。
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日本独特の昔からある怪談話にそそられて読んだ。
地理的な背景も詳しく説明されているため情景を想像し易い。
民俗性を重視しすぎているからか、ラフカディオハーンの怪談のより淡々としている気がした。
個人的には上田秋成の雨月物語やラフカディオハーンの怪談の方が好き。
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遠野に伝わる古来からの風俗や伝説、奇譚などを集めた本。読み辛かったが内容はとても面白かった。これ一冊紐解けば、怪談話や不思議な話がいくらでも書けそうだ。
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実際に読んでみると、座敷わらしや天狗を紹介しただけの本ではなくて、かの地で伝えられているお話をくまなく聴いて記したものでした。
「迷信でしょ。」
と、おそらく当時も避けて通るところを、聴いたそのまま記したのが「遠野物語」でありそのまま記すところに価値があるのだ、と、理解しました。
また、この本が端緒となり、民俗学が成立したこともうなずくことができました。
端的に感じたのは「昔の人」に分類された第八段の冒頭です。
「黄昏に女や子供の家の外に出てゐる者はよく神隠しにあふことは他の国々と同じ。」
これを読むと「神隠し」と郷の人が言っているのは誘拐のことだと理解出来ます。
しかしながら、犯罪として捜査するのではなく「神隠し」として対処、諦めていたのだと解ります。
プロの誘拐魔が女や子供をさらっていくのですから、
おそらくは郷の人が捜査しても太刀打ちできるものではなく、ならば「神隠し」として諦めるのが生活の知恵だったのかな。と推測しました。
他には、河童が他で語られるのと、遠野郷とのでは少し違うことを記した五九段も面白かったです。
面白かったと言えば、特に面白かったのは、
里の神「カクラサマ」に分類されている七〇段と
遠野物語拾遺「子供神」五一~五六です。
子供がご神体をおもちゃにするお話です。
五一を抜粋します。
「近所の子供らが持ち出して、前阪で投げ転ばしたり、また橇にして乗ったりして遊んでいたのを、別当殿が出て行ってとがめると、すぐその晩から別当殿が病んだ。巫女に聞いてみたところが、せっかく観音様が子供らと面白く遊んでいたのを、お節介をしたのがお気にさわった」
他のお話でも、叱った大人が逆に病気になったりけがをしたり、神様の罰が当たります。
さすがに、現代の子供はこんなことはしないと思いますが、
たとえ、子供が祠から木造のご神体を持ち出し、水たまりに放り込んで「戦艦だ!突撃だ!」と乗って漕いで、遊んでいても、遠野郷では叱ってはならないのでしょう。
その他、
盛岡市に旅行すると「前九年」と電信柱に町名が書いてあるのを見つけて「へぇ」と思ったのですが、
前九年や後三年の戦いから地名の由来を語る段(例えば遠野物語拾遺の七。現在の遠野市小友町での八幡太郎と安倍貞任の矢の射合い)
も、その土地で語られている歴史に思い馳せました。
また、
蛇を殺してはならない
などのいましめ。
山で迷って古民家を見つけたらそこにあるモノは神様からの贈り物だ
などの言い伝え
拾遺の最後は年中行事を
「他とおおよそ同じ」
としながらも、農閑期の家にこもりがちな時期に行事が多く配置しているのが
興味深い、
と感じられる内容でした。
やはり、こういう本は、一度おおもとを読むと良いな。読んで良かったな。と思いました。
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ほんの100年ほど前の出来事や習俗は、きれいさっぱりどう消えちゃったんだろう。ホントはまだすぐそばに人ならぬものは存在してるんじゃないか…と考えたくなる一冊でした。遠野まで行かなくても、身近な祠から親しみたいけど、不審者に見られそうでもじもじ。
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なんぞRace系の本州土人を捜索せんとする柳田大先生の何はいいとしてだ。
「願はくは、これを語りて平地人を戦慄せしめよ」
とかもかっこいいとしてだ。
東北のなんぞの化かし(Bewitchment!!)に、ネコミミウサミミおんにゃのこがあるのはなんといふか。しかもコンボで兄さんを襲ふ。
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昨秋、花巻と合わせて遠野をようやく訪れることができた。
そこから少し経ってしまったけど、柳田の『遠野物語』を再読。
自分が見た遠野が、どれだけ柳田・佐々木の生きた時代の遠野と変わっていないのか、あるいは変わったのか。
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無駄なことを挟まず淡々と語られる。伝承があるような地域に縁がなく、このような話にはとても惹かれた。大体は意味もなく人の力ではどうすることもできないようなことばかりで、だからこそ人々は恐れたし言い伝えられてきたんだろうと思う。
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久々に読みなおしたくなったので、角川ソフィア文庫から出ている遠野物語の文庫本を購入しました。
索引や年譜、解説、遠野郷略図も揃っているので、手元に置いておき手軽に読めつつも、しっかりとした遠野物語の資料価値もある気がします。
装丁が綺麗なのも良い。
遠野物語自体には口語訳がないので、これぐらいの時代の文体を一切読んでないと、ちょっとだけ難しいのかもしれないなぁとは思いました。
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数行から、一ページぐらいの短い分量の、遠野の村人から聞いた話をたくさん集めた、民話集。
使われている言葉は少し昔のものであるにもかかわらず、リズムが良いためか、あまり違和感なく、すんなりと意味が伝わってくる。文体としても美しく、味のある、いい文章なのだと思う。
似た話しがまとめられて、続けて語られるので、これだけ狭い地域の中でも、同じような不思議体験をしている人がたくさんいるということが、リアリティーを感じさせる。
結構怖い話しも多いのだけれど、語り口が淡々としているので、いかにもそれが当たり前のような感じになり、読んでいると、不思議とあまり怖さを感じない。
やっていることは、人に会って、その体験談を聞き書きするという、ごく単純なことなのだけれど、最初にそれを大々的におこなった柳田国男の功績は、この「遠野物語」を読んだ人たちに、自分たちにも同じようなことが出来るのではないかと思わせ、やがては民俗学という学問領域が作り出されるにまで至ったことだろう。
今の日本には、この舞台になっている遠野のような、文明化されていない森深い村というのは無くなってしまっただろう。柳田国男が訪れた時代の遠野の生活というのが実際にどういうものだったのか、とても興味を持った。
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慣れなくて、読むのに時間がかかったが話が色々入ってた面白かった。
人は呆気なく死んでしまうのねと感じる。
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20年近くに前に友人からもらった本。
(私があげた、ルナールの博物誌のお礼に、と言っていた気がする)
少し読んで、へえ、と思い、そのまま時間が経ってしまった。
今回、ふと思い立って再チャレンジ。
年末から少しずつ読んでいたので、3ヶ月くらい掛かったかもしれない。
一編ごとに、ごく短い文で簡潔に纏められている。
昭和初期のものだから、内容はおもに、明治大正、まれに江戸の話もある。
伝わる風習、動物の不思議なエピソード、寺社仏閣、霊体験、身分制度、山にあるもの、人間など、あらゆる物語が記録されている。
本書には、遠野物語および、遠野物語拾遺が収録されている。
内容にも驚くべきことが多いが、何より、その分量に圧倒された。
その昔、みんなが口々に伝え合ってきたことを、佐々木氏を通して、「書き留める」ことは非常に重要だったんだなあとわかる。
すごい仕事量だ。
作者の経歴をみると、80代になってもなお、精力的に講演や執筆、後進の育成、と活動を続けているので恐れ入る。
この時代の80代なんて、今の100歳くらいの感覚では?
読んでいて気に入ったのは、天狗と仲良くなる話、子供や祭りが好きで賑やかな場面には乱入したがる仏像の話など。
あとは拾遺の最後のほうのエピソードで、兵役や旅行で遠くにいった家族の動向を占う術があったことも、電話もテレビもない時代の情を思って身に沁みた。
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それぞれの逸話が独立している上に数が物凄いので、暇つぶしにめちゃくちゃいい〜〜…と思ってたら
予想以上に一個一個面白くて時間溶けました
もっとはよ読めばよかった
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河童、座敷わらし、マヨイガ、隠れ里といった他の作品でもよく使われるモチーフを始め、遠野における妖怪や狐、熊や犬、文化や風習に関する話を集めた説話集。言わずと知れた日本の民俗学の萌芽になった本だが、柳田国男の素朴な文章と相まって説話の一つ一つが短編の話を読んでいるように思えた。
同じ文庫内に収録されている遠野物語拾遺の中にあったオシラサマに関しての比較や由来などの考察がとても興味深かった。私は正直なところ、そこまで響くものは多くなかったが、今でも音楽や物語で使われるモチーフが多く登場する後世への影響力や話の一つ一つに誰が話したかがきちんと記録されていたといった研究として緻密に行われたことなど、読んでいて感心することが多かった。解説にも三人の文豪の異なった批評が載せられていたりと、人により感じ方が違うのも、とても面白かった。
田山花袋は「其の物語についてに就いては、更に心を動かさないが、其物語の背景を塗るのに、飽まで実際を以てした処を面白いとも意味深いとも思つた。」と評し、島崎藤村は「不思議な、しかも活きた眼の前の物語に対すると、ルウラウ・ライフの中に混じて見出される驚異と恐怖とを幽かに知ることが出来るやうな気がする。民族発達の研究的興味から著わされるものであるとしても、猶私は斯の冊子の中に遠い遠い野の声といふやうなものを聞くやうな思ひがする。」と評し、泉鏡花は「此の書は陸中国上閉伊郡に遠野郷とて山深き幽僻地の伝説異聞怪談を土地の人の談話したるを氏が筆にて活かし描けるなり。(中略)又此の物語を読みつゝ感ずる処は其の奇と、ものの妖なるのみにあらず、其の土地の光景、風俗、草木の色などを不言の間に得る事なり」と評した。私の抱いた感想は田山花袋に近いと思う。