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紙の本
詩人は殺人者の夢を見るか?
2008/10/04 17:05
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:石曽根康一 - この投稿者のレビュー一覧を見る
こんにちは。
おひさしぶりです。
-->中央公論新社から出ている「村上春樹翻訳ライブラリー」。残すは、『バビロンに帰る ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック2』と『滝への新しい小径』だけになりました。このシリーズのおかげで、廉価にレイモンド・カヴァーに触れることができて、よかったです。
今回の『犬の人生』。全体的にはよかったです。ただ、最後に収録されている「殺人詩人」について書きたいと思ってこの書評を書いています。
この話は、「私」が親交のあった「スタンリー・R」という詩人について語ることで話が進みます。「スタンリー」は「理由もなく両親を殺害し、一片の悔恨の情をも示さなかった」(189ページ)。「私」は彼との思い出を語りながら、ついには処刑されるに至った、「スタンリー」の「スタンリーの最後の言葉」で、この小説は幕を閉じます。
正直、この「スタンリーの最後の言葉」を読んだとき、僕はぞっとしました。ここで、「スタンリー」は明晰に〈透明な〉言葉で、両親を殺害したことを淡々と報告します。僕はこれを読んで、酒鬼薔薇聖斗と名乗った少年の「犯行声明文」に書かれた〈透明な僕〉という言葉を思い出しました。僕にはどうやっても「スタンリー」の主張は承服できない。肯定できない。僕にとっては「スタンリー」の主張は唾棄すべきものだと思えるのです。
訳者の村上春樹は「訳者あとがき」の中で、アメリカでのこの『犬の人生』についての書評をいくつか紹介している。その中に、ミチコ・カクタニのものがある。
「これらの小説は、根を欠いた異質性の奇妙で、シュールリアリスティックなスケッチである。それはあまりにも軽く、あまりにも仮説的であり、今にもふっと蒸発してしまいそうに見える。ストランドの作品の登場人物は全員がストランド自身のようであり、あまりにも死と影の妄想にとりつかれているので、死が私たちの存在をすっぽりと覆ってしまうことになる。そして彼らは日々の生活の喜びや痛みを味わう余裕すら持つことができない」(223―224ページ)。
このミチコ・カクタニについて、村上春樹は「見当違いの聡明さという彼女の救いがたい資質は、ここでも見事に証明されている」(223ページ)と非難している。
たしかにこの『犬の人生』全体について言えば、ミチコ・カクタニの書評は僕個人としてもあまりぴったりはこない気がする。
しかし、「殺人詩人」については、僕はこのミチコ・カクタニの書評はぴったりするのではないかと思っている。
「スタンリー」は「死と影の妄想にとりつかれて」いて、「日々の生活の喜びや痛みを味わう余裕すら持つことができない」、と僕には思える。文学はときに、人をdriveさせる。それは、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を訳した村上春樹は知っていることで、『サリンジャー戦記』にも彼はその事実を書いている。また、カポーティの『冷血』には、『カラマーゾフの兄弟』を読み終わった後に、家族を射殺した男が出てくる。このように、ときに、文学は人をdriveさせるのだ。
個人的に、村上春樹は、この「殺人詩人」を訳すべきじゃなかったと思う。
「殺人詩人」以外の小説は楽しめたことは改めて、付言しておきたい。ただ、「殺人詩人」だけは、受け入れられない。肯定できない。承服できない。
さて、あなたはどう感じるだろうか。ぜひ、この『犬の人生』を読んで、感想をbk1の書評に書いていただきたい。あなたにとって「スタンリー」はどう映ったか。彼に共感できるか。あるいは彼は唾棄すべき人間なのか。あなたの意見を待っています。
紙の本
目が眩むような幻想と氷のような冷鉄の相反する世界を男女の背中越しに魔術的に貼り合わせている
2009/05/11 20:08
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:あまでうす - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は一九三四年、カナダのプリンス・エドワード島生まれ。アメリカ現代詩界の代表的存在だそうであるが、彼の初の短編小説集が本書である。
当たり前のことであるが、短編はともかく短いから長編と違ってすぐに読めてしまうのがよい。この本に集められた作品の多くは短編というよりは掌編というべき短さなのですらすらと読めてしまうのだが、プロットも文体も普通の小説家のものとは相当違っているので大いに面喰う。
例えば表題作では「ヴラヴァー・バーレットと妻のトレイシーは、キングサイズ・ベッドに横になっていた」という素敵な書き出しから始まり、「彼がそのとき口にしたことは、もう二度とふたりのあいだで持ち出されることはないだろう。それは慎み深さ故でなく、あるいはまた相手を思いやってのことでもない。そのような弱さの露呈は、そのような抒情的なつまずきは、あらゆる人生において避けがたいことであるからだ」というところで終わるのだが、その間わずか新書版サイズの本で五ページにも満たない短さである。
しかし、この最短距離で慌てず騒がずゆったりと語られる西洋版「父母未生以前」の物語のなんと神秘的でなんと喚起的で、なんとシリアスなことよ。目が眩むような幻想と氷のような冷鉄の相反する世界を男女の背中越しに魔術的に貼り合わせている。
もちろんそのほかの作品もとても興味深いものがあるのだが、ここまで書いてきて分かったことがある。それは彼の作品が他の短編作家と違うのは、最後の一行、最後の一句で完結しない、ということだ。いかにも詩人が書いた小説である。
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