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紙の本
ちかんのショータイム
2009/09/26 11:15
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:(全角の大文字の) CUSTOMER - この投稿者のレビュー一覧を見る
丹念に精読しました。その上でコメント(質問)しています。(BK1で買ったのでBK1にコメントを書きます。BK1は送料が安く梱包が丁寧なので気に入ってます。)
特殊相対性理論のスペースライクな領域を「分からなさ」に結びつけるなら、当然、ミンコフスキー空間が絶対空間であることへの不満は起こる。本書ではそこに“欺瞞”という強い言葉が使われている。一方で、一般相対性理論が特殊相対性理論の貼り合わと考えられる部分に、もう一つ別種の分からなさ(積分定数のような不定さ)が現れているはずだが、それについてはむしろ肯定的に利用され、リーマン空間が絶対空間であることへの不満は表明されていない。
クリプキのプラス・クワスの議論を割り算に置き換えて、「未体験の自然数を既知で有限な自然数で割ると、余りは自然数の有限集合の元になる」、「未体験の自然数を有限の具体的な自然数6で割ると、余りは0~5のどれかで一つになる」などと言い換えることはできない。マルコポーロは前者の言いかえを目論んでいるところがあるが、同時に、「割り算の余りに注目し“た”こと自体」に注目するこで、余りを一意に指定可能であるという前提に絡めとられる問題を回避していると受け取れるのではないでしょうか。
さいころを振ってある目が出る確率を計算するとき、さいころとさいころを取り巻く状況が公平であることを前提にする。なのに実際に目の前である目が出たとき(私は)その前提を守れない。ついつい室温や微風などの影響を詮索してしまう。この詮索を頑なに禁じる量子論に、そういう意味での素朴な個物化の過程は期待できない。ここに、「無限次元線形空間のヒルベルト空間への限定は、トレース公式が成り立つための十分条件である」(→『ハイゼンベルク形式による量子力学 (1980年)』(H.S.グリーン著))を結びるとき、循環性を導入して使うという戦略をとらざるを得ないのではないかと思います
以上に関して具体的に2つ指摘をさせていただきたいと思います。
まず一つ目は、テレポーテーションのタイプとトークンの分別・混同のところで和積と積和の差の部分が著者によって消されていることです。著者は、著者の言う意味での「内部限定」―――スペースライクな領域のようなあらかじめ用意したものを見ないことにすること―――を、マルコポーロが「内的」と表現したことについて、「自己欺瞞があると言わざるを得ない」と評している。しかし、量子論的な不定さを「内部限定」として表現することでタイプとトークンの分別・混同の不可避性を持ち込んでいる部分は、著者も同じことをしていると言わざるを得ないのではないでしょうか。
二つ目は、だからマルコポーロは内部限定をある種の『特解』として扱うことを含めて『内的』と表現しているのではないのでしょうか。マルコポーロの力点は、「内部限定」をある種の『特解』として位置づけ、「一般解が存在するかどうか」という問題を通して媒質(→相対論が否定した媒質)の均一性がFreeになるという形で点概念を拡大するところにあると思います。そして彼の落としどころは、「拡げられた点が外側の構造を引きずらないと“仮定”するとき、その点の“中身”が決定できない」ということを示すことだと思います。つまり内部限定を「(一般・特殊の)一般」の不定さの中に引きずり込んでしまうこと(→測度の加法性によって)を含めて『内的』と呼んでいるのだと思います。こういった構造が『内的』の表現であるばかりではなく、すべての表現がこのようにならざるを得ないということをも射程に入れた話ではないかと思います。(「特定の方程式」ではなく「特別解」を考えることで何かを押さえ込んでいるのかどうかがわかりませんでした。「交換関係で閉じた無限小変換の集合は連続変換群と同値」(Lie Algebras in Particle Physics (Howard Georgi))や、『微積分の根底をさぐる(稲葉三男, 1991) 』の最後の(たった)数ページに書いてある、積分定数の不定さの小さな問題を思い出しました。)
最後に、これは上とは直接はあまり関係ありませんが、「2割・8割」の話は、離散化してさらに近似を導入して、「2個くらい・8個くらい」としないと、「マダとモウ」の酒瓶の話とは同列に語りにくくないでしょうか。「8個くらい」は「少なくとも7個以下」という意味になりますが、「ならば6個は8個くらいか?」という問いが出てきます。このグレーな1個(=7個-6個)がある場合に交渉の対象になるという形で制度が浮かび上がり、それが酒瓶に結びつけることができるからです。
勉強になりました。ありがとうございました。
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