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北緯と聞いただけで今住んでいる所から北だと思ってしまう・・・愕然〜セネガルに二ヶ月住んで,紀行文を書くことにする。担当編集者が早々に嫌になった。セネガルでコーディネーターをしている女性が好いている男はオカマだ。もうすぐ,ホームシックになると判っていて,その通りになる。このままでは,現地の友達なんか出来ないと思っている頃,フランス語で夢を見て,アイデンティティを失いそうになる。危険だと云われている地域にも行ってみた。一月過ぎると日本に帰る場面に泣きそうになるが,日本人と会うのは嫌だし,日本に帰ってきて2週間も馴染めずにいる〜金を払っている出版社には弱いと云うことかな? セネガルに囲まれたガンビアという国,,,矛盾を抱えて,大国の利益に人々の生活が左右されるのだろう。日本も無関係とは言えない
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神様と会うためのアフリカ・セネガル紀行! 自分はどんな人間だかわからなくなる、なぜ私はここにいなければならないのか? きわめて文学的なこの問いに答えるために、神様ドゥドゥに会うための魂の旅。
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絲山秋子氏は、確かフランス文学がベースにあり。ご自身も、フランスで人気が出るのを目論んでいらっしゃると思う。
しかし、文学者・文士としての初めて?の渡航がこの本にあるセネガルだったのでどうしてセネガルを選らんだのかは理解できなかった。
しかし、読ましてもらってふと気づいたことがある。セネガルはパリ・ダカールラリーの終着点のダカールのある国である。絲山秋子氏は、著書「スモール・トーク」や「俺様日記」←サイトで公開している日記でもご存知のように車が好きである。
ラリーとは逆に「これから、俺はフランスを目指す」という意味が込められているのかも知れない。
この説の信憑性は、かなり絲山秋子氏の本心を突いていると思う。
また、日本から同行したムッシュ・イシザカが途中で帰国するのだがその後の奮闘たるやすごい。熱を出したり、お腹を壊したするが超エネルギッシュに活動を継続して行く。俺なんぞが絲山秋子氏のそばに行ったら、おそらくオーラか気功の力で飛んでしまうと思う。
俺の母親は、70歳代10年ほど前にヨーロッパ諸国アメリカ・カナダを訪れた。「ほら、これユングフラウヨッホ」とか言いながら雪山での写真を見せられた。俺はそんな山は知らない。フランスのホテルで部屋から出て部屋を閉じてしまい。数時間「黒人の大きな怖そうな人が来たら、隠れていた」とか言っていた。最後には、同行した知り合いに廊下で出会い助けられたらしい。
その怖い大きな黒人の服装とか話を聞くと、どうもホテルの従業員らしい。そいつに話せば、もっと早くなんとかなったのだと思う。ただ、母親は生まれが戦前なので英語はまったく知らないしホテルでのすごし方の初歩さえ知らないはず。
母親は戦後代用教員をしていたのだが英語の教育は時代がそうあったので一切受けていない。アルファベットは、俺が教えたほどである。その大きな黒人に事情を話せといっても無理がある。
そんなことは、絲山秋子氏には心配無用。双極性障害(そうきょくせいしょうがい)で通院しておられるらしいが、パワフルでかなりに逞しい女性である。
所ジョージさんや、宝田明さんのようにスピード違反で新聞に載らないことを祈るだけである。
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2009.03.24. 書いてる絲山さんが苛々してることが多いせいか、読んでても始終イラついてしまう本でした。彼女が学生時代フランス語を勉強してて、フランスに留学したことがあった、というのがなんだか意外な感じ。
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どこかへ行きたい気持ちが、私の中に自動的に目覚めることはない。しかし絲山秋子のなかでそれがどう生まれ、セネガルの地で何を最重要事項として二ヶ月間生きていたかはものすごくよくわかる。乗り移るように。取り憑くように。その力を感じることが絲山秋子のおもしろさなのだな。
最近、小説で地歩を築いている作家の別の面をエッセイで見せるということ、エッセイストとしての別人格を読者のなかに作るということ、について考えているので、その意味でもすんごく面白かった。
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絲山さんの逞しさを感じる一冊。断水、停電はあたりまえ、現地の食事、トイレ事情に、無法気味の交通事情、そして病気の怖さなどきつい環境の中で二ヶ月間セネガルに滞在し、たくさんの友達をつくれたのだから。危険だといわれる地方都市にも出かけたりしている。アフリカといえば「あいのり」の男子女子が立ち寄った各国の様子が多少印象にあるくらいの知識しかない。現地日本大使館婦人が赴任後六ヶ月を過ぎているのに現地語(ウォルフ語)の「ありがとう」ということばを知らないことと、それを恥じてすらもいないこをエピーソードとして紹介していたが結構ありがちなことなのだろう。海外に滞在する日本人の多くが華族のようだとの感想もある。旅行者の象徴的な姿だと思う。しかし、作者は違う。飾らない、気負わない、媚びない。自然体だ。そんなところがセネガルの人にも伝わって仲良くなれたのだろうね。作者が予告しているが二年後の続編を是非よんでみたい。
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セネガルへの旅行記。ダカールで短期滞在して、現地の日本人やセネガル人と交流したり旅をしたり。それだけで事件が起こるわけもなくゆるゆるした時間が流れる。そういうのってわりと心地いいはずなんだけど、読み進めれば読み進めるほどしんどくなる。こうして暮らして誰かと会って言葉を発して、というそれだけのことが、こんなに困難なのか、というくらいにしんどい。
それはもう絲山秋子の感性の鋭さ敏感さに尽きるんだろう。鋭すぎて、ただセネガルで生きるだけで磨り減る。そのすり減り具合が、文章から垣間見えるような気がする。
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毒舌は気持ちいいくらいに面白かった。
でも、なんというのか、排他的なニュアンスが行間に見えていて、読んでるこちらの方がイライラしてしまった。『これだから日本人はだめなんだ』みたいな感じ?セネガルの良さを伝えるのに、フランスのここはだから駄目なんだ、でもセネガルはそんなことなくてすばらしい、大使館の日本人と話してもつまんないけど、セネガル人はそんなことなくてすばらしい、みたいな表現。
セネガルが好きなのは伝わってくる。好きなら好きでそれはいいから、ほかの国と比較することないのに。
あと、知り合って2ヶ月足らずの人を親友と呼べる価値観とか、私とはちょっと違いました。
絲山さんの小説は好きなんだけどな~。
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旅に行きたいと思ったり、行きたくないと思ったり。
彼女の正直なところが溢れているように感じられた。
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海外に長期滞在したときの、感覚の揺れ&揺り戻しみたいなものがうまく描かれていておもしろかった。あと、子どもの頃になぜか戻るような感覚もわからいではない。セネ飯。本当においしいのかなあ。
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紀行文を期待していましたが、セネガルについても、作者のわくわく感も、あまりおもしろさが伝わってこないので1/3ほどで挫折してしまいました。さばさば感のある文体、「ラジ&ピース」はとてもマッチしていて読まされましたが、この本はいまいちかな。
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絲山さんが2カ月の間、アフリカのセネガルに滞在して書いた紀行文。
相変わらず小説作品とは違って口が悪いけど、彼女の豊かな感性を通して描かれるセネガルはとても魅力的に感じた。
同じところに行って、同じものを見て、同じ体験をしても、それをこんな風に書ける人は本当に少ないと思う。
やっぱり絲山さんはスゴイなあ。あまりにもアンテナの性能が良すぎるので、コントロールするのが難しそう。
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絲山さんの小説に流れる空気感が大好きで全部読んでいます。紀行文も独特の感性があって素敵ですが個人的に言葉使いが気になります。飯とか食ったとかスゲーとかが連発されるとなんか引く。。。これは私の勝手な感覚なのですが(笑)せっかくの素敵本なのに覚めちゃった自分がなんか悔しいわ。
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セネガルで著者が2ヶ月間過ごした時のエッセー。
セネガル。
地図上、どこにあるんだかぼんやりとしか思い浮かばない。
偏見だが、アフリカというだけで、危険だという印象をもってしまう。
実際に、外に出る時は四六時中ボディーガード(何をするわけでもないが)が必要だし、トイレは汚いし、マラリアにならないわけでもない。
でも、著者のエッセーを読んで、そんなに人とメシが魅力的ならば、行ってみたいじゃないか!!と思わされる。
本当に現地を楽しんだ人のエッセーって、
おもしろいんだよなあ、だから好きなんだよなあ。
何よりもショックと言うか嬉しかったのは、
言語が話せなくても会話ができることについて
作家の彼女が触れていたこと。
あと、彼女のファンならば、時々出てくる過去の小説の登頂人物にニヤっと嬉しくなるかも。
ああ、セネガル行ってみたい!!!
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セネガルへの紀行文。
この感想を書こうと思ったら「セネガル」という国名が出てこなかった。アフリカの1つの国という以上の認識か私にはないせいでこんなことになる。
何度も何度もくり返し本書に出てくる国名が書けない(覚えられない)私。情けない。涙。
が。どこの国なのかはともかく、素晴らしい紀行文であった。私もこういう風に人の国で過ごしたいのだ。その国の、その地域の一部に自分がなりたいのだ。
でも。自分がやはりツーリストであることを痛感するイトヤマさんの心情もよくわかる気がしたり。
イトヤマさんが現地の人から現地人の名前をもらったところで、パアーーーッと自分にもかの地で名前をもらったことがあるのを思い出した。
イトヤマさんはアンジャ。私はプルナマワティ。イトヤマさんとは国が違うけど日本ではない名前をもつという共通項があることがわかり、ますますイトヤマさんにグッと近づいた気がした。
イトヤマさんの他の小説等読んだことないのだけど、どんな人なんでしょう。この紀行文では言葉の汚さ「食いてぇ」とか「アイツラ」とかに馴染むのに時間がかかったが、全体としてはみずみずしい印象。不思議な人。