紙の本
ページは増量、物語の深みは感じられない
2009/02/09 16:24
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:soramove - この投稿者のレビュー一覧を見る
手に持った時の厚みがいい、
まだ中を全く見て無いが、
その重さの分だけ期待させてくれる。
ひとりの少女とその母の物語だ。
出だしは次に何が起こるか、
少女は何を感じているのか、
物語りに引き込まれ
読み進めた。
ところが、
母親と離れてからは
別の物語のようになってしまい、
勢いというか、
スピード感はあるけど、
すべて軽薄な印象で
話にノレなかった。
主人公が直木賞をとったあたりは
自分の事も重ね合わせているかもしれないが、
ファンタジーの領域には到達せず、
かといって主人公の心の内を
この本の厚さをもってしても
表面をなぞっているくらいにしか
感じられず、ラスト近くには
読み飛ばすように終わらせたくて
しかたなかった。
あの手の重さを幸せに感じた気分は
どこかへ行ってしまい、
暴徒の面白そうな何かの予感も
それが何だったのか思い出せない。
直木賞受賞作「私の男」では
確かに感じた心の奥を揺さぶるようなものが、
この作品では全く感じられなかった。
残念。
色々な傾向の作品をどんどん書いているようなので、
次に期待したい。
★100点満点で55点★
好きになれない作品だった。
soramove
http://yaplog.jp/sora2001/
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やっと読み終わりました。
もったいなくてなかなか読み進めることができずにいたら早2ヶ月弱もかかってしまいました汗
今までの集大成みたいな感じ。
赤朽葉の次にスキです。
とにかく圧倒された。
桜庭一樹の脳内に入り込みたい。
(09/01/26読了)
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2009.3.10
マコの子どもだからコマコ。
母と二人で暮らしていた公営住宅から、逃げる旅がはじまったのが5歳のとき。
学校にも通わないまま、最初の町で要君に字を教えてもらって、本を読むようになり・・・
最後のほうで出てくる「幸福から立ち直る」という言葉が心に残った。
真田さんと出会えてよかったねぇ
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このひとって、いつも同じことを言う。
だったらわたしの男だけでよかったのにな。
あれはすごく、好きだった。
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とりあえず、マルボロメンソールを吸って新宿の街をさまよいたい。
この人の小説は想像力を研ぎ澄ませて読まないとすぐに置いていかれてしまうので、読むだけでも力を要した。めちゃくちゃ長い詩みたい。句読点の使い方が独特で、それがまた心地良く、物語にすぅっと入っていく手助けをしていた。
第二部の中盤あたりの母への献身的な愛をつれづれに語る場面からやっとこの本に入ることができた。そして爆走。人生の核となっていたものを失うということの重みをここまで、描けるのもすげぇな。
すっかり物語の毒性に虜になり、真っ黒に染まって読了。
もうコマコにもマコにも会えなくて寂しい。俺もコマコの小説に思いを馳せる事ができた同じ目の色をした読者になれていたような気がしたから。ぐぉんぐぉんにつかれた。
「本にも、性別があった。作者が男か女か、主人公が男か女か、ぜんぜん関係ない。本という生き物には独自の性別があって、女の本は『まぁまぁ』となだめているけれど、男の本は『どうしておれを読まずに帰るんだ。あいつは頭がどうかしてるぜ』と、聞こえよがしに嫌みを言った。」(p.178)
「なにも変わらないさ。人間なんて、所詮、流れていくだけだ。運命なんかじゃなくただただ偶然の連続に押し流されて」(p.352)
「生きるに理由がないように、死ぬにも、理由はいらないさ。……いろいろいやになったんだろ」(p.382)
(2008.12.17)
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出た! って、感じの、銃口桜庭ワールド。「重厚」って書こうと思ったところ誤変換してしまったのだが、むしろこのままでいいような……。
まさに読者に向けられた銃口を覗いているような作品……だから。
まずはこの1000枚の大作が書き下ろしであることが嬉しい。この本を出すために書いたのだという小説は、雑誌刊行の都度、途中発表を余儀なくされる長篇小説が多い中で、とても読者のために誠実であるように感じられるからだ。そしてこの手の集中力を要する作品は、作品そのものの創作過程のためにこのような書き下ろしという形態が最良である。
それゆえに生まれるアンバランスさ、作者の側の自由度というものが何よりも嬉しい。自然体、という言葉が感じられる。書きたいものだけを書く。作家にとってとても必要なことであり、経済や流通というシステムによって過度に蹂躙されていない透明さを感じさせられてしまう。
本書は、二部構成なのだが、もしかして、二冊の本に分けても良かったのじゃないかと思えるくらい、一部は単独での完成度が高い。母と一緒に逃げ出し、戸籍のない名前で、学校にも行かず、暗闇で育つ少女の物語。移り住む場所で追っ手が現れれば、母子は汽車に乗って他の町に移動する。そこがどんな町なのかもわからないまま、少女にとっての世界が一枚一枚、リセットボタンを押したデジタル紙芝居みたいに過度な変容を遂げる。
その一つ一つの夢見るような日々が、少女によって語られる。少女の過敏で、それでいてオブラートにくるまれた曖昧な世界。心が傷つけられることを本能が防御し、霞をかけ、幸せだけが篩いにかけられて記憶を育ててゆく。なんて悲しいサバイバル小説なんだろう。
二部では少女から女へと脱皮した主人公が、一部の物語といかに共生してゆくかを物語るような遍歴の物語だ。だから二部はどうしたって必要だし、見なければ気がすまないような部分である。でも二部を作っているのはやはり一部だから。そうぼくらの現在を作っているのは、少年少女時代の親との愛情の物語か、あるいは愛情の欠落の物語かのどちらかなのだろう。
一部は、映画『砂の器』が見せた華麗なるクライマックスである親子巡礼の旅を思い起こさせる。追われた親子が次々と訪れる異郷、様々な季節への漂泊。
二部は、桜庭のライトノヴェル『赤×ピンク』を思い起こさせる。奇妙な真夜中の学校。夜毎、集まるスポイルアウトされたような青春群像。男のように強く、格闘家のようにしなやかでスレンダーな元少女。彼女は少年のように青春を賭ける。めくるめく都市の夜話たち。
桜庭は、またも華麗で美しく、怖くて残虐な少女たちの世界を構築してみせた。『赤朽葉家の伝説』『私の男』に続く家族を軸にした、独特の世界観が、最大のスケールで展開した。まさに渾身の最高傑作、と言っていい作品である。
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直木賞を受賞された小説だそうです。
ちょっと気になって購入したのですが…
う〜ん。
自分の好みの小説ではなかったな?と言うのが率直の感想です。
謎も残るところもありました。
なので★一つ
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作者が文字通り心身を削って書いた小説は、読者の心身も削り取る。
気付けば私は主人公のコマコ(駒子)に同化し、体も心もいくつも分解され、違うものに乗り移り、別の何かに生まれ変わり・・・
そして、疲れ果ててくたくたになった。
夜の世界、先の見えない濃い闇と死神がすぐそばを通り過ぎる空とどろどろしたもの、そんな得体の知れない者達がうごめいていた世界にいたはずなのに、最後はうっすら明るい世界になっていた。
そこが救いだった。
”そして人間はときに、内側の狂気に喰われてしまう。”
コマコの言葉が胸にずしんとくる。
消えずにどんどん積もり膨張する狂気をどう扱うか、それはその人の生い立ち、周囲の環境、接する人達、様々なものが組み合わさって決まるのだろう。
コマコはそれを物語を作ることで違う何かに昇華しようとし、私はその物語を読むことで狂気を消すのだ。
お互いが影響しあうけれど、その全ては作者のせいでもないし、読者のせいでもない。
物語そのものが持つ力なのかな、と感じた。
それにしても、母の子に対する影響力の強さ。
あぁ、そこには何者も入り込む余地がない。
きっと、コマコの意識がなくなるまで、母であるマコは生き続けるのだろう。
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分厚いけど読みやすくて一気に読みました。
桜庭さんの描く人物はやはり魅力的です。
文壇バーの名前が最近好きなお笑い芸人のコンビ名で吃驚した。
何度も出てくるので、その度にほくそ笑まされました。
犬の心…フフ。
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マコ・眞子とコマコ・駒子のお話。
前回の“私の男”のほうがわかりやすかった。
コマコ、子どもの頃はいいけれど大人になるにつれ難解。
共感できるところがなく想像にまかせるのみ。
コマコの一部を眺めた。
難しいけどコマコの変化は興味深い。
2009/1/10
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久しぶりにまともに読書した気がする。
いや、ちょびちょび読んでいたんだけど
あまり記憶に残る本がなかっただけかも。
今日は濃い1冊を読了。
桜庭一樹『ファミリー・ポートレイト』。
いわゆる桜庭ワールドが好きなひとなら
大満足できる1冊です。
濃いよぉ〜。
女の情念が紙から染み出てきそうだおぉ〜。
マコとコマコという母子の放浪記。
カラダを張って生きてやんよ。
生き様見せ付けてやんよ。
みたいな母子の物語です。
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作家は小説を書く際にどれだけ自分自身をさらけ出しているのだろうか。桜庭一樹の本を読んで幾度となくそんなことを考えてきた。そして、もっと本気でさらけ出したらとんでもなくすごいことになるんじゃないだろうか、とも思ってきた。
『赤朽葉』も『私の男』も『七竃』も。この人が家族というものに何か絶望的な諦観を持ちつつ、あきらめ切れない期待感も寄せているという矛盾した感情に縛られているとは感じてきたけれど、それが書くという行為に向かう時、何かが隠されるようにも感じてきた。あるいはそんな意図的なことではなく、一端昇華して失われてしまった何かを取り戻そうとするようなもどかしさがある、と言った方が良いのかもしれない。
それは、決して元に戻すことのできない不可逆反応であるにも係わらず、必死で失われてしまったものをえぐり出そうとするかのような懸命さが感じられることがある。その必死の形相はひしひしと文字から伝わり、桜庭一樹が物語をたった一つの火力によって推し進めていることが見え隠れする。その意味では実にシンプルな感情の傾斜に依拠しながらも、大きな話を物語ることのできる力が彼女にはある。それでも何か、ふっ切れないもやもやとしたものが読み手の中に澱のように残る。
何かがさらけ出されるのではないかという期待は、さらけ出されない限りは常に存在し続ける。もしも、何かがさらけ出されれば、疑問が解消されることの満足感はあるだろうが、それはそれで切り取られた空白が、逆に何か取り残されたように思うことにもなるだろう。そんな期待と解消のアンバランスの中で読んだ『荒野』は一気に自分の中の桜庭一樹像を突き崩したのだが、この『ファミリー・ポートレイト』には、ひょっとすると自分の知りたかった疑問に対する答えがあるようにすら思う。少なくとも、ここには自分が読みたいと思う桜庭一樹がいる。
自分の物語をメタファーで語る作家が主人公であることで、読み手はこの主人公と桜庭一樹の距離感を容易に見誤る。あるいはそれは誤解と思う必要はないのかも知れないが、ナイーブな作家自身の完全なる投影であるはずはない。そこまで引いて読んでみれば、それを桜庭一樹がその読者の視線を意識しているだろうことも想像できる。そこから、本当のことなんて知らなくてもいいんだ、と解らせようとする桜庭一樹を意識することになる。そして、実際、本当のことなんて知りたかったのか、と自分自身でも問い直すことになってしまうのだ。
もちろん、投げ込まれるメタファーは桜庭一樹のメタファーとも交錯し、途中から何をどう読んでも桜庭一樹自身が作家としての自分を投影して書いているように読まずにはいられなくなるのだけれど、蛇足のようなエピローグを配することで、桜庭一樹自身の痕跡や気配はきれいに消えてもしまう。言わずもがなのエピローグが敢えて語られることの意味。巧みだ。
そうだよね、これがどれだけあなた自身をさらけ出した作品かどうか、なんて疑問は、答えを知りたくてする問いじゃない。読者としてどこまで読みたいかという問いなんだ。そんな構図も包括してこの作品を書いたのだとしたら、桜庭一樹は本当にすごい作���だと改めて思う。
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母と娘の逃避行生活。そして母がいなくなってからの娘の生活。
は〜・・・。第一部は面白かったんだけど、第二部になってからはまるで面白くなくなった。
自分勝手な自傷行為(あるいは自慰行為)をただただ見せられてるような。イライラしました。
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負の感情の堂々巡りがじれったい。
すぐマイナス方向に傾いてきちゃうんだもん。
もって楽になっていいんだよ、って誰か言ってあげて。
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・500ページ越え。主人公の性格がよく出た淡々とした読みやすい文章
けれど、流石にちょっとダレた
・特に第2部はかなりごちゃごちゃしていて、どこに注目すればいいのか分からなかった
・桜庭さんの書く厭世感漂う文章と主人公は自分の好みだと思う
◎「コマコ」
◎母親に依存?