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「かつてサルトルは、アフリカで子どもが餓えて死んでいるとき『嘔吐』は無力であると語った。では、パレスチナでパレスチナ人が非常事態を日常として生きているとき、小説を書き、小説を読み、小説について語ることに、いったいいかなる意味があるのだろうか−。」(2頁)
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衝撃的でした。芸術とか、小説は道楽として捉えがちでしたが、見方が変わりました。精一杯の文学に、もっと出会いたいです。
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回送先:府中市立住吉図書館
胸を抉られるようなモノを感じる。決して胸が痛くなるのでも、民衆に思いを馳せるのでもなく。むしろそうした甘えにも似た博愛主義やヒューマニズムをこれでもかと言ったように徹底的に無効化していく。
読み終わってなんとも言えないような心苦しさが残る。でもその心苦しさがあってはじめて本書のタイトル『アラブ、祈りとしての文学』が成り立っているのだなと思わずにはいられないだろう。
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一度も行ったことがない、けれどメディアを通して頻繁にその名を目にするパレスチナ。
そこで一体何が行われて、消され、生まれているのか。
虐殺、の二文字だけでは至底知り得なかったことを知らされました。
ただ「知り」。
そして「関心を持つ」ことからしかできない無力と、そこから始められる
自分の恵まれた境遇に後ろめたさを感じつつ読了。
けれどこれがささやかな、大切な一歩になるのだと信じてもう一度読み返してみようと思う本です。
内容より一部抜粋。
「もしもパレスチナの難民キャンプで傷付いた子どもの傍らにいたら、
私たちはその手をとるだろう。
ベツレヘムの街で自爆に赴く青年が目の前にいたら、
彼の行く手を遮るだろう。
だが私たちはそこにいない。
小説を書き、読むという営みは理不尽な現実を直接変えることはない。
小説は無能なのか。
悲惨な世界を前に文学は何ができるのか。古くて新しい問いが浮上する」
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著者による、イスラエルによる『ガザ攻撃に抗議する』講演を聞きに行ったこともあって読んでみた。アラブ文学入門書という感じ。さっそく取り上げられていた小説を読み始めたところです。
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かつて、そこで起こったことは
常にすでに起こっている。
そうであるからこそ、祈りは誰かの力になれるだろう。
今、ここを生きている人の力には当然のこととして
もはや、物言わぬ地中の人の力にさえも。
レビューを書く際に、作品を語るよりも
いかに作品で語れるかを考える僕としては
この批評群は作品と作品をすり抜けながら
アラブの街並みを再現しているかのようで
非常に魅力的であった。
星が5つにならなかったのは
著者が誠実すぎたからだと思う。
現実的に祈りに過大な力を与えられないだろうが
それでもなお、歴史の天使を生み出した
ベンヤミンのような無謀とも言える力強さが欲しかった。
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本当に素晴らしい本。久々に頭をフルに使いながら読みました。難民、紛争、国とは、文学に何ができるか。祈りは通じないかもしれないけどそこにある。
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紛れもない衝迫を湛えた一冊でした。
先日の芥川賞の選評で、石原氏が現代小説の「自我の衰弱」を憂えていましたが、氏を好む好まないは別にしても、それは中々鋭い指摘だと感じました。
この評論ないし紹介されている小説達にどうして魅力があるのかと言えば、それはパレスチナ問題という大きな物語について語られているからではなく、その一つ一つが小さな物語だとしても、例えば小さなキャンバスに描かれた一枚の絵が、その絵画空間から溢れんばかりの衝迫を並々と湛えているように、世界中の人々の心を穿ちうるものであるからでしょう。
10年代の日本に石原氏を卒倒させるような作品が生まれることを願ってやみません。
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文学論と、アラブ諸国。
どちらも普段そこまで掘り進めて読んだり考えたりすることではなかった。
そんな自分にとっても、この本で描かれるそれらは心にくるものがあった。
非常に情緒的に、詩的に、書かれているので、読み方としては一気に通読するよりも少しずつ噛み締めるように読んだほうが良かったのかもしれない。しかし一気に読んでしまっても、それはそれでこの本の良さが味わえると思う。
思うに、問題関心を先ず持つためにはある程度情緒的な文章が入り口として効果的なのだろう。この本で描かれているような社会情勢について、この知識だけをもって弾劾したりするつもりはさらさらない。僕はよく知らないことが多すぎるし、その場合は口をつぐむしか無い。
でも少なくとも、これらの領域に関心をもったことは確かだ。そしてそれは紛れもなく一つの文学的な力なのだと思う。
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中東の地域では長く戦火が絶えず、悲劇は今も繰り返されている。著者は、そうしたアラブ圏の現代小説を研究する文学者だ。
本書で作品が紹介されるパレスチナ、ヨルダン、エジプトなどでは政治的・宗教的制約が多く、表現の自由は保障されていない。そのため、小説の真のテーマは何層にも折りたたまれ、活字の下に潜むことになる。その、目には見えない作家の意図をていねいに、そして論理的に著者はたぐり寄せていくのだが、その手つきが持つ崇高とも言える共感力が、本書を単なる文学案内から遠く隔てている。
著者は本書の冒頭で、罪のない人々が遠い地で虐殺されているときに、文学に何ができるのかと自らに問う。答えは出ないが、ジャーナリズムでは伝えられないことがこの世界にはあり、だからこそ文学が与えられたのだと、本書は著者を超えて発信しているように思える。
震災後、著者と同じ思いを抱いた人は多いだろう。本書はそうしたすべての思いへの応答だ。
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色々作品が紹介されていて、面白そうなんだけど、入手が難しいものが多くて残念。アラベスクスを読んでみたい。ナクバという単語は覚えておこうと思った。
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嘘と創造の紙一重 140811
小説が嘘によるつくり話なのか
創造による美意識なのか
それは個人的な倫理観を背景にしているかいないかに
関わっている
もしそれが社会的な価値観である道徳や権利欲によるものならば
洗脳を手段とする暴力の嘘と秘密を持つつくり話である
その意味でも社会性の強いプロは嘘つきだし
個人的な倫理観に基づくアマチュアに嘘はないといえるだろう
趣味性の大きなモノほど
奥が深く幅広く追求できる可能性を秘めている
詩は元々ドキュメント性が強く
さほどの嘘を必要としないから
その多くが職業性に乏しい
それでもスマートで簡潔で洗脳力があるから
詐欺するために詩の形だけを使って貪欲な依存社会に利用される
「小説はその虚構ゆえに真実を描きうる」と作者は言う
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ナクバの悲劇。小説の背景にある悲劇。暴漢に殺される幼児には反応するが、冬を越せず命を落とす無数の路上者には無関心である。
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大学入試の小論文で「文学は戦争の対義語たりえるか」という題で出てとても感銘を受けた。爾来、自分が将来やりたいことを考えるたびにそれって果たして世の中にとって意味あるものなのか、という視点を考えるようになったし、広い世界を見ようといろんな国をバックパックするようになった、1つのきっかけになった文章です。
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岡先生の授業を追体験するかのような本。ミクロの作家個人や、登場人物一人ひとりへの関心や理解が鮮やかだからこそ描ける全体像の切実さと危機感を思い出す。抑制的な装丁と裏腹に、アラブ地域の悲劇への無関心への警鐘を鳴らす本。