紙の本
強かな職人魂は今も生きている
2009/03/30 16:13
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投稿者:筑波太郎 - この投稿者のレビュー一覧を見る
時代劇の黄金期を迎えた昭和30年代、そのなかでも東映は、他社に比べて重厚な役者を抱え、断然たる地位を築いていた。だが、栄光衰勢は世の常というが、彗星のごとく現れたテレビの波は、映画産業を一飲みにしてしまつた。京都、太泰撮影所から発信していた、絢爛豪華な娯楽時代劇も斜陽の一途をだどり、撮影所の職人たちは職場を失っていった。だが、強かな職人たちは「当時の新興メディアであったテレビ」に活路を求め、あくなき時代劇作りを追い続けた。
京都太泰には東映、大映、松竹の三撮影所がしのぎを削っていた。なかんずく東映は、片岡千恵蔵、市川右太衛門(両御大)を柱に、錚々たるスターを並べた時代劇を量産し、映画興行界を牽引していった。これを支えたのも職人たちである。夢の競演、豪華絢爛たる正月映画。子供心に抱いた思い出は、いまだに胸の奥に息づいている。
時代劇の王帝ともとれる大映の「羅生門」。東宝の「用心棒」などは、黒澤明監督の決定版だったかもしれない。さらに、勝新「座頭市」、雷蔵の「眠狂四郎」など、はでな旗揚げをしていた大映も、押し寄せる波には勝てず倒産の憂き目。だがこの苦境おも職人魂は乗り越えてきた。
人と人との触れ合いは大事だ。不況の世の中、「人切り御免」ではないが、バッタバッタと切り捨てる企業社会を渡り歩いた職人魂は、我々に何を語りかけているのだろうか。今一度映画の原点を見直そう、そこに答えが隠されているようで。
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[ 内容 ]
日本映画発祥の地・京都。
その西郊に位置する太秦には、東映、大映、松竹の三社が撮影所を構え、絢爛たる娯楽時代劇を製作してきた。
だが1960年代後半、映画産業の衰退とともに、時代劇は切り捨てられる。
職場を失った撮影所の「職人」たちは、当時の新興メディアであったテレビに活路を求めた。
そんな彼らの挑戦は、やがて『木枯し紋次郎』『座頭市』『必殺』など、テレビ史に残る幾多の名作・傑作時代劇として結実する―。
時代の変化と戦いながら、モノづくりの気概を貫徹した人々の熱い物語。
貴重な証言で綴る、懐かしのあの作品の製作秘話も満載。
[ 目次 ]
第1章 東映時代劇、テレビへ(王国の崩壊 フロンティア・スピリット ほか)
第2章 大映・勝プロの葛藤(頂からの転落 勝新太郎の決起 ほか)
第3章 松竹京都映画と『必殺』シリーズの実験(置き去りになった撮影所 プロデューサー・山内久司の覚醒 ほか)
第4章 東映の転身(量産から合理化へ 本体のテレビ進出と映画村 ほか)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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以前同じ著者の『天才 勝新太郎』を取り上げましたが、順番からいくとこちらが先であります。
いはゆる東映時代劇を好む人たちからすれば、「時代劇はとつくに死んでゐるよ...」と言ひたいところでせうが、本書がスポットを当てるのは、映画界を追はれ、TV作品に活路を見出した、京都太秦の「職人」たちであります。
かつては東映・大映・松竹の3社が太秦に撮影所を構へ、時代劇は活況を呈してゐました。スタア中心の勧善懲悪痛快娯楽映画を各社は連打で製作し、まあウケてゐたわけです。
それが、恐らく黒澤明監督の影響でせうが、リアルな時代劇志向へと変り、さらに集団時代劇へと変遷します。ところがこれらは従来の観客を失ふ結果になつてしまつたのです。
結局東映は時代劇から任侠路線へ大きく舵を切ります。
松竹も京都での映画制作を中止、大映に至つては会社自体が倒産してしまひます。
そこで多くのスタッフが働く場を失ふのですが、やはり当時の情勢としては、活躍の場をTVへ移すしかなかつたのであります。しかしまだ黎明期のTVでは、様々な挑戦が出来る土壌があつたのでせう、結果的に「職人」たちはTV界にてその才能を開花させたと申せませう。TV時代劇を専門に研究する春日太一氏ならではの感動的な筆致であります。
「おわりに」に於いて、その後事情が変つてしまつたと語ります。民放各社は時代劇枠を削り、京都での製作が激減したさうです。生き残れるのかどうか、「いまはまさにその正念場なのである」(「おわりに」より)。
折しも国民的長寿番組『水戸黄門』の製作打ち切りが発表されたこの時期。持ち堪へることは出来るのか、まことに苦しい状況になつてまいりましたね。
時代劇製作は伝統です。一度やめてしまふと復活は難しい。職人芸は継承されなくなり、素人の学芸会レベルの作品しか出来なくなる恐れもありまする...
http://genjigawakusin.blog10.fc2.com/blog-entry-247.html
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面白かった時代劇には、それだけの苦労や情熱のあったことがよく分かる。視点が役者ではなく、造り手(職人)に当たっているので、時代劇を支えた人達のあれこれに、知らないことが多かったので、驚きと感動があった。勝新太郎も役者ではなく造り手のくくりなのが、なるほどと思った。